憎き敵
西夏皇帝のお墓が寧夏にはあります。
皇帝やその家族のお墓が点在しています。
いざ、決戦!!
朱王礼は長く西夏の武将として軍功を立てていましたが、これを契機に女の怨みから西夏皇太子・李元昊に背き、その外人部隊は反乱部隊となります。
しかし、反乱は寸前のところで失敗に終わり、ついに李元昊を討つことはできませんでした。
ツルピア姫に好意を寄せていた男の思いが爆発したのです。
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【 映画 敦煌 】 西夏漢人部隊 と 敦煌軍 敗北 【敦煌滅亡】 西田敏行 戦死
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文献を守れ!
大量の経典を戦火から守る方法はないものかと彼は考えました。経典を運搬する手段はなく、まして隠す場所もありません。西夏の軍は目前に迫っています。
行徳は、ホータン王族の血を引く隊商のリーダー・尉遅光うつちこうに白羽の矢を立てました。
この隊商のリーダーの欲得と、それを巧妙に利用した行徳の機転により、貴重な経典は敦煌の莫ばく高窟こうくつに運び込まれました。時に1035年のことでした。
隊商のリーダー・尉遅光うつちこうは戦後この隠匿物資を掘りに行きますが、その地で雷死し、程なく行徳も世を去り、この経典たちは、その存在を誰にも気付かれることなく、長い長い眠りにつくことになるのでした。
よく見つけましたねぇ(2008年当時)
学研から出ている歴史群像シリーズ「群雄・三国志」の表紙。
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これ、「敦煌」の合戦シーンの西田敏行の1ショットに極めてよく似ている。
……ていうか、同じだよね、これ。
う~ん、確かに。
それにしても、よく気が付きました!
よほどこのシーンが印象に残ってたんでしょうね。
それにしても、よく気が付きました!
よほどこのシーンが印象に残ってたんでしょうね。
一説によると、教育・文化の向上、軍備増強に努めた名君という説もあるそうですが、色の道は別物なんでしょうか。。