猿岩石 ユーラシア大陸横断ヒッチハイク旅。29日目、タイ入国、ちょっとズルしたミャンマー、情熱の国インド、そしてネパールへ
2023年2月25日 更新

猿岩石 ユーラシア大陸横断ヒッチハイク旅。29日目、タイ入国、ちょっとズルしたミャンマー、情熱の国インド、そしてネパールへ

アジアは、香港、中国、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、インド、ネパール、パキスタン、イラン、トルコ。ヨーロッパは、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、イギリス。野宿、絶食当たり前、あるときは山を登り、あるときは川を渡り、あるときは砂漠をこえる「香港-ロンドン ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」旅。

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41日目、5月23日、6ヵ国目、ミャンマー入国。
42日目にはヤンゴンに到着。
(放送時は明かされなかったが、猿岩石が帰国後、ミャンマーでのヒッチハイクは危険と判断し、バンコク(タイ) - ヤンゴン(ミャンマー)間を飛行機で移動したことが明かされた)
ミャンマーは、強力な軍事政権が国内の民主運動を抑圧し、政情不安が続いていたが、民主化の旗手、アウン・サン・スー・チーの側近187人も拘束されると政局は一気に緊迫。
何が起こっても不思議ではない状態だった。
そんな騒乱に国に飛び込んだ2人だったが、ヤンゴンには意外と平和な空気が流れていて一安心。
次なる国はインドは、入国にビザが必要な国なので、インド大使館へ。
『ビザの申請ですね?』
「イエス、テイク、ア、ビザ」
『OK』
2人で100ドルを払い、発行は明日といわれた。
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バンコクで得た3800バーツ(15000円)は、

