思い出の「昭和有名人マンガ劇場」:第10回 ルーマニアの白い妖精『コマネチ物語』!
2018年5月22日 更新

思い出の「昭和有名人マンガ劇場」:第10回 ルーマニアの白い妖精『コマネチ物語』!

僅か14歳ながら、モントリオール・オリンピックの大舞台で次々と10点満点を連発し、最年少での個人総合優勝を果たしたナディア・コマネチ。「白い妖精」と呼ばれたその姿は、今でも覚えている人は多いでしょう。今回はそのナディア・コマネチの伝記漫画である『コマネチ物語』を紹介します!

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「コマネチ!」
ミドルエッジ世代なら誰でも知っている、あのビートたけしのギャグでもお馴染みのルーマニアの体操選手と言えば、そう、白い妖精の異名を持つナディア・コマネチ!
オリンピック閉会式でのコマネチ。

オリンピック閉会式でのコマネチ。

僅か14歳ながら、モントリオール・オリンピックの大舞台で次々と10点満点を連発するその小さな姿に、当時のミドルエッジ世代の少年たちはすっかり心を奪われてしまったのだ。
世界中のアイドルとなり、当時の日本にも大きなブームを巻き起こしたコマネチ。実は彼女の伝記漫画が当時の雑誌に掲載されていたのをご存知だろうか?後述する様々な日本の雑誌に混じって、子供向けの漫画雑誌にまで彼女の伝記漫画が掲載されていたことは、その人気ぶりと幅広いファン層の証明だと言える。
そこで今回は、その伝記漫画『コマネチ物語』を紹介することにしよう。

日本に一大旋風を巻き起こしたアイドル的人気のコマネチ、その証明の数々

ルーマニアの切手にも彼女の顔が!

ルーマニアの切手にも彼女の顔が!

1961年にルーマニアで生まれ、6歳の時から体操の英才教育を受けたコマネチは、1976年に14歳で参加したモントリオールオリンピックで、段違い平行棒と平均台の演技で近代オリンピック史上初めての10点満点を出し、個人総合と併せて金メダル3個、団体で銀メダル、床で銅メダルを獲得!実はこの当時、オリンピックの体操競技で10点満点が出ることを想定していなかったため、得点を表示する電光掲示板には9.99までしか表示することができなかったとか。そのため電光掲示板には1.00と表示されることになる。ちなみに史上最年少での個人総合優勝を果たしたコマネチのこの記録は、現在に至るまで破られていないというスゴさ!

このコマネチの衝撃の登場で起こった世界的な大ブームは、音楽や映像、出版に至るまで、様々なジャンルに影響を及ぼすことになった。体操人口の増大はもちろんだが、その影響はなんと彼女が演技に使った曲にも及んでいる。
『妖精コマネチのテーマ』日本版シングルレコードの数々

『妖精コマネチのテーマ』日本版シングルレコードの数々

実はこの他にも数種が存在するほどの大人気だった!
米ABCのモントリオールオリンピック中継でコマネチが登場する際に使われた楽曲『妖精コマネチのテーマ』(バリー・デ・ヴォーゾン&ペリー・ボトキン・ジュニア)は世界的大ヒットとなり、写真でもお分かりの通り日本でもこれほど多くのバージョンがリリースされるほどの大人気だったのだ。

当時のコマネチ関係の出版物

日本でも翻訳が出た、コマネチの自叙伝たち

日本でも翻訳が出た、コマネチの自叙伝たち

左:1982年に発行された、コマネチ20歳の時の自伝『白き舞』
右:2004年に発行された自伝『若きアスリートへの手紙』
ルーマニアから亡命した後のコマネチが書いただけに、『白き舞』よりも内容的に深く掘り下げられている。
当時の特集誌の数々

当時の特集誌の数々

左:毎日グラフの臨時増刊号
右:週刊ベースボール臨時増刊号
当時の特集雑誌の数々

当時の特集雑誌の数々

左:中日新聞社刊『コマネチのすべて』
右:詳細不明『白い妖精コマネチ』
こちらはカレンダー&サイン入りポスター付き!
ちなみに『白き舞』は1982年発行の、コマネチ20歳の時の本。まだ亡命前に書かれているため、内容的には当たり障りのない優等生的な記述が多い。
更に詳しくコマネチについて知りたい方は、以下のリンクからどうぞ。

漫画『コマネチ物語』概要

『コマネチ物語』掲載誌表紙

『コマネチ物語』掲載誌表紙

本作が掲載されたのは、『月刊少年マガジン』の1976年11月号。以前ご紹介した『キングコング』コミカライズ版の後編も一緒に掲載されている。実は本作も、前編と後編の二回に渡って掲載されたのだが、残念ながら現時点で後編の掲載号が未入手のため、今回は前編のみの紹介とさせて頂いた。

ちなみに本作を描かれたのは、70年代当時少年ジャンプで活躍されていた逆井五郎先生。この『コマネチ物語』の他にも、同じく『月刊少年マガジン』1977年8月号には、当時香港から日本に上陸したアイドル『チェルシア・チャン物語』を書かれている。

漫画『コマネチ物語』内容紹介

「コマネチ物語」扉絵

「コマネチ物語」扉絵

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1976年のモントリオールオリンピックの女子体操で、14歳の少女が世界をアッといわせた。 団体戦規定の段違い平行棒でオリンピック史上初の10点満点。 さらに団体戦自由、個人総合、種目別でも完璧な演技をみせ、計7回の10点満点記録。 奪ったメダルは金3個、銀1個、銅1個。 153㎝、39㎏、白い肌、白いレオタード。 「白い妖精」といわれた。 1984年、22歳で現役引退。 1989年、チャウシェスク独裁政権が崩壊する直前、自由を求めてアメリカに亡命。 オクラホマ州で体操教室を開いた。 モントリオールオリンピックで初めて10点満点を出したとき、演技終了後、審判団は10点という点数を想定していなかったため「1.00」というスコアボードを掲げた。 現在はルールが変更されたので、10点満点は存在しない。
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