数々の名作ドラマを生み出した石井ふく子さん
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石井ふく子さんの経歴
母親は”分川本の君鶴”と呼ばれるほどの芸者で、小唄の家元となった三升延さん。再婚したことに伴なって、劇団新派の俳優だった伊志井寛さんが義父となります。売れっ子芸者である母親の影響は大きく、幼いころの石田ふく子さんは踊りに夢中だったそうです。
東京女子経済専門学校を卒業した石井ふく子さん。
一度は、新東宝に入って女優を志した時期もありましたが、1950年に住宅メーカーである日本電建に入社。そして、1961年には現在のTBSにあたる東京放送に転職されました。
一度は、新東宝に入って女優を志した時期もありましたが、1950年に住宅メーカーである日本電建に入社。そして、1961年には現在のTBSにあたる東京放送に転職されました。
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その後、ホームドラマを担当する番組プロデューサーとして、数々の名作を生み出しました。名作ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』では、脚本家として知られる橋田壽賀子さんと共に約30年間に渡って番組制作に携わっています。
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1968年から義父の伊志井寛さんが所属する劇団新派の舞台演出も手掛けるようになり、1974年にはTBSを退社。その後は、フリーのTBS専属プロデューサーとなって番組作りに関わっています。しかし、2000年以降は、橋田壽賀子さんが脚本を書いたドラマでは他局の番組も手掛けました。
2014年からは、淑徳大学の人文学表現学科客員教授にも就任しています。
2014年からは、淑徳大学の人文学表現学科客員教授にも就任しています。
石井ふく子さんにまつわるエピソード
遺産相続の騒動
母親の三升延さんが再婚したとき、伊志井寛さんが入籍を拒否したため、石井ふく子さんを養子としなかったようです。そのため、伊志井寛さんと三升延さんは夫婦関係にあるものの、伊志井寛さんと石井ふく子さんの間には戸籍上の繋がりがないことになります。
伊志井寛さんが亡くなって遺産相続の話になると、伊志井寛さんが認知した実子との間に分配を求めての騒動が勃発します。しかし、法的な相続権を持っていない石井ふく子さんは遺産相続を諦めざるを得ず、そのまま和解に至ったとのことです。しかし、石井ふく子さんには遺恨があり、著書で、そのときの屈辱が忘れられないと記しています。
伊志井寛さんが亡くなって遺産相続の話になると、伊志井寛さんが認知した実子との間に分配を求めての騒動が勃発します。しかし、法的な相続権を持っていない石井ふく子さんは遺産相続を諦めざるを得ず、そのまま和解に至ったとのことです。しかし、石井ふく子さんには遺恨があり、著書で、そのときの屈辱が忘れられないと記しています。
ギネス世界記録に3度も認定
長年に渡って番組制作に関わってきた石井ふく子さん。その功績が認められ、1985年にはテレビ番組最多プロデュースでギネス認定されました。そして、2014年には世界最高齢の番組プロデューサーとして、2015年には舞台初演作の演出本数最多といった功績が認められています。
このままいけば、まだまだ4度目・5度目のギネス認定もありそうですね。
このままいけば、まだまだ4度目・5度目のギネス認定もありそうですね。
石井ふく子さんの主な代表作品
テレビドラマ
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内容&あらすじ
舞台は昭和40年頃、東京・新宿に近い花柳界、弁天池。芸者のてまりこと千佳子には、なぜだか次々と、厄介なもめごとが降りかかる。浮気や嫁姑問題、後輩芸者の恋愛騒動…。料理の腕も活かしながら、千佳子はそれらを解決していく。一方で、自慢の味噌汁を売る夢も抱く。気丈に生きていく彼女だが、幸せな結婚にも憧れて…。
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出身地 :東京都大東区
血液型 :A型
職業 :テレビプロデューサー
演出家
活動期間:1961年~