長友佑都  前進しか知らなかったアスリートが東日本大震災 から学んだ境地「心に余裕をもつこと」
2020年9月20日 更新

長友佑都 前進しか知らなかったアスリートが東日本大震災 から学んだ境地「心に余裕をもつこと」

抜群のスピード、運動量、1対1で絶対に負けない強さを持ち、「僕から努力をとったら何も残らない 」と語る長友佑都は、インテルという超ビッグクラブに入った。人々は「シンデレラストーリー」と称えた。そしてイタリアで日本で大地震と津波が起きたことを知った長友佑都は、傷ついた人たちを勇気づけられたらと必死にプレーしたが、逆に彼らから人間の強さを学ばされた。その後、インテルでお辞儀パフォーマンスを定着させ、キャプテンにまでなった。

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ワールドカップ後、日本代表の新監督に就任したのは、セリエAのACミランやインテル、ユヴェントスなど強豪クラブで監督経験があるイタリア人、アルベルト・ザッケローニだった。
2000年と2004年にアジアカップを制している日本代表にとって王者奪還は1つの使命だった。
また優勝すれば、2013年にブラジルで行われるコンフェデレーションズカップへの出場権を手にできる。
各大陸の王者が集うコンフェデレーションズカップは、ワールドカップブラジル大会の前哨戦でもある。
アジアカップで勝つか負けるか、その違いは大きかった。
召集された日本代表の合宿は、12月上旬にシーズンを終えたJリーガー、1月1日の天皇杯まで戦う選手、長友佑都らシーズン半ばのヨーロッパ組などスケジュールもコンディションもバラバラで、全員がそろうことなく選手間のコミュニケーションも不足のままアジアカップ本番を迎えた。
日本は、ヨルダン戦を引き分け、シリア戦も辛勝。
それでも試合を重ねるうちに意思疎通が深まり、サウジアラビア戦では、5対0で大勝。
長友祐夫は、1トップの前田僚一がボールが欲しいタイミングがわかり、左ミッドフィルダーの香川真司との連携もよくなっていた。
しかしこのサウジ戦では、松井大輔と本田圭佑が負傷欠場しており、松井大輔は試合後に帰国した。
負傷者だけでなく出場停止の選手もいた。
自然と、レギュラーもサブも関係なくチーム一丸となって戦わなければならない状況になっていった。
代表初召集の若手選手も「チームのために」と献身的に動いた。
準々決勝のカタール戦は、先制点を許した上に吉田麻也が退場。
1人少ない状況で、香川真司が2点目を決め、日本は同点に追いついた。
「イノくん、あまり上がるなとって監督がいってる」
長友佑都は、出場停止の内田篤人に代わって右サイドバックとして先発した伊野波雅彦へ指示を送った。
得点は欲しいが失点は許されない状況なので無理な攻撃参加は控えるようにということだった。
後方からパスを受けた香川真司がペナルティエリア内で粘るも相手に潰されてしまった。
するとそのこぼれ球を蹴り込み、逆転ゴールが決まった。
長友佑都は喜びながら、しかし考えた。
「誰?誰がシュートしたの?」
エッ?なんでイノ君が・・・・」
上がるなとメッセージを送ったばかりの伊野波雅彦がゴールを決めてペナルティエリアの近くにいた。
「お前からの指示は聞いていたけど来たって思って・・・・・」
長友佑都はビックリして二度見した。

