いよいよプロレスへ、きっかけは「屋台村プロレス」と「東京ウォーカー」
「そろそろちゃんと卒業して社会人に…と思ってたんですよね。
その頃に、当時面識のあった芸人さんが出ていた屋台村プロレスを東京ウォーカーで紹介してくれないかと…」
その頃に、当時面識のあった芸人さんが出ていた屋台村プロレスを東京ウォーカーで紹介してくれないかと…」
「屋台村プロレス」を東京ウォーカーで特集してもらうよう仲介
「これが縁で、屋台村プロレスのスタッフをやらないかと誘われまして。で、どうせやるならリングに立ちたいと思ったんですよね(笑
一度練習見せてもらって『あ、これなら俺もいけるかな』ってくらいに動機は不純でした(笑」
ミド編)学生プロレスのような感覚でしょうか?
「いや、当時はちゃんとしたプロレスラーが関わっていないとプロレス団体とは認めてもらえない時代。屋台村プロレスにはプロレスラー高野拳磁さんが関わっていたんです。
ただ当時は全日・新日・FMWなどをみて、こんなのやってたらやばいよなって思ってましたけどね(笑」
一度練習見せてもらって『あ、これなら俺もいけるかな』ってくらいに動機は不純でした(笑」
ミド編)学生プロレスのような感覚でしょうか?
「いや、当時はちゃんとしたプロレスラーが関わっていないとプロレス団体とは認めてもらえない時代。屋台村プロレスにはプロレスラー高野拳磁さんが関わっていたんです。
ただ当時は全日・新日・FMWなどをみて、こんなのやってたらやばいよなって思ってましたけどね(笑」
キラキラしたイベントと屋台村プロレス、二足の草鞋!
「それからは平日の月~金は昼日中に屋台村でプロレスの練習して夜はディスコ、クラブで遊ぶ。
土日はもっぱら昼にパーティーイベント、その後に屋台村で試合する。そんな生活してましたね(笑」
土日はもっぱら昼にパーティーイベント、その後に屋台村で試合する。そんな生活してましたね(笑」
けっこう儲かってた?屋台村プロレス
「そんな生活でしたが、クラブイベントとプロレスは来たお客さんを楽しませるという部分では同じ。クラブのイベントではお金や女目当てでやってた輩は潰れていったけど、お客さんの満足感を考えて楽しんでいた自分たちはやってこれた。だから集客イベントで培ったものというのは確実にありますね。」
DDTプロレスリングを旗揚げ!
旗揚げ当初は格闘技の流れを汲んだ、バチバチのプロレスだったDDTプロレスリング。
ところが、試合の激しさと集客数とが必ずしも一致しないことは当時から気づいていたという。
ところが、試合の激しさと集客数とが必ずしも一致しないことは当時から気づいていたという。
歴史と伝統を重んじる業界の「異端」に
「例えばプロレスを誰に教わったのか、師匠は誰かといったことも含めて歴史や伝統がある業界なわけですよね。
老舗のお煎餅やさんのような、頑固に味を変えずにやっていくみたいな。でもうちは面白いと思ったら味をどんどん変えちゃう。チョコレート味のお煎餅だったっていいじゃないかと思ってやってます。
つまり、そういった保守的な風潮がベースにあるジャンルだからこそ、それと全く違うことをやれば目立つことが出来るんじゃないかって発想ですね。」
ミド編)完全にベンチャー志向ですね(笑
老舗のお煎餅やさんのような、頑固に味を変えずにやっていくみたいな。でもうちは面白いと思ったら味をどんどん変えちゃう。チョコレート味のお煎餅だったっていいじゃないかと思ってやってます。
つまり、そういった保守的な風潮がベースにあるジャンルだからこそ、それと全く違うことをやれば目立つことが出来るんじゃないかって発想ですね。」
ミド編)完全にベンチャー志向ですね(笑
WWFのバックステージで再確認した、エンターテインメントに不変の風景
「世界最大のプロレス団体、WWFを訪れたことがあるんです。衝撃を受けましたよ。日本のプロレスと全然違う演出や見せ方、そしてリング上だけでなくバックステージも使う。
その上、そのバックステージでみた光景は幼いころのテレビの裏側と一緒。裏方さんがいて、ケータリングなんかもきっちり揃えてあって。
テレビが軸、テレビっ子だった自分にとっては、WWFのリング上だけでなく興行を成立させる裏方までを全部俯瞰出来たことが強みになったかなと思います。」
お話を伺えば伺うほどに、目の前にいる高木社長が典型的なベンチャー起業家に見えてきたミド編は、思わず質問してしまった。
その上、そのバックステージでみた光景は幼いころのテレビの裏側と一緒。裏方さんがいて、ケータリングなんかもきっちり揃えてあって。
テレビが軸、テレビっ子だった自分にとっては、WWFのリング上だけでなく興行を成立させる裏方までを全部俯瞰出来たことが強みになったかなと思います。」
お話を伺えば伺うほどに、目の前にいる高木社長が典型的なベンチャー起業家に見えてきたミド編は、思わず質問してしまった。
DDTプロレスリングは株式公開を目指してるんですか?
「実は上場を目指したこともあるんです。3年前に一度上場準備に動いたこともあるのですが、それを踏まえた上で、20周年まではまず個人商店で行こうと。
プロレス業界は、その多くが個人商店のなかにあってDDTプロレスリングはクリエイター集団なんです。20周年まではクリエイター集団として頑張って、その後は企業体を目指してもいいのかなと。
今回のさいたまスーパーアリーナは、そういった意味ではもう一回り大きなステージに打って出るための経験になればいいなと。その挑戦が、企業体を目指すための通過点、きっかけになれたら。」
プロレス業界は、その多くが個人商店のなかにあってDDTプロレスリングはクリエイター集団なんです。20周年まではクリエイター集団として頑張って、その後は企業体を目指してもいいのかなと。
今回のさいたまスーパーアリーナは、そういった意味ではもう一回り大きなステージに打って出るための経験になればいいなと。その挑戦が、企業体を目指すための通過点、きっかけになれたら。」
まだまだプロレスには可能性がある、それを創りたい
高木社長は、ただ単に試合をするのでなく見せ方をどうするのか、エンターテインメントとしての表現、手法を考えたとき、プロレスには大きな可能性があると語る。
それを創っていきたいのだと。
それを創っていきたいのだと。
当時のギャラは1試合5000円、しかし観客はお酒も進む場所なので客単価として2~3000円はあったはず。どう考えても屋台村プロレスは儲かっていたんじゃないかなと…