2001年、現役を引退
桑田真澄投手とともに3本柱と呼ばれた2人の最後のボールを受けたのは、村田真一捕手。“チュウ”と呼ばれた男も、槙原、斎藤同様これがラストゲームだった。「最後に2人のボールを受けられるようにしてくれた長嶋監督に感謝したい」と目を真っ赤にしてマスクをかぶった。
7回、杉本友投手から通算673本目の左前打を放った。「一塁ベースに立てただけで言うことないわ。自分でもこんなにできるとは思ってへんかったし、もうおなかいっぱい」。
81年のドラフト5位。ドラ1の槙原、斎藤から比べれば、レギュラーをつかむのに10年かかった。アキレス腱断裂、顔面骨折など選手生命を脅かすケガに襲われた村田にとって20年の現役生活はまさに奇跡だった。
※桑田以外の三本柱の2人は、槙原と斉藤の事です。
村田真一 入団から引退まで - YouTube
via www.youtube.com
いぶし銀の活躍だった現役生活
スター選手の多い巨人では地味な存在で、通算11年間正捕手を務めながら、前述の有田・中尾・大久保の移籍組のほか、吉原孝介、村田善則、杉山直輝といった生え抜きのライバルが多く、規定打席に到達したことは1回もなかった。
しかし投手陣からの絶大な信頼、安定したリード、打率こそ低いもののパンチの効いた打撃を武器に2000年までマスクを被り、第2次長嶋政権の中心となった。
この間チームは1994年、1996年、2000年の3回リーグ優勝し、1994年、2000年は日本一になった。
2000年の日本シリーズでは優秀選手にも選出されている。
日本プロ野球史上、規定打席に到達せずに年俸1億円プレイヤーとなった野手の第1号である。
捕手としての出場試合数「1087」は森祇晶、阿部慎之助、山倉和博に続く歴代4位の球団記録である。
村田は、ピッチャーのコントロールミスで打たれても、「私の責任です。」と言うような男でした。
捕手としては、上と下の世代に挟まれながらも結果を出した選手でしたね。
90年代の巨人の正捕手と言えばやはり村田です。
捕手としては、上と下の世代に挟まれながらも結果を出した選手でしたね。
90年代の巨人の正捕手と言えばやはり村田です。