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準決勝の相手は優勝候補の韓国だった。
前線の選手が激しく入れ替わる攻撃は迫力があり、他のチームとはレベルが違ったがウィークポイントもあった。
「右サイドバックのチャ・ドゥリを突く」
ザッケローニ監督はそういって長友佑都の仕事場である左サイドを指した。
長友佑都がボールを持ったら香川真司が動いてスペースをつくり、そこを狙うという作戦だった。
先制ゴールを決めたのは韓国だったが日本は焦らなかった。
左サイドで香川真司がボールをキープし、長友佑都がその外側を走る。
香川真司からボールを受け取った本田圭佑が、一瞬ドリブルのスピードを緩めて相手を引きつけ、チャ・ドゥリの横のスペースにパス。
そこに走ってきた長友佑都がボールを受けてペナルティエリア内に侵入。
ディフェンダーのタックルが迫る直前にパス。
それを前田僚一が決めた。
長友佑都は最初はスピードを緩め、チャ・ドゥリに裏へは走らないと見せかけ、相手がボールに気をとられているところでスピードを上げてうまく抜け出し、あとはスピードを殺さず、いいタイミングでパスを出した。
試合は1対1で延長戦に突入。
日本は1度リードしたが、終了間際に同点ゴールを決められ、決着はPK戦へ。
日本は、本田圭佑と岡崎慎司が決めて、ゴールキーパーの川島永嗣が韓国の1人目と2人目を連続で止めた。
日本の3人目は長友佑都だった。
ゴール左上隅を狙ったが外れボールはゴールを越えて飛んでいった。
それでも韓国の3人目が外し、日本の4人目、今野泰幸が決めた。
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1月29日、アジアカップ決勝戦で、日本はオーストラリアと対戦した。
オーストラリアは鋭いカウンター攻撃と長身を活かした高い攻撃が特徴で、わずかなチャンスでもゴールを決める決定力もあった。
オーストラリアは前線にロングボールを蹴り込んでパワープレーを繰り返し、日本ディフェンスはそれを跳ね返し続け、オーストラリアは何本もシュートを外していた。
前半は0対0。
後半途中、日本はメンバー交代し、センターバックだった今野泰幸が左サイドバックに入り、長友佑都は1つ前の左ミッドフィルダーについた。
本来、左ミッドフィルダーは香川真司だったが、韓国戦で負傷しすでに帰国していた。
長友佑都も相手陣内に駆け上がって攻撃に参加したが得点は奪えず、試合は延長戦に入った。
延長後半4分、遠藤保仁からパスを受けた長友佑都は、相手をかわして前線へ侵入。
オーストラリアディフェンスを引きつけてから速いクロスボールをゴール前に走ってきた李忠成に送った。
李忠成は見事なボレーシュートを決めた。
アジアカップ優勝が決まった日本は、負傷帰国したチームメイトのユニフォームを手にしてピッチを走った。
長友佑都は、ロッカールームに戻り、シャワーを浴びた。
このアジアカップで全6試合フル出場(長友佑都と今野泰幸のみ)し、アジアを制覇したが、やがてその余韻と興奮が収まり、新しい闘志が心を満たしていった。
3日後には、セリアAの試合があった。

インテル入ってる?

