黒崎比差支
元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。
1968年5月8日生まれ。栃木県出身。身長185cm、体重80kg。
1992年から1999年までの登録名は黒崎比差支。
選手概要
via www.madbooth.com
迫力あるシュートとヘディングで長谷川と共に日本を代表する鹿島のツインタワーとして活躍。
また、ストライカーとしての能力だけではなく2列目でチャンスメイクする能力も持つ。
長年鹿島の中心選手として活躍したが、98年多くの人に惜しまれながらパープルサンガに移籍。
J1残留に大きな力となる。
2000年はヴィッセルでJ1残留を達成。
2001年はアルビレックスでJ1昇格を目指したが念願かなわず、02年はアルディージャで新たな挑戦に挑む。03年で引退。
鹿島のツインタワー
相方・長谷川祥之
黒崎比差支、奥野僚右、大野俊三、本田泰人やサントス、そしてジーコなどとJリーグ開幕当初の鹿島アントラーズの黄金期を築いた功労者の一人。
リーグ戦では長谷川が点を入れた試合は34連勝で、「長谷川が決めればチームは負けない」という伝説も残している。
黒崎と長谷川のツートップは、「鹿島のツインタワー」と呼ばれていました。
長谷川は179センチとそんなに上背はありませんでしたが、跳躍力やポジショニングの良さで、長身黒崎との名コンビとして名を馳せました。
長谷川は179センチとそんなに上背はありませんでしたが、跳躍力やポジショニングの良さで、長身黒崎との名コンビとして名を馳せました。
日本代表
鹿島アントラーズでの活躍が認められ、日本代表にも召集。
あの「ドーハの悲劇」も経験しました。
ただ、同時期に同じタイプの長身FW高木琢也がいたため、日本代表に関しては消化不良の感は否めませんでした。
あの「ドーハの悲劇」も経験しました。
ただ、同時期に同じタイプの長身FW高木琢也がいたため、日本代表に関しては消化不良の感は否めませんでした。
via i1.wp.com
[通算成績] 24試合4得点 (1989-1997)
[初出場] 1989年5月5日vs韓国 (日韓定期戦)
セルジオ越後
宇都宮学園高等学校(現:文星芸大付高)時代から将来を嘱望され、辛口評論家として知られるセルジオ越後からも「将来日本代表入りする選手」と太鼓判を押されていた。
確かに日本代表入りしました!
高校生の時は、「全国高等学校サッカー選手権大会」にも2回の出場があり、2年生の時には大会得点王にも輝いています。
高校生の時は、「全国高等学校サッカー選手権大会」にも2回の出場があり、2年生の時には大会得点王にも輝いています。