チームメイトだった森脇浩司は、津田の無二の親友でした。済生会福岡総合病院で闘病生活を送る津田に対して、積極的に様々な世話をしていたのも森脇だったのです。津田が奇跡的ともいえる回復を見せた時には、森脇は津田に対して言ったそうです。自分の年俸を半分にしても、津田の現役復帰を球団(福岡ダイエーホークス)に掛け合うと。退院後に居宅となる借家も手配していたそうです。
奇しくも森脇が結婚したのが、津田が亡くなった1993年。その披露宴では、亡き津田のための席も用意され、津田のグラスにビールを注いだ上にキャンドルサービスまで。同席していた金石昭人・清川栄治らの涙を誘いました。津田のマウンドに立つ姿は見られませんでしたが、一人息子の大毅君は、森脇らの計らいで福岡ドームのマウンドに始球式で立っています。
奇しくも森脇が結婚したのが、津田が亡くなった1993年。その披露宴では、亡き津田のための席も用意され、津田のグラスにビールを注いだ上にキャンドルサービスまで。同席していた金石昭人・清川栄治らの涙を誘いました。津田のマウンドに立つ姿は見られませんでしたが、一人息子の大毅君は、森脇らの計らいで福岡ドームのマウンドに始球式で立っています。
最後のストライク
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このように、壮絶な津田の野球人生は、多くのファンに強い印象を残しました。2000年には、晃代夫人の著書「最後のストライク」のドラマ化もされています。また、鹿児島市の居酒屋「のん呑ん亭」には、津田のことを書いた詩が店の壁面に掛けられているんです。ある詩人が即興で書いたものなのですが、この詩がFMラジオ番組の「信頼性要検証」で紹介され話題になったことから存在が広まり、後には津田の家族や関係者が来店するようになったそうです。
現在、広島で背番号14を引き継いでいるのが、エースの大瀬良大地。同じく東北楽天ゴールデンイーグルスで背番号14の則本昂大。実は、両投手が目標としている投手が津田恒美、その人なんです。
現在、広島で背番号14を引き継いでいるのが、エースの大瀬良大地。同じく東北楽天ゴールデンイーグルスで背番号14の則本昂大。実は、両投手が目標としている投手が津田恒美、その人なんです。