略称はダビスタ!大人気育成ゲーム『ダービースタリオン』
アスキーから1991年に発売された『ベスト競馬・ダービースタリオン』を第1作目とする競馬シミュレーションゲームのシリーズ。略称は「ダビスタ」。
プレイヤーはオーナーブリーダー(馬主兼生産者)となり、競走馬の生産・育成・調教を行ってレースに出走し、JRAの全GIタイトルの獲得を目指す。
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1990年代半ばに一大ブームを築き、競馬シミュレーションゲームの草分け的存在となった。開発者は、現在パリティビット代表取締役で馬主でもある薗部博之。
90年代、様々なゲーム機で発売された!
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ここから始まった!シリーズ第1作 『ベスト競馬・ダービースタリオン (1991年12月21日発売)』
続編が「全国版」であるように関東が舞台であり、関西はGIが関東に組み込まれる形となっている。
インブリードは4x4まで可能で、産駒は牡馬のみである。そのため牝馬限定重賞は存在しないためG1レースは12レース。
種牡馬は全て実名だが、繁殖牝馬はモデルがいるものの全て変名、というよりモデルから連想した別名であった。
容量の都合もあってか、血統で重視されていないものは「・」で済まされてしまっており当時種牡馬リストの一番下を守っていたグランパズドリームに至っては、ひたすら「・」が並ぶ中父父父にシカンブルがぽつんとあったのみであった。
レースは最大8頭立て、ライバル馬、騎手は日本のものだけ変名で、バレないと思ったのか海外勢は実名であった。
リスト入りしている騎手が少なく、全員出払ってしまってレースに出られない状況を解決するためモデルが騎手でなく薗部の友人であるためお手馬がいない、おがわ騎手がランクEとして登場していた。(ちなみに薗部を競馬場に連れて行って10万円大敗北させたのも、ダビスタの血統関係を仕切っていたのも彼である)
【ダビスタ】 ファミコン ベスト競馬 ダービースタリオン 全BGM集 Famicom/NES Best Keiba Derby Stallion Full OST
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第2作 『ダービースタリオン 全国版』では魅力的な設定が増加!(1992年8月29日発売)
関西のレースにも出走できるようになり、厩舎も美浦か栗東かを選べるようになった。
レース中にリセットをすると、強制的に次の週に飛ばされる仕様になった。
ダービスタリオン全国版
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「ダービースタリオン」の開発者・薗部博之氏
そのべ ひろゆき。1961年7月3日生まれ。茨城県出身。
ゲームクリエイター、株式会社パリティビット創業者・代表取締役。
早稲田大学理工学部を卒業後、アスキーに入社。
1989年に退社後、フリーのゲームデザイナーとなり、競馬に興味を持つ。
そして、「ダービースタリオン」を開発した。
代表作品は「ベストプレープロ野球」「カルチョビット」等多数。
また、バランスオブゲーム、スタープログラマー、アブソリュートなどの馬主でもある。
ゲームクリエイター、株式会社パリティビット創業者・代表取締役。
早稲田大学理工学部を卒業後、アスキーに入社。
1989年に退社後、フリーのゲームデザイナーとなり、競馬に興味を持つ。
そして、「ダービースタリオン」を開発した。
代表作品は「ベストプレープロ野球」「カルチョビット」等多数。
また、バランスオブゲーム、スタープログラマー、アブソリュートなどの馬主でもある。
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イメージガールには広末やさとう珠緒、優香などを起用
初代 広末涼子:ダービースタリオン96
2代目 さとう珠緒:ダービースタリオン(PlayStation版)
3代目 優香:ダービースタリオン99
4代目 小倉優子:ダービースタリオンアドバンス
5代目 白石美帆:ダービースタリオン04
6代目 里久鳴祐果:ダービースタリオンP
7代目 おのののか:ダービースタリオンGOLD
これらのイメージガールはCMやポスターなどに登場している。
ただしパッケージではちゃんと「競走馬シミュレーション」になっている。
全国版以降は当然「競走馬シミュレーション」に直っている。"