《伝説》の青春 島朗の青年期
2017年5月17日 更新

《伝説》の青春 島朗の青年期

初代竜王であり、羽生や森内や佐藤といった超一流棋士をうみだした伝説的研究会《島研》の主催者である島朗。彼の少年期と青年期をご存知だろうか。

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1963年

 島朗九段が生まれたのは1963年のことであったと申します。はてどんな年だったのかと将棋のタイトルホルダーを調べてみますと当然のように大山康晴が五冠王として君臨しておられる。まったくたいしたお人でございます。

 1963年生まれつまり島さんと同じ年生まれの人はどんな方がおられるのかなと思い調べてみると京極夏彦が3月26日生まれ、ジェット・リーが4月26日生まれ、ダウンタウンのおふたりでありますとかいっこく堂さんでありますとか片山右京に蝶野正洋。リリーフランキーもいらっしゃいますな。

 はー……

 京極夏彦と蝶野正洋って同じ歳なんですか?
 京極さんのほうはなにやらもう大正とか戦前あたりにものっしのっし歩いてそうな気がしますが百鬼夜行シリーズの読みすぎなのかもしれません。
島朗九段と同じ歳として有名なブラッド・ピット氏

島朗九段と同じ歳として有名なブラッド・ピット氏

島朗九段と同じ歳で有名なKONISHIKI氏

島朗九段と同じ歳で有名なKONISHIKI氏

島朗とは

島九段の代表的な著作「島ノート」

島九段の代表的な著作「島ノート」

 島朗という人は将棋指しでございます。
 それもたいへんな将棋指しでございまして、将棋の盤と駒を買うくらいならスーツを買うと言いながら実際にアルマーニのスーツを買ったり、それまではバチンバチン鳴らしていた駒をスっと静かに置いたり、置く場所からして盤の中央ではなくマスの下の線にあわせてくる。じつは将棋というものは駒の並べ方にも大橋流と伊藤流があったりこまごまとした伝統があるのですが島さんはこれをがらっと変えてしまった。
 伝統に従わない、という人はけっこういますが島さんのすごいところは自分のルールをスタイルとして流行させてしまったというところでございます。
 そもそも島さんは強かった。第1回竜王戦においてタイトル戦常連だった米長邦雄からなんとストレート4連勝でタイトルを初獲得。これが25歳の時だというから若い若い。そのあとにプールで泳いだり前夜祭で出会った人と交際し結婚しとぶれのない人でございます。

 将棋指しが将棋以外のところで活躍しているとどうもチャラチャラしているとか最近の若者はとか言われてしまいそうなものでございますが、島さんは軽薄一辺倒という人物ではありません。将棋が強いというわけでもない。ちゃんと悩める青年だったのでございます。
 今回は棋士としての島朗九段の軌跡ではなく、後に竜王に九段になる、才能と繊細さがある青年について述べさせていただきましょうと思っております。
アルマーニのスーツ

アルマーニのスーツ

将棋と言えばアルマーニのスーツですよ!

少年、島

 島さんが奨励会に入ったのは1975年らしいので12歳ということになりましょうか。奨励会というのは棋士を育成するところなんですが具体的になにをやっているかと申しますと、まあ、将棋でございます。
 月数回《例会》と呼ばれるものをやりまして何回か対局すると聞いております。そしてその成績をどこかにまとめておいて、勝率が良ければ昇級昇段し悪ければ降級後段となる。
 これだけ言いますとどことなく習い事だったり部活動だったりを連想してしまいますが実際そういう雰囲気はあるようでこのあたりは橋本長道「サラの柔らかな香車」にそれっぽいシーンがあったりします。
 将棋しか知らない少年たちの気を逸らし集中力を下げるためにわざと胸の空いたワンピースを着てきた人がいたというのは実話だったのかもしれません。橋本長道はすばる新人賞の受賞者ですが奨励会に所属していたいわゆる《元奨》だと言われております。
ハードカバーの「サラの柔らかな香車」

ハードカバーの「サラの柔らかな香車」

最初の表紙は女の子を撮影したものでありましたが、
集英社文庫「サラの柔らかな香車」

集英社文庫「サラの柔らかな香車」

文庫版だとかわいらしいイラストになっております。
 もちろん部活や習い事と言いましてもピンからキリまでございます。全国大会の常連で授業中でも部活のことを考えるような人たちもおりますれば、そもそも部としての人数が足りずに愛好会という身分でありしかも空き教室で麻雀をしていたのがバレて顧問の先生に叱られる我々のような人間も存在しているわけです。
 もちろん奨励会は前者も前者、プロになるためには必ず通らなければならない場所、プロの棋士でも《鬼の棲家》なんて呼ぶ人がいるからすごい世界でございます。