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アジアカップ開催中、ヨーロッパではサッカー選手の移籍ラッシュが起こっていた。
ヨーロッパサッカーでは、年2回、夏と冬にしか移籍が認められていなかった。
アジアカップを終えた翌早朝にカタールのドーハを発ってイタリアのチェゼーナに帰宅した翌日、2011年1月31日、長友佑都は
「昨日の夜、インテルから佑都を獲得したいと連絡があった。
今、ミラノで両クラブの会長が話し合っている。
ミラノに行ってくれ」
「インテルってインテルが?」
そして午後には車でミラノに向かった。
インテル、正式名将「インテルナツィオナーレ・ミラノ」は、1908年創設以来、セリエAで18度優勝、2005年以降、セリアAを5連覇、2009年、セリエA、欧州チャンピオンズリーグ、コッパイタリアの3冠達成、2010年12月にFIFAクラブワールドカップで世界王者になったばかりのバリバリの強豪クラブだった。
インテルは、ラファエル・ベニテス監督を解任し、数人の選手を補強し、セリアAの後半戦で巻き返そうとしていた。
長友佑都も即戦力として期待されていた。
2011年1月31日は移籍が認められる最終日で、その期限は19時までだった。
年俸、移籍金、契約内容、オプション、ミラノのクラブ事務所ではイタリア語と書類が飛び交った。
長友佑都はイタリア語で書かれた契約書を読めず、レオナルド・ンシメント・ジ・アラウージョ監督は日本に国際電話をかけ、親交のあった鈴木国弘(ジーコジャパン通訳)に通訳を依頼。
レオナルド監督がイタリア語からポルトガル語、鈴木国弘がポルトガル語から日本語へ翻訳し、長友佑都に伝えられた。
「じゃあ、佑都、ここにサインを」
長友佑都がサインしたのは締め切り数分前だった。
「我々は日本のスポンサーやサポーターを増やしたいから佑都を獲得するわけではない。
インテルの補強リストには常に各ポジション10名近くの選手の名前がある。
君の名前はワールドカップ南アフリカ大会が終わった頃からリストにあり、ずっと長友佑都という選手をリサーチしていたんだ。
チェゼーナのフィッカデンティ監督や日本代表のザッケローニ監督からもさまざまな情報を得ていた。
彼らは君に対して高い評価を口にした。
私自身も君のファイティングスピリット溢れるプレーに注目していた。
もちろん運動量やスピードも魅力だけど、どんな問題にぶつかってもへこたれない強さが君にあると考えていたんだ。
当然、まだまだ身につけなくちゃいけないことは多い。
でもまだ24歳だ。
これからインテルでどんどん成長してくれることを期待しているよ。
レオナルド監督も佑都がインテルに来ることをとても喜んでいる」
(インテルの強化責任者:マルコ・ブランカ)
通常、スピードがある選手は持久力に乏しく、持久力に優れた選手はスピードがない。
しかし長友佑都は、スピードと持久力という相反する能力を兼ね備えていた。
またそういったジョカーレ(サッカー選手)として技術や能力だけでなく、長友佑都のメンタル、どんな困難や壁にぶつかってもへこたれない精神的な強さをインテルは評価していた。
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2月1日、契約の翌日はメディカルチェック。
2月2日、インテルの練習に合流。
インテルの練習場は、ミラノの中心から車で1時間弱の郊外。
広い敷地内は関係者以外、立ち入り禁止で、マスコミも記者会見などのイベントがなければ入れなかった。
ピッチはもちろん、ロッカールーム、トレーニングルームも世界一のクラブにふさわしい設備だった。
イタリアだけでなく、ブラジル、アルゼンチン、オランダなど世界の強豪国、ワールドカップ出場常連国の代表選手が名を連ね、30代のベテランも多かった。
「プライド高そうやな。
溶け込むのに時間かかるやろうな。
日本人なんて相手されんのん違うか」
そんな心配は初日からフッ飛んだ。
ガチガチに緊張している長友佑都に、キャプテンのハビエル・サネッティがいきなりお辞儀をした。
そしてお辞儀を返す長友佑都にチーム全員が声をかけた。