ミャンマーのビザ代 4000円
インドのビザ代 10000円
食費 1000円

で残金0円。
無一文になった2人に、同行スタッフから朗報が知らせた。
以前、東京の「進め!電波少年」のスタジオと電話中継でつながったとき、松本明子に
『日本からね、救援物資を送ります』
といわれていたが、それがDHL(国際貨物宅配便)ヤンゴン支局に届いているという。
早速、2人が荷物を受け取りに行くと、奥から出されてきたのは大きな段ボール箱。
まず
「デッケ」
と喜び、さらに箱に
『ガンバレ、猿岩石!!
松本明子♡』
『これを役立ててください。
私の気持ちだです・・・』
と書かれてあるのをみて
「優しいなあ」
と癒された。
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しかしそれも束の間だった。
「開けようよ、早く。
腹減ったんだから」
2人がすぐに封を開けると、まず1番上には、杉板がビッシリ。
その下には、缶詰の空き缶。
そして1番下に、黒帯と空手着。
それは日本の武道、空手でショーをして稼いでほしいという松本明子の粋な心遣いだった。
しかし2人は空手経験ナッシング。
「なんだコレ」
「こんなの割れるか」
2人は愕然となり、
「生まれて初めて人を殺そうと思った」
(有吉)
「電波少年関係者は人間のクズだ」
(森脇)
と思った。
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しかしとりあえず他に資金を得る手段はない。
試しに板を割ってみることにした。
空手着を着て帯を締め、森脇が両腕を伸ばして杉板を持ち、有吉が
「マツモトッアキコォー!」
と憎しみと気合を入れながら拳を放つと板はキレイに割れた。
周りにいたミャンマー人は拍手。
空き缶にお金を入れてくれる人もいた。
「うわあー」
2人は驚き、思わず叫んだ。
これはイケるかもしれないと思った2人は、空手着のままリュックを背負い、もっと人が多い場所に移動。
道端に特設ステージをつくっていると、それだけで人が集まり出した。
「よしっ、じゃあやるか!」
「ジャパニーズ、カラテ!」
といって腰を落として立ち、両肘を後ろに引いて構え
「ヨイショ」
と気合を入れながら正拳突き。
左右数発を突いた後は、
「押忍」
と礼。
続いて
「ジャパニーズ、板。
固い」
といって杉板を客に触らせた後、森脇がそれを持ち、有吉が割った。
そして
「押忍」
と礼。
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すると拍手が起こり、空き缶にお金が入れられていった。
「サンキュー、ありがとう」
調子づいた有吉は、2枚割りに挑戦し、見事、成功。
空き缶はお札でいっぱいになった。
場所を変えて、もう1ステージ行い、今度は森脇が板を割って、ここでも大盛況。
結局、ヤンゴンの5カ所で空手ショーを開催。
すごい数のお札をGETし、喜んで数えてみると526チャット。
日本円で526円と知ると少しガッカリしながら、皮がすりむけた手をさすった。
夕食は、ジュースとトウモロコシとバナナ。
合計100チャットの食事の後は、もちろん野宿した。
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翌日、インド大使館でビザ取得。
森脇は、パスポートをめくりながら
「どんどんハンコが押されていくってうれしいな」
と喜び、地図をみながら
「To INDIA(インド)」
と紙に大きく書いた。
そして2人は長距離を移動するトラックを狙うためにトラックターミナルへいき
「もう全部聞こう」
と片っ端に当っていった。
「ソーリー、トゥー、インディア?」
『No』
「サンキュー」
2時間後、輸送を終えてインド国境付近まで帰るというトラックをGET。
いよいよインドへ向かった。
(放送ではそういうことにされたが、猿岩石が帰国後、ミャンマーでのヒッチハイクは危険と判断し、ヤンゴン(ミャンマー) - コルカッタ(インド)間を飛行機で移動したことが判明)
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46日目、5月28日、7ヵ国目となるインド国境近くの街、コルカッタに到着。
インドは、
「国というより大陸である」
といわれる。
12億人という人口は、中国に次いで世界第2位。
日本の約8.8倍という広大な国土を有し、州によって、法律、民族、言語、宗教が大きく異なる。
首都は、ニューデリー。
インドの北部にあり、イギリス植民地時代に都市計画に則って造られ、イギリス様式の建物も多くみられる世界第 5位の都市。
最大の都市は、ムンバイ。
インド西部にあって、その多くを海に囲まれている都市で、2016年、アメリカのシンクタンク A.T. Kearneyのビジネス・政治・人的本・文化を総合的に判断する「世界都市調査(The Global Cities)」で世界 44 位を獲得。
ちなみにそのとき大阪は 52 位だった。
インド南部の標高1000mの高原にあるバンガロールは、1年を通して比較的過ごしやすい地域だが、世界各地から多くの IT 企業が進出し「インドのシリコンバレー」と呼ばれている。
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インド人は
「教育水準が高い」
「数学が賢い」
「英語を話す」
というイメージがある。
英語については、イギリスの支配下にあったときに英語の使用が強要され、独立後もヒンディー語が公用語、準公用語が英語となった。
インドには、このほかに22の指定言語があるので、インド人は、ヒンディー語、英語、生まれた地域の言葉と最低3種類の言葉を覚えることになる。
またインドは世界で最初に「0(ゼロ)」の概念を生み出した。
人類は最初、棒の記号を使って1〜9を数えていた。
古代バビロニアでは「Δ」というび形文字が用い、「1203」は「12Δ3」と書いた。
2000年後の古代エジプト、ギリシア、ローマでも「0(ゼロ)」を用いないローマ数字数字が使われた。
1は「I」、2は「 II」、3は「III」
4以上は「IV」「 V」 「VI」 「VII」「 VIII」 「IX」「 X 」と表記する。
「V」は5、「 X」は10、「L」は50、「C」は100、「 D」は500、「 M」 は1000。
だから98は「LXXXXVⅢ」、1203は「MCCⅢ」となる。
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最初に「0(ゼロ)を1〜9と同じ数字の値として扱れたのは、7世紀の数学者、ブラーマグプタ。
仏教の祖、仏陀が生まれたインドの学者だった。
ブラーマグプタは著書の中で「0(ゼロ)」を「シューニャ」と名づけた。
「シューニャ」とは、サンスクリット(古代インド語)で「空」という意味。
仏教において「空」とは、「何もない」ということではなく「無いものが在る」という意味。
「色即是空
(しきそくぜくう)」
という有名な仏教の言葉がある。
「色(しき)」は、宇宙に存在するすべての形ある物質や現象。
「空(くう)」は、実体をもたない不変のもの。
だから「色、即是、空」は、
「この世のすべての物や現象には実体がない」
「この世は実体がないもので成り立っている」
という意味となる。
「0(ゼロ)」の発見には、こういった仏教の概念があった。
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現在、人口の8割以上がヒンドゥー教というインドだが、仏教発祥の国でもある。
紀元前5、6世紀にインドで仏陀(シャーキャムニ・ブッダ)により興され、日本を含めアジア各地に伝わった。
仏陀は、欲望にまみれた世俗の人間に真理は到底理解できないと考え、弟子となる者には家族、財産を棄てさせ、出家させた。
いわゆる出家僧だが、彼らは彼らは経済活動を禁止され、托鉢と布施のみで糧を得ながら、ひたすら「目覚め」に向けて努力した。
このスタイルは、現在でも残っており、インドではお坊さんは非常に大切にされている。

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