【バルビーノ・ガルベス投手】積み上げた勝利数よりも重かった「あの1球」
2016年11月25日 更新

【バルビーノ・ガルベス投手】積み上げた勝利数よりも重かった「あの1球」

斉藤・槙原・桑田の三本柱に衰えが見えた巨人のローテーションを支え、NPB在籍5年間で46勝を挙げた、ガルベス投手。彼が投じた「ある1球」は野球ファンの間でいつまでも残っている。だがそれは、マウンドから投じられたものではなかった…。

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球史に残る「あの1球」

翌1997年も先発ローテーションの中心に座ったガルベス投手。打線との兼ね合いなどが原因となり「貯金」を作る事は出来なかったものの、槙原投手と並んでチームトップの12勝(12敗)を挙げます。
ですが、そんな活躍よりもガルベス投手の印象が強いのは、1998年7月31日の阪神タイガース戦で投じた「あの1球」でしょう。

「ガルベス事件」を報じるスポーツニュース

下の画像のガルベス選手の隣にいる「ダンカン選手」がわかった人はよほどの巨人ファンでは?
主審にボールを投げるガルベス選手

主審にボールを投げるガルベス選手

この大事件を起こしたガルベス投手に対して、下記の様な処分が下されました。
巨人監督の長嶋茂雄が投手交代を告げ、ガルベスにベンチへ戻るよう指示したため退きかけるが、その途中で突然振り返り、橘高を目掛けてボールを投げ付けた。ボールは大きく逸れたため橘高への直撃は免れたものの、激怒した橘高はガルベスのもとへ駆け寄り、ガルベスもベンチから出て乱闘騒ぎになる。この際、止めに入った吉原孝介はガルベスの肘が顔に当たり、口中を切って出血していた。ガルベスはその場で退場を宣告され、翌日にセントラル・リーグから「1998年シーズン残りの出場停止」という処分が発表されたほか、これとは別に巨人からも「無期限出場停止及び罰金4000万円」という処分が下された。
この試合の後、長島監督が「丸刈り」になった事は大きな話題になりました。
 (1586025)

誤解・・・してませんか?

日本プロ野球史に残る一大事件を記憶している方も多いかと思うのですが、この事件がきっかけになってガルベス投手が翌シーズン以降、解雇された・・・と誤解(記憶違い)していませんか?実は契約延長しているのです。もちろん当時もガルベス選手の契約が延長になった事に批判が集まりました。
(この再契約についてセ・リーグの審判団が連盟に対して抗議文を送る程でした)

しかも「あの事件」が起きた翌年の1999年には、調整が遅れていた桑田真澄投手にかわって開幕投手に選ばれているのです(外国人投手の開幕投手は巨人初の事)
この1999年、ガルベス投手は9勝12敗と負け越します。
王監督と長島監督

王監督と長島監督

翌2000年、ジャイアンツはダイエーから工藤公康投手、阪神のダレル・メイ投手、ルーキーの高橋尚成投手ら新加入の投手。そして2年目の上原投手らがローテーションを形成。圧倒的な戦力で優勝を果たすものの、ガルベス投手は0勝6敗と5年目で初めての未勝利に終わり、この年限りで解雇されます。
※日本シリーズは、王ホークス対長島ジャイアンツの「ミレニアム対決」を制して巨人が日本一に。

ガルベス選手の本塁打

打撃がよかったガルベス選手は登板の少なかった2000年以外は毎年本塁打を打っていました(通算で10本)。更に満塁本塁打も2本打っているのです。
球歴を振り返ってみてお分かりかと思うのですが、ガルベス投手は斉藤・槙原・桑田のいわゆる「先発三本柱」に衰えが目立った時期から、上原投手、高橋投手といった新たな柱が確立されるまでの間、巨人の先発陣を支えていたのです。ガルベス投手の通算成績は、NPB通算5年で46勝43敗。「あの1球」だけで全てを語れるような選手では決してないと思うのです。
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