アンミカ マイナスを美しさと強さに変えて、大阪発、初のパリコレモデル
2025年5月6日 更新

アンミカ マイナスを美しさと強さに変えて、大阪発、初のパリコレモデル

19歳、「自称モデル」時代、アルバイトで貯めたなけなしの10万円でエアーチケットを買って、5万円を握りしめて、単身、パリへ。そして20歳で「世界のAHN MIKA」に。

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そしてアルバイトをしながら勉強をして、資格を取った。
「今後の役に立つような資格をとることを父と約束したんです。
言われた通り、資格をたくさん取りました。
若くて常識を心得ていると社長秘書になれると思い秘書検定、言葉を知っていると便利かもと漢字検定、ちょっとでも雑誌にたずさわれる仕事ができたらとマスコミ校正などなど、モデルで独り立ちできなかったことを考えて実用的な資格を中心に勉強していました。
今は「芸能界での仕事に役立つような知識を得たい」と考え方は変わりましたが、資格を取ることにはますます積極的です」
と21個の資格を取得。
肝心の「モデル」は、最初の契約通り、高校卒業と同時に事務所を辞めさされたため、
「フリーのモデル」
という立場だったが実際は、
「自称モデルのフリーター」
やってくる仕事は、ほとんどが水着モデル。
「服飾専門学校のデッサンモデルとなり、レオタードにハイヒールで立ちっぱなしとか。
それで1日5000円もらえれば最高というくらい仕事がなかったんです」
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「私がやりたいのはこんなんじゃない」
「イヤだ」
と思いながらやっていたが、お金も、モデルの仕事もない状態が続き、焦りが増すばかり。
「もうアカン」
「もう無理かも」
不安な日々を鬱々と過ごした末、ついに、
「パリに行こう!」
と一念発起。
当時はナオミ・キャンベルやクラウディア・シファーなどのスーパーモデルブームで
「一流モデルへの近道はパリコレに出ること。
そのためにはまずパリのモデル事務所に入ることが1番。
当てはないがいけば何とかなるだろう」
と思ったのである。
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パリコレ、正式名称「パリコレクション」は、19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで誕生し、
「モデルがランウェイを歩く」
というスタイルで100年以上の歴史を持つ世界で最も規模が大きなファッションショー。
毎年、3月と10月に開催される「パリ・プレタポルテ・コレクション」、1月と7月に開催される「パリ・オートクチュール・コレクション」を併せて「パリコレクション」と呼び、たくさんのデザイナーが新作を発表する。
ちなみにプレタポルテとは「高級既製服」、オートクチュールは「高級仕立て服[1点物のオーダーメイド服)」という意味。
世界の高級ブランドの新作発表会であり、その年のファッションのトレンドを決めるパリコレは、シーズン毎にテーマやムードに合わせて会場が変わり、パリの中心部の大きなホールや美術館、倉庫にセットが組まれ、完全招待制で一般人は入ることはできず、世界中から選ばれたジャーナリストやアパレル関係者、著名人など限られた人しかみることができない。
高い芸術性を求められるパリコレのモデルは、美しさと個性を重視され、ファッションモデルの中でも破格のギャランティーを誇るモデルを指す「スーパーモデル」という言葉は1990年代に知られるようになった。
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19歳のアンミカは、
「パリコレ行ったことありませんか?」
と大阪、御堂筋の有名な美容室を片っ端から聞いて回り、情報を収集。
バイトで貯めた、なけなしのお金で10万円で1ヵ月間フリーのエアーチケットを買い、5万円を握りしめて、単身、パリへ飛んだ。
「当時の私には失うものがなく、パリへの挑戦は人生を変える希望しかなかった。
皆さんの想像とは全く違うんです」
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現地で20社ほどのモデル事務所に電話をかけて面接を求めたが、ほとんどの会社に
「アジア人はいらない」
といわれ、会ってもらえたのは、3社だけ。
喜び勇んで出かけたが、2社は、パッとみられただけで即、不合格となり、帰らされ、3社目も同じ扱いを受けたが、後がないアンミカは食い下がった。
「どうしてダメなのか、せめて理由だけでも教えてほしい」
すると目の前の女性は
「あなたは自分をまったく知らない」
「ンッ?」
「今着ている服だけど、どういう意味で選んだの?」
「エッ?」
アンミカの反応をみて女性はヤレヤレという顔で肩をすくめ、
「いまのあなたのファッションは服の個性も自分の個性も殺してる。
色も形も素材もあなたの長所をかき消して欠点を浮き彫りにしている。
あなたは自分のことも洋服のことも全然理解していない。
安物を着ていたとしても、どこかキラリと光るセンスを感じさせるとか、洋服のセンスが悪くても、あなたという素材がバツグンに良いとかならデザイナーのインスピレーションに引っかかると思う。
でも今のあなたでは無理。
どのデザイナーのインスピレーションにも引っかからない。
だって私でさえ、ちっとも引っかからないもの。
例えば白って世の中200色あるのに、あなたは自分に最も似合わない白を選んでいる。
日本に帰って自分に似合う色や形をトコトン勉強して、「似合う」と「好き」を近づけてから、もう1度チャレンジしなさい」
まったく予想していなかったことをいわれ、アンミカは唖然と立ちすくみ、その後、スゴスゴと事務所を後にした。
「完全に敗北です」