38歳のハビエル・サネッティは、1995年にインテル加入後、16年在籍し、アルゼンチン代表でも現役で、練習でも試合でも1番エネルギッシュにプレーしていた。
「日本では30歳を超えるとベテラン扱いされるけどサネッティをみてると、そんな固定観念はなくなる。
自分に限界をつくらず挑戦し続けるサネッティの存在は、重要なことをたくさん教えてくれる」
(長友佑都)
「時々、動くクマのぬいぐるみじゃないかと思っちゃうんだ。
かわいすぎるよ。
あんなにチームのフィーリングとマッチする選手ってめったにいないんじゃないかな。
だからみんなから好かれてるんだよ」
(ハビエル・サネッティ)
長友佑都がストレッチをしていると
「なんでそんなに柔らかいんだ」
マルコ・マテラッィーが騒ぎ出し、ヴェスレイ・スナイデルは携帯電話で動画を撮り出した。
ヴェスレイ・スナイデルと長友佑は特に仲が良く、スナイデルが自宅に招いた長友とチャンピオンズリーグを一緒にテレビ観戦する様子をtwitterに投稿して話題となった。
41歳のレオナルド・ンシメント・ジ・アラウージョ監督に対して長友佑都は
「無茶苦茶、熱い!
無茶苦茶いい人!」
と感じた。
元ブラジル代表でワールドカップ優勝と準優勝を1回ずつ経験。
ジーコの誘いを受けて鹿島アントラーズで3年プレーしたこともあり、日本や日本人について好意的だった。
しかしヨーロッパにはアジアに対して偏見が存在し、アジア人選手はそれと戦ってきた歴史があることも理解していた。
「ナガトモはビッグクラブでプレーする初めての日本人だから周りの目は自然と厳しくなる」
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長友佑都がまず驚いたのがシュートゲームだった。
ミニコートでのトレーニングだったが、バンバン、シュートが決まり続けた。
「打てばゴールという感じで確率は100%に近い。
こんなにシュートが決まる練習は日本でもチェゼーナでも体験したことがなかった。
シュートに対する高い意識が伝わってきた」
ヴェスレイ・スナイデルのシュートには度肝を抜かれた。
サイドからパスを受けてからのシュートだったが、それは少しズレた、普通なら蹴れないパスだった。
それをありえないような体勢から一瞬の脚の振りでゴールに蹴り込んだ。
「マジかよ」
パスをどう受け、どうシュートに持っていくか、瞬時にイメージし、その通りに身体を動かす。
判断力と技術の高さを証明するすごい一撃だった。
同じサイドバックのマイコンは、攻撃のアイデアが豊富で、周囲を活かすパスを絶妙のタイミングで出した。
わずかな一瞬も見逃さない視野や駆け引きがうまかった。
「こんな選手たちの中でやっていけるのか」
そんな弱気は足元にボールが来た瞬間に消えた。
「やってやろうじゃないか。
今は差があって当然。
ここから這い上がるだけだ」
そして練習後、ロッカールームで音楽が流れるとみんなと一緒にダンスした。
「佑都の武器は相手の懐に入っていく力だね」
チームメイトと楽しくやっている長友佑都をみてスタッフがいった。
その後、チーム合宿で
「同じ部屋にいると楽しめる」
と長友佑都と同部屋を希望する声が殺到したり、新シーズンに向けたイベントで5000人のサポーターを盛り上げるなど卓越したコミュニケーション能力をみせた。
チェゼーナでチームメイトだったジュゼッペ・コルッチは
「長友は日本人なんかじゃない。
あれはラテンの血が混ざってる。
むしろイタリア人だよ」
と語っている。
コルッチはレッジーナで中村俊輔、カターニャで森本貴幸と共にプレーした経験があった。
「最初は大人しくてまじめな選手なんだろうなって思ってた。
いわゆる一般的な日本人像ってやつだ。
礼儀正しくて物静か。
あまり輪の中に入ってこない。
いつもクールな日本人。
中村は根っからに真面目だったな。
初めて彼の声を聞いたのは半年くらい経ってからだ。
森本もそこまで賑やかなタイプじゃない。
中田(英寿)もそうなんだろう?
でも長友は違う。
ロッカールームでふざけあってたし、冗談もいい合ってた。
最初は言葉も話せなかったのにね。
今考えると、それは新たな環境への適応力だったんだと思う」

