オリンピックでは、競技と共に思い出の音楽がある!!②
2018年2月24日 更新

オリンピックでは、競技と共に思い出の音楽がある!!②

「オリンピックでは、競技と共に思い出の音楽がある!!①」の続編だ。今回は1976年のインスブルックオリンピックからお話を進めて見ようかと思っています。どのような楽曲があったか、またトリビアなどを紹介しよう。懐かしく思われる方も多いのでは??

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自然保護の観点からオリンピック開催国が変更になった例!!

1976年インスブルックオリンピックは、1976年2月4日から2月15日まで、オーストリアのインスブルックで行われた冬季オリンピックである。当初、1976年冬季大会は1970年に開催された第69回IOC総会でデンバー(米国)での開催が決定していたが、環境破壊等の問題で住民の反対運動のため、1972年10月に実施された住民投票で大会開催が返上され、1973年2月にインスブルックに開催が変更されたのだ。

はっきり言って私はこの大会の出来事に関して思い出がほとんどないに等しい。一つの理由として日本人のメダル獲得者がだれもいないのでマスコミも騒ぐことができなかったのだろう!!
インスブルックのスキーのジャンプ台

インスブルックのスキーのジャンプ台

まだまだ使えそうですね!!!

カナダと英国が親密だったことが分かった1976年モントリオールオリンピック!!

上記動画を見ると、エリザベス英国女王が開会宣言を行っている!!。しかもフランス語で!!
理由は私には分かりますが、分からない方には宿題にします。ご自分で調べて見て下さい。

「モントリオール賛歌」ってご存知でしたか??

ルーマニアの妖精コマネチが女子体操で、10点満点を連発してすっかり有名になったことで知られる1976年のモントリオールオリンピック。実は、このモントリオールオリンピックの際にテーマ音楽として使われるはずだった「幻の曲」が、「モントリオール賛歌」なんです。
幻の曲と言いましたが、曲自体は存在し、音源もあるのですが、なぜかオリンピックの大会中一度も使われないまま大会は終了してしまったのだ。その理由は未だに明かされていない。まさにミステリーである。

モントリオールでは女子バレーボールと男子体操が金メダル!!

新東洋の魔女たち〜モントリオール・オリンピック〜Gold medal match 1976 Summer Olympic games

新東洋の魔女強し!!

1979年、ソ連のアフガン進攻で暗雲が垂れ込め始めた1980年レイクプラシッドオリンピック!!

1980年レークプラシッドオリンピックのジャンプ台

1980年レークプラシッドオリンピックのジャンプ台

アメリカ合衆国のレークプラシッドで開催された,第13回オリンピック冬季競技大会。1980年2月13日から 24日まで行なわれた。1932年第3回大会以来 48年ぶり 2度目の開催となったが,広い会場内の観客輸送や選手村の施設に不満の声が聞かれた。この大会では史上初めて人工雪が使用された。
開会の数ヵ月前,1979年12月にソビエト連邦がアフガニスタンに軍事侵攻し,アメリカのジミー・カーター大統領は 1980年夏に予定されていたモスクワ・オリンピック競技大会のボイコット声明を出した。

5 minutes of the miracle on ice

最も注目を集めた競技はアイスホッケーだろう。当時私はアメリカの中西部の大学に通っていた最中で,大学寄宿舎の食堂で学友たちと一緒にテレビ観戦をしていて、大学生中心のアメリカチームが当時無敵のソ連チームを破り,奇跡の優勝を遂げた時には一斉に歓喜の声に包まれ、思わず、となりの金髪娘と抱擁してしまった記憶が蘇ってきた。日本ではどうでしたか??

渡部絵美さんの演技 (レイクプラシッド五輪1980) Emi Watanabe

日本ではやはりこの人の話題ですかね!?。
前年の世界選手権で3位入賞を果たし、メダルの期待がかかったオリンピックでプレッシャーの中、ショートプログラムのコンビネーションジャンプを失敗してしまう。失意の渡部絵美の表情が辛い。しかし、フリーでは笑顔も見られ、絵美さんらしい演技をしてくれたことが救いだった。

レークプラシッドオリンピックのテーマ音楽はアメリカらしいヒュージョン音楽

Chuck Mangione - Give It All You Got

1980年レイクプラシッド冬季オリンピックのテーマ音楽はオリンピックの開会式でチャック・マンジョーネが吹いた“栄光を目指して(Give It All You Got)”だ。今でも時々聞くことがある超有名な曲だ。
あと、Feel So Goodも味がある曲である。
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