マーティン・スコセッシとの名コンビで数々の名作を!
1973年の『ミーン・ストリート』でスコセッシと初顔合わせしたデ・ニーロはジョニー・ボーイ役で出演。ちなみに、デ・ニーロはブライアン・デ・パルマ監督にスコセッシを紹介されている。
1976年には、今も世界中の映画ファンを虜にして離さないアメリカン・ニューシネマ最後期の名作『タクシードライバー』に主演。都会の孤独の中で精神に異常をきたし、自己の存在を知らしめるために暴走するタクシードライバーを演じた。デ・ニーロはアカデミー主演男優賞にノミネートされている。
以後、 1977年の『ニューヨーク・ニューヨーク』、1980年の『レイジング・ブル』 、1983年の『キング・オブ・コメディ』 、1990年の『グッドフェローズ』、1991年の『ケープ・フィアー』、1995年の『カジノ』 と20年に渡ってスコセッシ作品の主演を務めている。スコセッシは、デ・ニーロを“ボブ”と呼び、とにかくその演技に絶対的な信頼をおいていた。“スケールの大きい俳優”で共演者を凌駕してしまう力強さがあると語っている。
1976年には、今も世界中の映画ファンを虜にして離さないアメリカン・ニューシネマ最後期の名作『タクシードライバー』に主演。都会の孤独の中で精神に異常をきたし、自己の存在を知らしめるために暴走するタクシードライバーを演じた。デ・ニーロはアカデミー主演男優賞にノミネートされている。
以後、 1977年の『ニューヨーク・ニューヨーク』、1980年の『レイジング・ブル』 、1983年の『キング・オブ・コメディ』 、1990年の『グッドフェローズ』、1991年の『ケープ・フィアー』、1995年の『カジノ』 と20年に渡ってスコセッシ作品の主演を務めている。スコセッシは、デ・ニーロを“ボブ”と呼び、とにかくその演技に絶対的な信頼をおいていた。“スケールの大きい俳優”で共演者を凌駕してしまう力強さがあると語っている。
『タクシードライバー』の名シーン中の名シーン。
「You Talking To Me? 」
と聞くデ・ニーロの姿が危なくていい。
「You Talking To Me? 」
と聞くデ・ニーロの姿が危なくていい。
via www.youtube.com
60歳を超えてからも数多くの映画に出演!とにかく尽きないその情熱に脱帽。
若い頃にすでにスーパースターになってしまった俳優は、歳のとり方が難しい。昔、スターでも50歳を過ぎると、見る影もない人は多い。しかし、デ・ニーロは関係ない。ずっと映画に出続け、輝きを放っている。主演、脇役に関係なくだ。もちろん、脇役でも圧倒的な存在感でどうしても目立ってしまうが、それは逆に主役の俳優が頑張ればいいだけのこと。とにかく、演技に対する情熱は衰えることはない。
2012年の『世界にひとつのプレイブック』(アカデミー賞助演男優賞ノミネート)、2013年の『マラヴィータ』(スコセッシ製作総指揮)、2015年の『マイ・インターン』(アン・ハサウェイとのダブル主演)が個人的にはおすすめ。硬軟なんでもできる演技力の幅も魅力といえるだろう。
2012年の『世界にひとつのプレイブック』(アカデミー賞助演男優賞ノミネート)、2013年の『マラヴィータ』(スコセッシ製作総指揮)、2015年の『マイ・インターン』(アン・ハサウェイとのダブル主演)が個人的にはおすすめ。硬軟なんでもできる演技力の幅も魅力といえるだろう。
via pbs.twimg.com
でも、アカデミー賞受賞が2度って少なくない?
ロバート・デ・ニーロのアカデミー賞受賞は2回だけ。ノミネート7度中2度の受賞だ。はっきり言って少ないと思う。なんにしても、『タクシー・ドライバー』で受賞していないのがどうも腑に落ちない。
●アカデミー賞受賞はこの2作品!
1975年 助演男優賞 『ゴッドファーザー PART II』
1981年 主演男優賞 『レイジング・ブル』
●受賞できずのノミネートは・・・
1977年 主演男優賞 『タクシードライバー』
1979年 主演男優賞 『ディア・ハンター』
1991年 主演男優賞 『レナードの朝』
1992年 主演男優賞 『ケープ・フィアー』
2013年 助演男優賞 『世界にひとつのプレイブック』
●アカデミー賞受賞はこの2作品!
1975年 助演男優賞 『ゴッドファーザー PART II』
1981年 主演男優賞 『レイジング・ブル』
●受賞できずのノミネートは・・・
1977年 主演男優賞 『タクシードライバー』
1979年 主演男優賞 『ディア・ハンター』
1991年 主演男優賞 『レナードの朝』
1992年 主演男優賞 『ケープ・フィアー』
2013年 助演男優賞 『世界にひとつのプレイブック』
マーティン・スコセッシ監督、起死回生の『レイジングブル』
スコセッシにとって、『レイジングブル』はまさに起死回生、自己再生の作品。制作直前の2年半は、1976年に公開された『ニューヨーク・ニューヨーク』の評判が芳しくなく、そのせいで気分はうつ状態の悲惨な状況、まさにどん底だった。体調がすぐれずに入院してたところに見舞いに来たデ・ニーロに勧められて『レイジングブル』の制作を決めたという。
なお、『レイジングブル』撮影中の1979年、スコセッシは、ロベルト・ロッセリーニとイングリット・バーグマンの娘イザベラ・ロッセリーニと結婚している。転んでもただでは起きないとはこのことを言う。スコセッシは、5回も結婚している。忙しい人だ。
なお、『レイジングブル』撮影中の1979年、スコセッシは、ロベルト・ロッセリーニとイングリット・バーグマンの娘イザベラ・ロッセリーニと結婚している。転んでもただでは起きないとはこのことを言う。スコセッシは、5回も結婚している。忙しい人だ。
ちなみに、『タクシードライバー』にタクシーの客として自ら出演したスコセッシがコレ。その強烈なインパクトは、イギリスの映画監督マイケル・パウエルに「悪魔のような客を演じてるものすごい俳優は誰なんだ?」と言わしめたほど。暑苦しい風貌も悪くない!?
スコセッシ、念願のアカデミー賞監督賞への道!
スコセッシはとにかくアカデミー賞監督賞の受賞が遠かった。1963年に初監督作品を世に送り出してから実に約40年もかかっているのだ。受賞した作品は、2006年のレオナルド・ディカプリオ主演の『ディパーテッド』。じつに6度目のノミネートでの受賞だ。
とはいえ、それまで無冠だったわけではない。1985年の『アフター・アワーズ』でカンヌ国際映画祭の監督賞、1990年の『グッドフェローズ』でヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞(監督賞)を受賞。ちなみに、ゴールドデングローブ賞監督賞は3度も受賞している。
とはいえ、それまで無冠だったわけではない。1985年の『アフター・アワーズ』でカンヌ国際映画祭の監督賞、1990年の『グッドフェローズ』でヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞(監督賞)を受賞。ちなみに、ゴールドデングローブ賞監督賞は3度も受賞している。
via summaars.net
誰もが“男は孤独なんだ”と悟ったポスターだ。