アニメや特撮とのタイアップから生まれた「プロレスラー」の激熱人生!!
2021年2月20日 更新

アニメや特撮とのタイアップから生まれた「プロレスラー」の激熱人生!!

プロレスの世界で一際目立つ容貌の「覆面レスラー」。その中には、アニメや特撮とのタイアップ企画として生み出されたキャラクターも多数存在します。この記事では、中でも特に著名な覆面レスラーを何人かピックアップしてご紹介したいと思います。

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アニメや特撮とのタイアップから生まれた「プロレスラー」動画を製作!!

本稿で特集する、アニメや特撮とのタイアップがきっかけとなり生まれた「プロレスラー」をこの機会に動画化してみました!
懐かしいプロレスラーの活躍を是非とも御覧ください!!

アニメや特撮とのタイアップから生まれた「プロレスラー」の激熱人生!!

タイガーマスク

まずご紹介するのは「タイガーマスク」。これは1981年から1982年にかけて放送されたテレビアニメ「タイガーマスク二世」のタイアップ企画として登場した覆面レスラーであり、現在に至るまで初代~5代目と、中の人を入れ替えながら活躍を続けています。ここでは、特に人気の高い「初代タイガーマスク」及び「2代目タイガーマスク」について掘り下げてみましょう。
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タイアップ企画の元となったテレビアニメ「タイガーマスク二世」

初代

1981年4月、蔵前国技館におけるダイナマイト・キッド戦で鮮烈なデビューを果たした「初代」タイガーマスク。その正体は「サトル・サヤマ」「サミー・リー」といったリングネームで当時海外で活躍していた佐山聡であり、新日本プロレスの熱心な誘いを受け帰国した佐山は、アニメから飛び出した現実のヒーロー「タイガーマスク」として、海外で培ったルチャリブレ(メキシコ式プロレス)を駆使した新時代のプロレスを披露。一躍人気レスラーの仲間入りを果たしました。
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佐山の人気を後押しした要素のひとつとして、テレビ朝日のアナウンサーであった古舘伊知郎の実況があります。当時古舘が実況を担当していたプロレス番組「ワールドプロレスリング」にて、佐山のプレイスタイルについて「四次元殺法」「超立体殺法」といった言葉を多用したことで、巷では空前のタイガーマスクブームが起こり、前述のワールドプロレスリングは平均視聴率が20%を超え、小学生の間ではタイガーマスクごっこが流行しました。
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プロレス全体の人気を牽引した「初代」タイガーマスクですが、その終わりは突然訪れました。1983年、漫画「タイガーマスク」の原作者・梶原一騎が逮捕される事件が発生し、その結果タイガーマスクの改名問題が浮上。そんな中、佐山は新日本プロレスとの契約解除を申し入れ、マスクを脱ぎその正体を明らかにすることとなりました。こうして、人気絶頂の中「初代」タイガーマスクは表舞台から姿を消すこととなったのです。
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その後の佐山ですが、総合格闘技「シューティング(修斗)」の普及に携わる傍ら「初代タイガーマスク」と再び名乗っての現役復帰などプロレスを中心に活動を展開していたものの、2015年には狭心症と診断され、2020年8月現在パーキンソン病の疑いで歩行が困難な状況が続いています。現在はリハビリを続けているとのことで、一日も早い復帰が待たれています。

2代目

佐山がマスクを脱いだ翌年の1984年8月、今度は全日本プロレスで「2代目」タイガーマスクが登場しました。この2代目の正体は当時「カミカゼ・ミサワ」としてメキシコに遠征していた三沢光晴であり、ジャイアント馬場の命を受け、田園コロシアム大会でのラ・フィエラ戦でデビューを飾りました。
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デビュー当初はジュニアヘビー級だった三沢ですが、1985年にはヘビー級へと転向。さらに翌1986年にはアメリカに遠征するなど、国内外で活躍の幅を広げていきました。しかしその一方で、「初代」が展開した空中技を多用する「四次元殺法」と、三沢が目指した「寝技のプロレス」との方向性の違いに苦しみ、故障により長期休養を余儀なくされた時期も。また、1988年に行った結婚の記者会見の席で「正体を明かす」という異例の行動を取り、しかもその後「2代目」としての活動を続行するなど覆面レスラーの前例に囚われない言動を展開しました。
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そして1990年、三沢は「マスクマンが上を狙うのは限界がある」として、マスクを脱ぎ捨てリングネーム「三沢光晴」として再出発を切ることとなりました。その後の三沢ですが、1990年に川田利明、小橋健太らとともに「超世代軍」を結成、全日本プロレスの中心人物として活躍し「プロレス四天王」の一人として90年代のトップレスラーとして君臨しました。さらに1999年にジャイアント馬場が死去すると、その跡を継いで全日本プロレスの社長に就任。翌2000年に社長を解任された直後には「プロレスリング・ノア」を設立し、「ノアだけはガチ(ガチンコ勝負を行っている)」がネットスラングとして流行するなど存在感を示していました。
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