衝撃的だった1989年のドラフト!野茂英雄への8球団同時指名!!
そして私たちの耳に残った、パンチョ伊東の「第1回選択希望選手!のも!ひでお!!」
野茂英雄への8球団同時指名はもちろん凄いことながら、緊迫感溢れる現場を演出したパンチョ伊東の「野茂!英雄!」は、私たちの心に残る名シーンとして刻まれました。
1989年ドラフト会議 - YouTube
野茂英雄投手8球団競合
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「ドクターK」日本人メジャーの道を切り拓いた野茂英雄の足跡を辿る! - Middle Edge(ミドルエッジ)
ドラフト8球団指名、トルネード投法、日本人メジャーで初めての成功。輝かしい栄光に包まれた野茂英雄。でもその野球人生は決して平坦ではありませんでした。メジャー先駆者の足跡を追います。
同じく衝撃的だった清原・桑田のドラフトも、やはりパンチョ伊東の声が伝えたのでした
「読売、、、桑田真澄!」と読み上げる声が一瞬止まるところが、なんとも言えない現場の緊迫感を伝えてくれます。
1985年 ドラフト会議 巨人・桑田指名に清原涙 - YouTube
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パンチョ伊東
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1959年にパ・リーグ入り
1976年から1991年にかけてパ・リーグの広報部長を担当。と同時に、ドラフト会議では1991年まで司会を務めました。
黒い霧事件でパ・リーグの観客動員がセ・リーグの半分以下に落ち込んだ時に「我がリーグは3分の1リーグだ」と嘆いたことでも知られています。
黒い霧事件でパ・リーグの観客動員がセ・リーグの半分以下に落ち込んだ時に「我がリーグは3分の1リーグだ」と嘆いたことでも知られています。
【東尾修投手】黒い霧に覆われた低迷期~黄金時代の夜明けまで飛び続けた「トンビ」 - Middle Edge(ミドルエッジ)
「黒い霧事件」により、主力投手がチームを追放。翌年から入団間もない東尾投手がローテーションを担う事になる。長い長い低迷期からその夜明けまで投げ続け、そして引退後も監督としてライオンズに貢献した東尾投手の球歴を振り返る。
ドラフト会議でのパンチョ伊東のエピソード
1988年以前のドラフト会議は電光掲示板ではなく、選手名などが記された看板を掲示板に引っかけて表示する方式だったため、パンチョ伊東が選手名を読み上げた後すぐには漢字表記がわからないことがあったようです。
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例として、日本ハムファイターズから指名された芝草宇宙(投手、帝京高)の「宇宙」を説明するために、英語に堪能な伊東は「ひろしは宇宙、大宇宙、コスモ」と例えたそうです。
1984年のドラフト会議では、横浜大洋ホエールズに指名された蒲谷和茂に対して「うなぎの蒲焼きの蒲」と発言。
1984年のドラフト会議では、横浜大洋ホエールズに指名された蒲谷和茂に対して「うなぎの蒲焼きの蒲」と発言。
ドラフト会議の場内が爆笑に包まれた漢字表記の説明
最も物議を醸したエピソードとしては1972年、大洋ホエールズ4位指名の益山性旭(投手、大阪福島商高)の名前を説明する際に、「『性』はセックスの性!」と高らかに説明した件が挙げられる。この「セックス」はいわゆる性行為ではなく「性別」の意(英語ではどちらも“sex”である)であり、英語が堪能な伊東らしい言い回しではあったのだが、場内は爆笑に包まれ、特に当時近鉄バファローズ監督の西本幸雄は座っていた椅子から転げ落ちて大笑いしたという。後日伊東は「『性別の性』と言っておけばよかった」と語っており、益山に対して謝罪している。
例え方は決して間違っていないのですが、やはり想起させるものがそっちだったのでしょうね。