巨人一筋の捕手・村田真一
90年代の巨人を支えた村田真一
プロ野球選手、指導者、解説者。現役時代のポジションは捕手。通称「チュウ」
1963年12月5日生まれ。兵庫県出身。右投右打。
1990年に山倉和博の引退に伴い、一軍に定着。翌1991年、正捕手となる。
以降、1990年代のジャイアンツを支える。親友斎藤雅樹や宮本和知とのバッテリーは、絵になるものであった。2000年は日本シリーズで大活躍。真のMVPは村田と言われた。
2001年に現役引退を表明し、その後はテレビ朝日野球解説者を務め、自社の解説者しか出演させない朝日放送の阪神-巨人戦ではゲスト解説として出演したこともある。
経歴と主な成績
経歴 滝川高-巨人(1982〜2001、2002〜2003、2006年〜)
初出場 1984年5月12日 対阪神8回戦 甲子園
初安打 1984年8月7日 対広島15回戦 高木宣宏 後楽園
初打点 1984年8月19日 対大洋20回戦 竹下浩二 横浜
初本塁打 1984年9月26日 対広島24回戦 山根和夫 後楽園
初盗塁 1991年6月30日 対中日10回戦 ナゴヤ
表彰 ベストナイン賞(1990年)
最優秀バッテリー賞(1996年)
背番号 56(1982〜1990年)-9(1991〜2001年)-89(2002〜2003、2006年〜)
via d.hatena.ne.jp
村田真一は阪神戦で打ちまくった!
左投手と「甲子園の阪神戦」に強く、1990~1992年の3年間、33本塁打のうち24本塁打を左投手から放ち、阪神甲子園球場での阪神戦では72打数27安打、打率.375 6本塁打と打ちまくった(なお、東京ドームでの阪神戦は62打数16安打、打率.258 3本塁打)。
層の厚い巨人軍にあって、やっと捕手のレギュラーを掴んだのが、1990年でした。
阪神戦に強いイメージは、その頃が特に強いのではないでしょうか。
地元・兵庫県神戸市の出身でもあります。
阪神戦に強いイメージは、その頃が特に強いのではないでしょうか。
地元・兵庫県神戸市の出身でもあります。
伝説の「10.8」での大活躍!
1994年、セリーグの優勝争い。
シーズン最終戦の10月8日までもつれ込み、その試合に勝利したチームの優勝となった一戦。
カードは巨人対中日。
日本のプロ野球史上、初めて同率首位で最終戦を迎えました。
当時の巨人・長嶋監督が「国民的行事」と言い切ったように、当時プロ野球人気も高く、非常に関心を集めた試合でした。
シーズン最終戦の10月8日までもつれ込み、その試合に勝利したチームの優勝となった一戦。
カードは巨人対中日。
日本のプロ野球史上、初めて同率首位で最終戦を迎えました。
当時の巨人・長嶋監督が「国民的行事」と言い切ったように、当時プロ野球人気も高く、非常に関心を集めた試合でした。
中日VS巨人 94年10.8決戦 村田真一、今中慎二から価千金のホームラ�� - YouTube
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その試合で、村田は4回表にホームランを放ちます。
1アウト、1ストライク1ボールの場面。
右中間へ10号ソロでした。
早い回で、巨人が中日から4対2とリードを拡げる貴重な得点でした。
また、この試合でマスクを被った村田は、盗塁や牽制でランナー刺して肩でも貢献しています。
1アウト、1ストライク1ボールの場面。
右中間へ10号ソロでした。
早い回で、巨人が中日から4対2とリードを拡げる貴重な得点でした。
また、この試合でマスクを被った村田は、盗塁や牽制でランナー刺して肩でも貢献しています。
村田の死球がルールを変えた!
死球を受けて負傷する事も非常に多かった。
1994年5月11日のヤクルト戦で西村龍次から頭部へ死球を受け、激昂し西村へ詰め寄ろうとしたが数歩歩いた所で倒れ込み、担架で退場、そのまま病院へ送られる。
この後西村への報復死球、グラッデンへのビーンボールなどでたて続けに大乱闘が起こり、この事が危険球退場ルールが作られるきっかけとなったと言われている。
1999年4月9日には、斎藤隆(当時・横浜)から顔面に死球を受け、顔面骨折で入院した。
見舞いに訪れた元木大介が言葉を無くすほど顔面が変形していたという。
また、元木によると、清原和博が冗談のつもりで見舞い用果物としてバナナ1本を用意していったが、あまりの顔の変形のためにバナナを差し出すことができなかったという。
本人は早く治すために、リスクは少ないが全快には時間がかかる全身麻酔を取りやめ、激痛が伴う部分麻酔で手術を行うことを要求したという。
この時は「俺は顔を見せる商売じゃないんだから別にいいんだよ」と語ったが、さすがに顔の骨をドリルで削る音には耐えられず、後に「今度やるなら絶対に全身麻酔やな」と語っている。
ジャイアンツ村田、危険球当てられてブチ切れ!その後ぶっ倒れる!【乱闘専門チャンネル】 - YouTube
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ライバル捕手・阿部に技術指導
今年、打撃力の高い吉永幸一郎が移籍、ドラフト1位として期待されている阿部慎之介も入団してきた。
両方捕手。ポジション争いはもちろん厳しくなる。
こんなとき、だれもがポジションを渡さないがため、必死であろう。
まして自分の知っていることなどをライバルたちに教えるなど。
シーズン中、村田のある姿を目撃した。
それは、村田善則と杉山直樹―同じポジションのライバルであるはずの2人―に、自分の知っているキャッチャーの技術を教えている姿だった。
今キャンプでも、それは変わっていない。村田善、そして吉永や、阿部にも。
なぜ。
村田はインタビューでこう語っている。
「自分が(レギュラー争いに)負けても、チームが勝てばいいじゃないですか。
そりゃあ、レギュラーにはなりたいですけど、でも負けるときは負けるんだから。原ヘッドコーチに言われました。
『おまえがあって巨人があるんじゃない。巨人があっておまえがあるんだ。』
そのとおりだと思うんです。
巨人が優勝したら、ファンが、フロントが、読売グループが、みんな喜ぶじゃないですか。僕はファンとして、強い巨人が見たいですし、巨人は強くないといけないと思うんです。」