Lamborghini (ランボルギーニ)
1960年代
そこで、翌年カロッツェリア・トゥーリングによりボディの手直しを受けた「350GT」が市販車第一号としてデビューします。
400 GT (1966-1968年)
350GTのホイールベースを延長して4座席とし、ルーフラインの変更により全高を40mm高くし実用性を向上させた改良発展型として開発されました。
V型12気筒3,929cc、320馬力のエンジンを搭載。
独創的なスタイルと快適性の高次での両立がエグゼクティブの間で話題となっており350GTは130台以上、400GTでは250台以上、当時の超高級GTとしては非常に良好なセールスを記録している。
Miura / ミウラ (1966-1973年)
1966年から1973年までに約750台が生産。1966年ジュネーヴ・モーターショーに登場した当時は、市販車としての構想はなく生産は30台程度とされていましたが、見た目のエレガントさとは裏腹な闘牛のように荒々しいまでもの性能で市場からの人気が高まり、量産車として販売をされたランボルギーニの歴史に残る伝説のクルマです。
Espada / エスパーダ (1968-1978年)
エスパーダは完全4シーターのスーパーGTとして設計され、400GT、ミウラと同じV12エンジンをフロントに積み、全4輪ディスクブレーキを備えていました。
10年にわたる生産期間に累計1,217台という、当時のランボルギーニとしては比較的多い生産数。
1970年代
Urraco / ウラッコ (1972-1979年)
発売当初モデルのP250は、SOHCのV8エンジンを搭載し、最高出力は220PS、最高速度は240km/h。シリーズ計791台を生産して1979年に製造を中止。
Countach / カウンタック (1973-1981年)
プロトタ イ プのLP500が登場した、3年後の1973年に市販モデルのLP400が完成。