「翼をください」「卒業写真」で知られるシンガーソングライター『山本潤子』のアレコレ!!
2020年11月12日 更新

「翼をください」「卒業写真」で知られるシンガーソングライター『山本潤子』のアレコレ!!

「翼をください」「卒業写真」などの名曲で知られるシンガーソングライターの山本潤子さん。気になり若い頃や旦那さん・お子さん等、様々な事を勝手に追ってみました。

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1973年4月に「赤い鳥」のメンバーである山本俊彦(2014年3月27日67歳没)さんと結婚されました。

因みに、1974年2月には、メンバー内でリーダーの後藤悦治郎さんとピアノ担当の平山泰代さんも結婚されています。

山本さんには、お子さんは、2人いらっしゃいます。
面白いエピソードがあります。名曲「翼をください」は約30年以上にわたり小学校の音楽の教科書に採用され、現在でも合唱曲として有名です。

当時小学5年生だったお子さん(長女)がリコーダーで「翼をください」を吹いていて、山本さんが「なんで知ってるの?」と驚き、それで、自分の歌っていた「翼をください」が学校の音楽の授業で採用されていると知ったそうです。

翼をください/山本潤子

小学5年になった娘が、ある日、リコーダーで聞き慣れた旋律を吹き始めた。
「なんで、知ってるの? それお母さんが歌ってた歌よ」 教科書に載っている「翼をください」だった。
「赤い鳥」解散
赤い鳥 ラスト・アルバム 書簡集 レコード

赤い鳥 ラスト・アルバム 書簡集 レコード

その後、グループでありがちな、方向性の違いから1974年9月に「赤い鳥」は解散してしまいました。
ただ翌月の10月には山本さんは夫の俊彦さんと、ベースの大川茂さんと共に、コーラスグループ「ハイ・ファイ・セット」を結成しています。
ハイ・ファイ・セット時代

ハイ・ファイ・セット 『卒業写真』 1975年

1975年には「東芝EMIエキスプレス」から、ユーミンこと荒井由美(現 松任谷由実)さん作詞作曲の名曲「卒業写真」をリリースしてメジャーデビューし、同曲の大ヒットもあって、「ハイ・ファイ・セット」は国民的人気グループとなりました。

更には、1977年、「フィーリングス」のカバー曲である「フィーリング」発表し大ヒットとなり「ハイ・ファイ・セット」は第28回NHK紅白歌合戦(紅組)に出場を果たしました。

その後も「ハイ・ファイ・セット」は、荒井由実さん作詞作曲「冷たい雨」や、小田和正さん作詞作曲の「忘れないわ」など、数多くのヒット曲を飛ばしたのち、1992年ん活動を休止。
その後、1994年9月に「ハイファイセット」は解散しています。
GOLDEN☆BEST ハイ・ファイ・セット コンプリ...

GOLDEN☆BEST ハイ・ファイ・セット コンプリート・シングルコレクション

ソロ活動
JUNKO YAMAMOTO

JUNKO YAMAMOTO

「ハイ・ファイ・セット」が解散した翌月の1994年10月には山本さんは、アルバム「JUNKO YAMAMOTO」でソロデビューしシンガーソングライターとしてソロ活動を開始されました。

1997年11月21日に開催されたサッカーワールドカップの予選で『翼をください』が話題になり「ニュースステーション(テレビ朝日)」出演。
更には、1998年の長野オリンピックのスキージャンプ競技での表彰式イベントなどで名曲「翼をください」を歌唱し、多くの日本国民や世界中のスポーツファンからもその素晴らしい歌声が称賛されました。
無期限休養
 (2238336)

その後も、山本さんは、ソロとしての音楽ツアーや楽曲リリースするなどの、活躍されていましたが、2014年2月23日、静岡県沼津でのライブで、同年5月から休養にはいることを、2月25日のブログで明らかにし、5月6日の名古屋のコンサートを最後に無期限休養に入り、現在も再開は発表されていません。

病気説?

2014年5月6日の名古屋のコンサートを最後に無期限休養に入った山本さん。

休養の理由として、「声の不調」をあげています。ネット等では、喉の何らかの病気ではないか?と
心配の声が上がりました。
ただ所属事務所は、「喉のポリープとは、病気ということではない」と発表されています。
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