コムドットやまと、アンミカとIKKOの暴走トークにタジタジ!?名言連発で会場大爆笑「黒は300色あんねん」 『第5回ベストフォーマルウェアアワード授賞式』


「モデルとして一流に、唯一無二の存在になりたいなら、私はまだまだ自分を磨くべきだ」
パリから帰国後、大阪に戻ったアンミカは、貧乏生活を送りながら自分探しに邁進。
ギャル向けのチープな店からハイブランドのブティックまで、ありとあらゆる種類のアパレルショップを巡って、片っ端から試着。
「これとこれならどっちがいいと思います?」
と店員に意見を求め、自分に似合う色や形などを研究した。
「Tシャツとデニムという一見何の変哲もない恰好をしていたとしても、自分を知っている人はTシャツの色合いや首の開き具合、長さ、デニムの色、デザイン、丈などが絶妙だったりして、その人の欠点をカバーして長所を最大限活かしている。
当然、そういう人は素敵にみえます。
私の場合、なで肩がコンプレックスなのですが、見方を変えるとなで肩のおかげで首がほっそりみえる」
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ある日、知り合いのヘアメイクから京都のディスコで行われるファッションショーに誘われ、自称モデルのフリーターであるアンミカは大阪から京都まで往復で数千円かかるため、少しためらったが参加。
ショーをみていると
「君は日本人じゃないよね?」
とドイツ人カメラマンに声をかけられた。
自分が韓国人であることを告げるとドイツ人カメラマンは、
「僕の奥さんも韓国人なんだ」
といい、翌日、予定していた竹林での撮影に
「モデルをしてほしい」
と誘った。
(初対面の外国人と一緒に竹林・・・・)
アンミカは、かなり怪しいシチュエーションに一瞬ひるんだが、知人もいくということで誘いを受け入れた。
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このドイツ人カメラマンの名は、ロバート・ショーナー。
アンミカは、日本人デザイナー、山下隆生のつくった服を着て撮影に臨んだ。
撮影された写真は、
「THE FACE」
というイギリスのファッション誌に掲載された。
アジア人として初めて「THE FACE」に取り上げられたアンミカは、ヨーロッパで賞まで受賞し、世界的に名が知られるようになった。
山下隆生とファッションブランド「ビューティービースト」も、この写真がきっかけ注目されるようになり、多くのファンを獲得。
山下隆生は、
「アンちゃんのおかげや」
といって、必ず自分の服のモデルとして必ずアンミカを起用。
1994年のパリコレクションへの参加することが決まると、日本からアンミカを連れていった。
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こうして夢にまでみたパリコレにデビューすることになったアンミカは、喜びで武者震いしながらステージを務めた。
「何より感動したのは、自分がステージに立つことより、ショーの舞台裏の迫力を肌で感じられたこと。
本番前と本番中は、デザイナーのほか、スタイリストなどのスタッフが忙しく立ち働いてピーンと張りつめた空気感。
デザイナーは「こういう気持ちで舞台に出て」といってモデルの肩をバンっと叩いて送り出し、舞台の袖で、その姿を見守る。
そしてコレクションが終わると、みんな抱き合って成功を喜び合う。
中には涙を流している人もいるほどです。
そんな様子から発表する作品に対するデザイナーたちの強い思い入れが伝わってきます。
それを肌で感じてつくり手の喜びを知っただけでも感動的なのですが、自分もその一員であることを思うと感慨もひとしお。
ショーモデルという職業の本分を痛感させられたものでした」
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20歳で「自称モデルのフリーター」から「世界のAHN MIKA」となったアンミカは、パリコレデビュー後、パリのモデル事務所に所属。
「1回目は門前払いだったエージェントのマネージャーと再会。
その事務所に所属することになりました」
オーディションの連続で幾多の屈辱を経験しながら、悔しさをバネに果敢に挑戦し続け、数々のコレクションに出演。
「パリにいた頃を思い出すと今でも悔しさが込み上げてくるくらい!
辛い経験でいっぱいです。
オーディション会場の扉を開けた瞬間に
「merci oba[メルシー・オバ、ありがとう、もういいよ)」
と帰されることがほとんど。
100個ショーがあったら、アジア人を必要とするショーは2個しかないといわれた時代、オーディション担当の方を訪ねて事務所にいったのに受付の女の人に
「あなたは会う必要はないわ。
あなたの容姿と雰囲気はいらないから」
と断られることもありました。
当時、パリのシャンゼリゼ通りには、泣きながら歩いているモデルの女のコたちがたくさんいました。
私と同じように断られたのでしょうね。
今でもテレビでシャンゼリゼ通りの映像をみると、その頃の辛い思い出が蘇ってきて胃がキュっとなります。
ブランドのイメージに合えば即、合格。
その場でコレクション会場の入館証を渡される子もいました。
そんな勢いで決まったかと思えば
「ごめん!
今朝のオーディションで、あなたより洋服が似合う子が見つかったの。
だから、今日、着てもらう洋服ないんだよね」と、当日会場で断られることも。
やっとの思いで合格して、コレクション会場に行くと、突然ケイト・モスの衣装を渡され、「これを持って、ランウェイを歩いて」といわれて、ランウェイに衣装がどう栄えるか、チェックをする為のリハーサルモデルだったという経験もありました」
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