バブル臭が凄い今はなきプレイスポット
タクシーを止めるために、万札を振りながら停めていた、日本の歴史でも類を見ない程、うかれていた「バブル時代」。なにもかもが、常識外、規格外だったバブル時代のプレイスポットを紹介します。今では、考えされないほど豪華絢爛なものばかり!?
via nehori.com
ジュリアナ東京
バブル期のプレイスポットといえば、やはり東京芝浦の「ウォーターフロント」と呼ばれていた場所にあったディスコ「ジュリアナ東京」は外れないでしょう。
女性はボディコン服を身にまとい、大きな扇子を持ち、お立ち台に立って一心不乱に踊り続けていた光景は、今や語り継がれる伝説みたくなっています。
ジュリアナでよく流れていた「TECHNO'92」は、バブルの象徴する曲になっていますよね。
女性はボディコン服を身にまとい、大きな扇子を持ち、お立ち台に立って一心不乱に踊り続けていた光景は、今や語り継がれる伝説みたくなっています。
ジュリアナでよく流れていた「TECHNO'92」は、バブルの象徴する曲になっていますよね。
via blogs.c.yimg.jp
TECHNO'92~JULIANA'S TOKYO~ - YouTube
via youtu.be
バブル期後期である1993年に、とうとう警察からの指導が入り、ジュリアナの象徴「お立ち台」が撤去されることに。それもあり、徐々に勢いを失っていき、様々な伝説を残しつつ1994年8月31日にジュリアナ東京は閉店した。
ジュリアナ東京があった「第3東運ビル」は今もあり、ジュリアナの跡地は博報堂と広告会社TBWA WORLDWIDEの合弁会社が入っています。
過去にジュリアナがあったことを意識してか、エントランスにはミラーボールが!
過去にジュリアナがあったことを意識してか、エントランスにはミラーボールが!
via tamatch.com
スキードームSSAWS
1993年に巨大迷路の跡地にオープンしたゲレンデが高低差80m、長さ約480mを誇った当時、世界最大の人口スキー場。
真夏であっても施設内は氷点下に設定されているなど、空調代だけ考えてもバブルならではの規格外。
都心からも1時間かからない船橋に出来たことで、オープン当初から気軽に行けるスキー場として、多くのスキーヤーを喜ばせた。
遠方の人などは、電車ですぐの『東京ディズニーランド』と『SSAWS』と2日間かけて遊びに来るコースが、長期休みなどの定番だった。
真夏であっても施設内は氷点下に設定されているなど、空調代だけ考えてもバブルならではの規格外。
都心からも1時間かからない船橋に出来たことで、オープン当初から気軽に行けるスキー場として、多くのスキーヤーを喜ばせた。
遠方の人などは、電車ですぐの『東京ディズニーランド』と『SSAWS』と2日間かけて遊びに来るコースが、長期休みなどの定番だった。
SSAWSがあった跡地は、今や日本でも全国にお店を構えるようになった北欧家具のお店「IKEA」の第1号店ができて、今も賑わっています。
via www.mituyasu.com
白河高原スキー場
かつて福島県西郷村にあったスキー場。広大な土地を活かし、コースは6コース、リフトは5本、最長滑走距離は2,600メートル、最大傾斜は30度という大規模スキー場だった。
また、人口降雪機やナイター設備など、当時の最先端技術を誇っていたが、バブル崩壊とともにアクセスの悪さもあって、来場客が減り、廃業となっている。
また、人口降雪機やナイター設備など、当時の最先端技術を誇っていたが、バブル崩壊とともにアクセスの悪さもあって、来場客が減り、廃業となっている。