カリギュラ(Caligula)
1980年のイタリア・アメリカ合作映画。当時のペントハウス誌社長ボブ・グッチョーネが46億円の巨費を投じて製作した。表向きはローマ帝国皇帝カリグラの放蕩や残忍さを描いた重厚な歴史超大作であったが、実態はハード・コア・ポルノである。この映画の撮影はアメリカ映画協会(MPA)を通さず秘密裡に行われ、ニューヨークでは劇場を一館買い取って公開されて大ヒットを記録した。映画の脚本を基にしたノベライズもあり日本でも翻訳出版された。
なおカミュによる戯曲の「カリギュラ」とは全く無関係である。
ニューヨーク出身だが若い頃からヨーロッパを放浪し、コック・俳優・探偵・漫画家などの職を転々とするデタラメな人生を送った後、雑誌の編集に関わったのを契機に出版業界に参入、イギリスで猥褻本の通販に成功して荒稼ぎをし、そこで得た資金を元にアメリカでエロス本ペントハウスを創刊し、それ売れて大富豪となったボブ・グッチョーネ製作総指揮による、一流のスタッフ・キャストを集めて作り上げた豪華絢爛歴史スペクタクルハードコアポルノです。
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スタッフ
監督はイタリアのポルノ映画界の巨匠ティント・ブラス。主演はカリギュラ役のマルコム・マクダウェル、皇帝ティベリウスのピーター・オトゥールほか、サー・ジョン・ギールグッド、当時すでにシェイクスピア女優としての地位を築いていた演技派女優のヘレン・ミレンなど豪華キャストの上、脚本家にはゴア・ヴィダル、製作はフランコ・ロッセリーニという布陣であった。しかし撮影現場はトラブル続きで不協和音の連続だったという。後で付け加えられたハードなポルノ・シーンはボブ・グッチョーネがペントハウスのモデル達を使って別撮りしたとされ、主要キャスト陣は関わっていないという。しかも、当初はこの作品がポルノになることは出演者たちには全く知らされていなかったという。
ポルノ映画への改変
映画秘宝によると、ピーター・オトゥールは後にグッチョーネとブラスを訴えようとしていた(「当時はアルコール依存症だったとはいえ、騙されてポルノに出演させられた、詐欺だ。」と騒ぎ、自分のキャリアに傷が付いたとして裁判を起こそうとした)。結果的には、当時のオトゥール自身が精神的に正常ではなかったため、うやむやなまま終った。
ゴア・ヴィダルは雑誌『タイム』誌上でブラスを批判した後、製作途中でスタジオから閉め出されたため、自分の名前がクレジットに載ることを拒み、グッチョーネらを訴えた。
マルコム・マクダウェルはグッチョーネの名を聞き、「ポルノ映画なんてごめんだ」と言ったが、脚本のヴィダルは「ただの会社の役員さ。気にしなくていい」と言われ、出演した。彼は鷹を観ているシーンを撮影したにもかかわらず、監督らによってレズビアンのシーンが挿入され、激怒したと語っている。
ようするに、脚本のゴア・ヴィダルは口の悪さから他のスタッフとトラブルを起こし現場を追放、
監督のティント・ブラスはこの映画をただのポルノで終わらせるのをヨシとせず、思想性を大盛りにしようと企んでクビ、
これまでに二度のアカデミー賞受賞経験のある美術監督のダニロ・ドナティは、湯水のように金を使って桁外れにゴージャスなセットと衣装を共に異常な量(セット数は64、衣装総数は3592着)作成。
そんな紆余曲折を経て映画は何とか撮影終了するのだが、エロスが足りないと感じていたボブは、自分自身の演出によってファックシーンや、男女性器大写しシーンなどを撮り足し、映画をぶち壊しに。
監督のティント・ブラスはこの映画をただのポルノで終わらせるのをヨシとせず、思想性を大盛りにしようと企んでクビ、
これまでに二度のアカデミー賞受賞経験のある美術監督のダニロ・ドナティは、湯水のように金を使って桁外れにゴージャスなセットと衣装を共に異常な量(セット数は64、衣装総数は3592着)作成。
そんな紆余曲折を経て映画は何とか撮影終了するのだが、エロスが足りないと感じていたボブは、自分自身の演出によってファックシーンや、男女性器大写しシーンなどを撮り足し、映画をぶち壊しに。
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そうして出来上がった『カリギュラ』は、どう考えてもR指定間違いナシ、一般劇場での公開不可能な完全成人映画になったが、ボブはMPA(日本で言う映倫みたいなもの)を通さず、独自に映画館を開業してソコで『カリギュラ』を上映してみせるという荒技を見せる。
批評的には散々だったが、話題性だけは抜群だった『カリギュラ』は、通常の映画よりはるかに高い入場料ながら全米で爆発的にヒットし、海外配給も大成功に終わる。
批評的には散々だったが、話題性だけは抜群だった『カリギュラ』は、通常の映画よりはるかに高い入場料ながら全米で爆発的にヒットし、海外配給も大成功に終わる。
ストーリー
ローマ帝国黎明期。
初代皇帝アウグストゥスの死後、義理の息子ティベリウスは第二代ローマ皇帝の座に就き、軍事・政治の両面に手腕を発揮して安定した治世を10数年行うが、堕落したローマ市民の享楽的な生活に対する引き締めを図った結果人望を失い、ついでにやる気も失ってカプリ島で隠居生活を開始する。
初代皇帝アウグストゥスの死後、義理の息子ティベリウスは第二代ローマ皇帝の座に就き、軍事・政治の両面に手腕を発揮して安定した治世を10数年行うが、堕落したローマ市民の享楽的な生活に対する引き締めを図った結果人望を失い、ついでにやる気も失ってカプリ島で隠居生活を開始する。
しかし、ティベリウスの不在を良い事に、腹心だった親衛隊長のセイアヌスが帝位への野心を丸出しにした活動を開始し、その果てにティベリウスの子ドルッススを暗殺するに至ったため活動再開する。
ティベリウスは速やかにセイアヌスを逮捕させると、その三人の子もまとめて処刑。
この処刑は、セイアヌスの子供の中に14歳になる少女がいたのだが、その少女が処女であったため当時のローマ法では処罰できないという問題にブチ当たり、死刑執行人がその少女を予めレイプしてから処刑したという、余談もあったりします。
ティベリウスは速やかにセイアヌスを逮捕させると、その三人の子もまとめて処刑。
この処刑は、セイアヌスの子供の中に14歳になる少女がいたのだが、その少女が処女であったため当時のローマ法では処罰できないという問題にブチ当たり、死刑執行人がその少女を予めレイプしてから処刑したという、余談もあったりします。
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元々強力だった猜疑心に磨きをかけたティベリウスは、厳格な政治というようなレベルを飛び越えた恐怖政治を開始する。
幾人もの元老院議員を“国家反逆罪”と断罪して処刑、さらには市民に対しても理不尽な罪状での逮捕・処刑を繰り返し、ローマを恐慌状態に陥れることとなります。
幾人もの元老院議員を“国家反逆罪”と断罪して処刑、さらには市民に対しても理不尽な罪状での逮捕・処刑を繰り返し、ローマを恐慌状態に陥れることとなります。
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