HRが量産されて当然?昔のプロ野球の球場の広さを調べてみた
2018年2月3日 更新

HRが量産されて当然?昔のプロ野球の球場の広さを調べてみた

王貞治や野村克也が本塁打を量産できたのは、球場が狭かったからだ!…プロ野球好きの間でそんな話をよく聞きます。では、今はなき昭和の球場は、具体的にどれくらいの広さだったのでしょうか?今回、いくつかピックアップして調べてみました!

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衣笠球場 両翼89.9m 中堅110.1m 本拠地チーム:松竹ロビンス(1950年~1952年)

プロ野球のスポンサー企業は、時代を映す鏡。昔は、ダイエー・西武などの大手百貨店が多かったものですが、今ではDeNA・楽天・ソフトバンクといったIT系企業が台頭している事実からも明らかというものでしょう。

ということで、戦後復興期に大衆娯楽の中心だった映画界から松竹が、職業野球産業に参入していた時期もあり、運営していたチームの名は「松竹ロビンス」。その本拠地が、衣笠球場でした。広さで言うと、両翼は89.9m 中堅は110.1m。高校野球界で、極端に狭い「HR量産球場」として知られる神港学園のグラウンドでさえ、ライト93m、レフト100m、センター105mという事実を考えれば、プロ基準としてはあまりにも狭い球場といます。
衣笠球場

衣笠球場

広島県総合グランド野球場 両翼92m 中堅113m 本拠地チーム:広島東洋カープ(1950年~1988年)

漫画『はだしのゲン』で「広島カープはわしらの希望の星じゃ!」と言われていた頃の、カープのホームグラウンドがこちら。現在の本拠地『MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島』(右翼100m、左翼101m、中堅122m)と比べると、その狭さがよく分かるというものです。

また、同球場は塀が低かったため、入場料を払わずに客席に入ってくる観客が続出。そのため、当時の監督・石本秀一が試合そっちのけで見張っていたという逸話も残っています。
広島市民球場

広島市民球場

川崎球場 両翼89m 中堅118m 左中間105m 右中間103m 本拠地チーム:高橋ユニオンズ・大洋ホエールズ・ロッテオリオンズ(1954年~1991年)

往年の名選手・村田兆治曰く、川崎球場ほどプロ野球の醍醐味を味わえる球場はなかったといいます。ブルペンがスタンドから間近に見えて、ブルペンキャッチャーのミット音までハッキリ聞こえたそう。また、投手が打たれたときのベンチ裏の慌ただしさも手に取るようにわかったといい、テレビでは味わえない生の臨場感がそこにあったというのです。まぁ、客席とグラウンドが近すぎるせいで、レオン・リーの空振りしたバットが観戦していた男子小学生の口を直撃し、歯を折損させる事故なども起きましたが…。

しかし、選手にとっては、汚い、(ヤジが)キツイ、(打たれると狭いから)危険という「3K球場」だったといいます。湿気がすごくて夏場ロッカーにバットやグローブを入れっぱなしにするとカビが生えたとのこと。さらに、ファウルボールが一塁側場外に落ちると、選手用駐車場に停めてあるロッテ選手の愛車にぶつかるという酷い有様だったのだとか。
シーズン中は客席ガラガラが当たり前で、スタンドで流しそうめんやマージャンに興じる客まで登場したことも含めて、これだけ多くのネタを提供する球場は、もう現れないでしょう。
川崎球場

川崎球場

後楽園球場 両翼87.8m、中堅120.8m 左/右中間110.1m 本拠地チーム:読売ジャイアンツ(1937年~1987年)

よく狭い狭いとネタにされる後楽園球場ですが、全体的な規模を見ると、川崎球場や広島市民球場よりは広かったことが分かります。なお、最終的には「両翼87.8m」となりましたが、建築当時は両翼が78mしかなかったこともあり、ホームランがあり得ないほど量産されたのだとか。

後楽園球場 Korakuen Stadium (1962)

大阪スタヂアム 両翼91.5m 中堅115.8m 左/右中間109.7m 本拠地チーム:南海ホークス・近鉄パールス・大洋松竹ロビンス(1954年~1988年)

「スタヂアム」というのが、なんとも時代を感じさせます。大阪・ミナミの繁華街ど真ん中にあったこの球場は、南海ホークスの黄金期を支えた球場として有名。建設当初は両翼84mという川崎球場以上の圧倒的狭さだったために、杉浦忠、皆川睦雄などのエースピッチャーが投球術を磨き上げ、反面、大砲・野村克也がホームランを打ちまくり、1965年に打率.320、42本塁打、110打点の成績で戦後初の三冠王に輝くなど、「伝説」をつくるのに一役買いました。
大阪スタヂアム

大阪スタヂアム

1985年当時の大阪球場。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

日本生命球場 両翼90.4m、中堅116m 左中間107.1m、右中間106.9m 本拠地チーム:近鉄バファローズ(1958年~1983年)

今はなき、猛牛軍団・近鉄バファローズの本拠地だったのが、『日本生命球場』です。準本拠地時代を入れると、1996年まで使用していました。球場の汚さは折り紙つきで、さしずめ“西の川崎球場”といった趣。ロッカーやトイレにあまりにもゴキブリやドブネズミが出現するため、助っ人外国人が辟易して帰国してしまったというエピソードも残されています。
日生球場の航空写真(1985年撮影)

日生球場の航空写真(1985年撮影)

日生球場 近鉄対ロッテ その1 試合前の様子

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