思い出に残る、プロ野球ドラフト会議 - Middle Edge(ミドルエッジ)
「【松井秀喜】長島監督、運命を感じさせる『鬼のヒキ強!』」「【野茂英雄】史上最多の8球団から指名」「【元木大介】ダイエーの指名を断り、ハワイへ野球留学へ…」「KKドラフト事件」「江川事件」…
一方では、メジャーリーグ通としても知られました
パ・リーグの仕事の合間を縫って、メジャーリーグの全球場を巡るのが趣味でした。
アメリカでは、メキシコ人に似た風貌から「Pancho」のニックネームを与えられ、次第に球団関係者のみならず選手にもコネクションを広げていき、「マイナーリーグクラスの選手でも『パンチョ』の名を知らないものはいない」とまで言われました。
アメリカでは、メキシコ人に似た風貌から「Pancho」のニックネームを与えられ、次第に球団関係者のみならず選手にもコネクションを広げていき、「マイナーリーグクラスの選手でも『パンチョ』の名を知らないものはいない」とまで言われました。
2002年に心不全で逝去、パンチョ伊東の残したメッセージ
2000年ごろから内臓に多発性のがんが発見され、入退院を繰り返しました。
がんと戦いながらも2002年7月4日、心不全で死去。
最後にこんなパンチョ伊東らしいメッセージを残されました。
がんと戦いながらも2002年7月4日、心不全で死去。
最後にこんなパンチョ伊東らしいメッセージを残されました。
まさか、長い野球人生の間に、こんな事でピリオドを迎えるとは思っていなかった。
しかし振り返ってみれば、ディマジオ最後のホームラン、ジャッキー・ロビンソンのホームラン…これら日本野球の歴史に残る、ものすごい当たりを見られたことはこれほど人生にとってラッキーな事があるだろうか。
これから先、日米野球でたくさんのチームが来日するだろう。そのたびに新しい歴史が出来ていく。そういうことを。それを大いに期待したいものだ。
それを本塁ベースの向こうからじっくり眺めていたい。ではみなさん、さようなら。パンチョ伊東