初期のブーム
1960年代のゲレンデ
最初のブームはレジャーブームが到来した1961年であり、この年はスキー客が年間100万人を突破した年である。 やがて、1972年の札幌オリンピックをきっかけにスキーブームが到来したとされている。
バブル景気到来
1987年に映画「私をスキーに連れてって」がヒットし、スキーブームが再来した。 レジャー白書によれば、最盛期であった1993年には1860万人にまで増加した。ちょうど同映画がバブルの時期に重なったこと、週休二日制の一般化、スキー用品の低価格化、企業の多角経営によるスキー産業(不動産、スキー用品)への参入、既存のスキー場の拡張、新規のスキー場の営業開始、各高速道路、東北、上越新幹線などの交通網の整備等を社会的背景として、スキーがレジャーとして一般市民に広がった。この当時はまだスノーボードは一般化していなかった。
高速が乗れない
明日24日にかけ、北日本から西日本の日本海側で #大雪 の予報が出ています。皆さんお気をつけて。雪のため全線通行止めになった #福岡都市高速道路 。脇を通る一般道は渋滞していた(23日午前7時11分、福岡市博多区で 足立浩史撮影)#雪 #福岡 pic.twitter.com/psBA7F1XDi
— 読売新聞写真部 (@tshashin) January 23, 2017
大都市からスキー場へのツアーバスも多数運行されたが、スキー場へのアクセスは自家用車が多かったため、大都市からスキー場エリアへの高速道路や並行する幹線道路は断続的な渋滞が発生していた。
たとえば関越自動車道では、通常の金曜の深夜にかかわらず50km以上の渋滞が生じたり、都内の環八においては、東名高速用賀インターから関越道東京側入口となる練馬まで15km程度の距離であるにもかかわらず、3時間~5時間かかることもよくあったという。
点滅信号機 Japan Blinking Signal
ご存知の方は深夜0時過ぎに一般道で向かったのではないでしょうか。
確か当時0時過ぎると一般道は信号機が点滅に変わり信号待ちが無かったからです。
その為か練馬から苗場まで2時間半くらいで行けました。