そして東京駅八重洲地下街で毒入りのチョコレートが見つかった同日の2月14日、神田駅のトイレでも男性がチョコレートを拾っています。この男性は用心をせずに、このチョコレートを電車の中で食べてしまい、意識不明で秋葉原駅から救急車で病院に搬送。しかしこの時は食中毒と診断され、警察への届けもなく翌日には退院しています。
かなりの時間が経った翌年のこと、このことが捜査員の耳に入り、被害者本人から提供のあったチョコレートを分析した結果、微量の青酸ナトリウムが検出されたのです。手口は、八重洲口で見つかったチョコレートと同じで、銀紙を少しだけ剥がしてチョコレートの裏側を削り取り、青酸ナトリウムを混入させるというものでした。
かなりの時間が経った翌年のこと、このことが捜査員の耳に入り、被害者本人から提供のあったチョコレートを分析した結果、微量の青酸ナトリウムが検出されたのです。手口は、八重洲口で見つかったチョコレートと同じで、銀紙を少しだけ剥がしてチョコレートの裏側を削り取り、青酸ナトリウムを混入させるというものでした。
更に続いた?毒チョコ事件
これら2件の青酸チョコレート事件から警察も改めて捜査を開始し、事件が発生した2月14日より前にも、東京駅でチョコレートの入りのバッグを見たと言う複数の証言も得られています。これらの毒入りチョコレートは同一人物が置いたもので、青酸入りコーラの犯人である可能性が高いと判断されていましたが、真相は判明してません。
via ja.wikipedia.org
飲料販売も大きく変化することに
1977年当時、回収&詰め替えのリターナブルボトルを使った自動販売機は珍しくありませんでした。しかしこの事件がきっかけとなり、自動販売機の主流は1度開けたら元に戻せないプルトップ付の缶になっていきます。瓶での販売も、スクリューキャップに変更。今では普通に購入しているさまざまな缶やペットボトルの飲料。実は、この毒入りコーラ事件がきっかけとなり、現在の飲料の形態になったのです。