長友佑都プレー集 2015/2016 【オフェンス編】 インテル Yuto Nagatomo Attacking Skills

チェゼーナでは何時間もバスに乗って移動したが、インテルは国内でもチャーターした飛行機で移動した。
インテルカラーのバスが空港に入り、飛行機に横づけ。
そして向こうの空港に着くとインテルカラーのバスが待っていた。
(一体何台あるんだよ)
陸路の移動はこのインテルからのバスだった。
そしてスタジアムにつくと、ホームならサポーターの声援の中を、アウェイなら大ブーイングの中を歩いていく。
声援もブーイングも、強烈なサポーターの熱が伝わってきた。
メディアの数も多く、とにかく注目度が違った。
対戦相手はインテル戦には特別な思いで挑んできた。
そういうガムシャラな相手にキッチリ力の差をみせつける。
他の追随を許さないようなオーラを放ち、サッカーのテクニックだけでなく強靭なメンタリティを持った集団。
それがインテルだった。
またチームメイトはみんな、いつも落ち着いていた。
経験なのか余裕なのか、試合で劣勢になっても、どんなことがあっても動じなかった。
当初、長友佑都は
「あまり敏感になりすぎちゃいけないんだな。
ちょっと鈍感なくらいなほうがいいのかもしれない」
と図太さの重要性に気づいた。
2月3日、アウェイでパリ戦。
長友佑都はベンチに入ったが出場はなかった。
しかしこの試合でインテルの左サイドバック:クリスティアン・キヴが4試合出場停止処分を受けた。
2月6日、インテルはホームでセリエAのローマ戦。
6万人のサポーターに埋め尽くされたサンシーロスタジアムの正式名称は「スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ」
そしてクラブカラーのネロ(黒)とアズーロ(青)のユニフォームを着用したインテルは「ネラッズーリ」と呼ばれる。
試合前のアップから
「ピッチに立たせてくれ」
と念を送り続けた長友佑都はベンチスタート。
後半30分、4対1でリードした場面でヴェスレイ・スナイデルと交代しピッチへ立った。
インテルは退場で1人少ないローマを積極的に攻め続け、最終的に5対3で勝った。
試合後、長友佑都は「お辞儀」のパフォーマンスをサポーターの前で初披露。
練習などですでにチーム内にお辞儀が浸透していた。


 (2218400)

2月13日、ユヴェントスとのダービー戦で、長友佑都はベンチスタート。
ビッグクラブ同士の対戦を、ブラジルでは「クラシコ」、イタリアでは「ダービー」といい街はお祭り騒ぎとなり、一部のサポーターは殺気立つ。
「我々と敵の戦いが始まる」
こうして選手もサポーターもリーグ戦の1試合でありながらリーグの順位に関係なく絶対に勝たなくてはならない試合となる。
インテルは先制点を許し、守りを固めるユヴェントスに手を焼いた。
後半28分、長友佑都はピッチに入った。
0対1。
勝利のために得点は必要だが、失点してもいけない。
最初に自陣でボールを受けた長友佑都は、前ではなくバックパスを選んだ。
続く2本もバックパス。
ボールを失わないように慎重にプレーした。
そして0対1のまま負けた。
その後、フィオレンティーナ戦、カリアリ戦で先発したが目立った活躍はできなかった。
なかなか自分を発揮するタイミングがつかめなかった。
イタリアのメディアは、最初は長友佑都がインテルに入ったことを
「歴史的事件だ」
と派手に報道していたが、いまや
「やっぱり日本人はこの程度か」
とこき下ろした。
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2月23日、欧州チャンピオンズリーグ(UCL)決勝トーナメントの1回戦で、インテルはホームでバイエルン・ミュンヘンと対戦。
長友佑都は、チームが終了間際に失点し敗れるのをベンチでみた。
欧州チャンピオンズリーグ(UCL)は、欧州サッカー連盟(UEFA、ウエファ)によって毎年9月から翌年の5月にかけて開かれる国際大会。
1次リーグは、4チーム×8組に分かれ、ホーム&アウェイの総当たり戦で行われ、各組上位2位チームが決勝トーナメントに進出する。
出場するのは欧州各国のリーグの上位ばかりで、バルセロナ(スペイン)、レアルマドリード(スペイン)、ACミラン(イタリア)、バイエルンミュンヘン(ドイツ)、マンチェスターユナイテッド(イングランド)は常連だった。
有名クラブ、人気クラブが登場する大会に世界中が注目し、優勝賞金は、640万ユーロ(1ユーロ=60円とすると約10億2400万円)
実際は、予選から決勝戦まで試合ごとに分配金が支払われるので優勝すると50億円を超える。
たとえ1次リーグで全敗しても最低5億がもらえる。
ワールドカップなどで各国の代表チームの選手が全員集まって練習する時間は短いが、クラブチームの場合、毎日同じメンバーで練習し試合をする。
そのためチームとして成熟度が高く試合のレベルが非常に高い。
優勝チームは、「欧州最強」の称号を手に入れると共に、12月に日本で行われるクラブワールドカップの出場権を得る。

お辞儀

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