著書『昭和オカルト大百科』では、70年代に大きな注目を集めた オカルト勢が数多く登場します。なかでもノストラダムスに関しては、”恐怖の大王“がやって来るとされた、あの”1999年7の月”から2019年7月で丸20年が経過しました。今あえて1999年当時を振り返るとしたらいかがでしょうか?
ノストラダムスが熱く語られたのはやはり70年代で、80年代以降、特にバブル期以降はもうああいうロマンチックな終末論への感心はすっかり薄まって、みんなが半笑いの思い出話としてしか語らなくなっていたと思います。また、終末論に影響されたオウム事件、そしてある意味で終末を連想させるほどの被害をもたらした阪神淡路大震災が95年に起きているので、かつての娯楽的オカルトのノリで「世界の終わり」を語るような余裕が当時はなかったような気がします。
著書『昭和ちびっこ未来画報』に掲載されているかつての“未来予想図”が非常に懐かしいです。昭和後期に多くの方が感じていたであろう21世紀という強烈な未来的キーワード。
車が空を飛び、人型ロボットが暮らしをサポートしてくれるなどのイメージがありました。現在はこうしたイメージとは異なる技術の発展をみせていますが、かつてのイメージはいつ頃まで有効だったのでしょうか?
21世紀が「未来」として空想されていたのは80年代までだったという印象です。70年の大阪万博のころがピークで、SF的な「未来」イメージがメディアに氾濫しました。でも、85年のつくば万博の展示には、もうそういう雰囲気がなかった。21世紀は夢のような「未来」ではなく、実現可能なテクノロジーの集積という形でしか想像されていなかったと思います。やはり70年代の未来観の根底には戦後の高度経済成長があった。高速道路や新幹線が急速に整備されて、日本が一気に変わっていく時代だったからこそ、とてつもなくファンタジックな21世紀のビジョンにもリアリティが感じられたんだと思います。経済成長が頭打ちになると未来のイメージも地味になっていく、ということなのでしょう。