経歴
・1971年、アイルランド共和国南岸のコーク市郊外メイフィールドにて誕生。
・地元のクラブ、ロックマウントAFC→コープ・ランブラーズにてサッカー修行。
・1990年、イングランドの名門ノッティンガム・フォレストに入団。
・1993年、UK史上最高額(当時)でマンチェスター・ユナイテッドに移籍。
・ブライアン・ロブソン、スティーヴ・ブルース、エリック・カントナの後を継いでカントナ退団後にキャプテンに就任。
・2000年度プレミアリーグ最優秀プレーヤー賞を受賞。
・地元のクラブ、ロックマウントAFC→コープ・ランブラーズにてサッカー修行。
・1990年、イングランドの名門ノッティンガム・フォレストに入団。
・1993年、UK史上最高額(当時)でマンチェスター・ユナイテッドに移籍。
・ブライアン・ロブソン、スティーヴ・ブルース、エリック・カントナの後を継いでカントナ退団後にキャプテンに就任。
・2000年度プレミアリーグ最優秀プレーヤー賞を受賞。
所属クラブ
1989~90年
コーブ・ランブラーズ
1990~93年
ノッティンガム・フォレスト
1993~05年
マンチェスター・ユナイテッド
2005~06年
セルティック
コーブ・ランブラーズ
1990~93年
ノッティンガム・フォレスト
1993~05年
マンチェスター・ユナイテッド
2005~06年
セルティック
マンチェスター・ユナイテッド時代
1993年夏に当時の移籍金最高金額となる375万ポンドで、ユナイテッドへ加入した。
ホームデビューとなったシェフィールド・ユナイテッド戦でいきなり2ゴールを決め、チームの3-0の勝利に貢献。そのシーズンは結局プレミアシップで優勝を果たした。ユナイテッドでは合計7度のリーグ優勝を経験し、チャンピオンズリーグとインターコンティネンタルカップは1回ずつ、そしてFAカップは4回優勝した。
とにかく気性が荒かった!
恩師 ファーガソンが自伝でロイ・キーンを斬る
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毒舌の持ち主(ロイ・キーン)がクラブを去ることが決まったとき、ドレッシングルームには安堵の空気が流れた。ロイ・キーンの人格は中盤の支配力を失うにつれて変わっていった。
アレックス・ファーガソン自伝(日本語訳)より
アレックス・ファーガソン自伝(日本語訳)より
…自伝では、他にもっとドギツイ話があるようです。
ファーガソンは意外とロイ・キーンを信頼して、好んでいたと感じていたのですが少し残念です。
ファーガソンは意外とロイ・キーンを信頼して、好んでいたと感じていたのですが少し残念です。
2002年 日韓W杯
2002年日韓W杯予選、ホームでのオランダ戦の彼の活躍は特に素晴らしく、アイルランドが退場者を出した後の30分間の活躍は驚異的であり、アイルランドの各紙は最高の評価を与えたそうです。
事件
2002年5月にアイルランド代表が日韓W杯本大会に向けて事前合宿を行っていた際に起きた内紛騒動について。
キャンプ地には適さないサイパンの環境や当時キャプテンを務めていたロイ・キーンの利己的な振る舞いをキッカケに、代表監督のミック・マッカーシーとロイ・キーンが衝突。
後にロイ・キーンが、代表から追放されるという事態に発展したのでした。
キャンプ地には適さないサイパンの環境や当時キャプテンを務めていたロイ・キーンの利己的な振る舞いをキッカケに、代表監督のミック・マッカーシーとロイ・キーンが衝突。
後にロイ・キーンが、代表から追放されるという事態に発展したのでした。
ロイ・キーンの半生をまとめた記録
ロイ・キーン全記録
マンチェスター・ユナイテッド、そしてアイルランド代表の闘将、ロイ・キーンが、自らの半生を赤裸々に語るオフィシャルDVD。
マンUとアイルランド代表の試合映像や、盟友ベッカムらのインタビュー、プライベート映像などを収録。彼のすべてを網羅する。
マンUとアイルランド代表の試合映像や、盟友ベッカムらのインタビュー、プライベート映像などを収録。彼のすべてを網羅する。
via item.mercari.com
なにかとお騒がせなロイキーンさんですが、ベッカムなき今、
マンUはこの人が必要です。
でも、年齢的に活躍できるのもあとわずか、、、。
闘将の素顔を見てみて改めてこの人はロイキーンでした。