 所属している人たちは高い段位になると二十代に入りますが下のほうだと圧倒的に10代が多い。すると問題になってくるのが学校生活のこと。小学校はテストをほっぽりだしてもなんとかなりそうですが(なるのか?)中学になるとテストとか補修とか出てきます。ひときわ重要なのが《受験》でございましょうこれは一般家庭のお子様親御様ですら頭を痛めている方がいらっしゃるご様子。
 将棋界関係者や奨励会員にもこの問題は発生していて、古い話だと「高校に行く時間があったら将棋の勉強をしろ」という師匠に対して「そんな考え方だからあんたは八段になれないんだ」と言い返して鉄拳を食らったという弟子もいます。すごい話ですがこの弟子はきっちり名人をとったんだから大したもの。
師匠に反論したり名人を獲得したりなされた米長邦雄永世棋聖

師匠に反論したり名人を獲得したりなされた米長邦雄永世棋聖

 島少年はどう考えたか。定時制高校に行くことにしました。
 たしかに将棋の勉強には向いているかもしれない。不規則な予定が入りがちな身であり勉強もしなければならないとなるとさきほどの話ではありませんが学校に通わないことも選択肢に出てくる。ただプロの棋士になれると決まっているわけでもないし失敗するとは思わないが万が一に負けたときのことを考えるとあまりにもリスキー……というようなことを考えていたとするならば定時制は間をとったいい選択とも言えそうです。
 しかしこれは《ふつう》というものと一種の決別を意味していました。ふつうの高校生活はしなくていいからこそふつうの高校生活を味わうことができない。眠いなかとろとろと集まってくだらない話をし友人とあるいは女の子と昼食を食べクラブ活動をし図書館で本を借りるとどうも自分が借りている本は同じ人が借りているらしいと気づき名前をおっていくうちにその人がヴァイオリン作りをやっているさわやかな男子であると知り気の良いおじいさんの家で演奏にあわせて歌ったりなんかしちゃったりして夜にどうも虫の知らせがするから外を見てみるとなんと彼がいてしずくううううう!なんてことも体験できなくなってしまう。

 他の趣味や活動に気を取られて勝負弱くなってしまう人も多いですがこの選択はまちがっていなかったのか、島は高校3年生の時に17歳でプロデビューすることができます。プロになって最初にしたのは高校に退学届をだすことだった……という島九段の述懐がいろんなことを考えさせます。
プロ棋士と高校生を同時に行っていた羽生善治

プロ棋士と高校生を同時に行っていた羽生善治

高校に行かずに将棋の勉強をさせていれば、という意見に対し羽生さんは「高校に行けて良かった」とおっしゃっております。
島さんと羽生さんと佐藤さんと森内さんの共著「読みの技法」

島さんと羽生さんと佐藤さんと森内さんの共著「読みの技法」

佐藤さんと森内さんも羽生世代にして《島研》のメンバー。
 さあ島少年は活動的な少年だった。四段になってプロデビューしたらこっちのものとしめしめ顔をしたかどうかはわかりませんが夏は旅行をし女の子に声をかけ秋には女子高の文化祭をめぐる。どんな学校に行けば良いかを考え偏差値の高いミッション系で制服がかわいいところと条件を定め調べて若手を誘い突撃をかける。この効率的な動きたるや本人がその時期のことを《収穫期》と表現しているあたりからうかがえるというものでございます。
 健全なデートコースのためにスポーツも充実させ合コンやパーティーの企画も積極的に行っていく。このときは文化祭や旅行を一緒にした戦友たちが同行するわけですがみんなで「絶対に将棋の話はしない」と約束していたというのが涙ぐましい。涙ぐましい?

 こう書くとまるでもう人格がすごくスゴイ人のように思われてしまうかもしれません。
 しかしそうではないのです。
 島少年にとって、それは自分が捧げたふつうの学校生活というものを、月並みな言い方をすれば青春を取り戻す行為なのでございまして、しかもそれを自分でちゃんと自覚しておりました。だからこそ恋に女子にうつつを抜かして本業をおろそかにするということはせず、スポーツというのも体力をつけるためであったし、服装やライフスタイルの勉強をするために男性雑誌もいろいろ読み比べていたのでございます。

 島さんにふりまわされた犠牲者?のひとりである大野八一雄七段も島のすごくスゴイ行動力をつらつら書いたうえでおっしゃっております。
 
 彼はとても繊細な人物であると。恋をしたら真剣に悩む。
「好きな女性ができたけれどひとりでは会いに行けないので一緒に来てもらえませんか」と相談されたこともあるという。


 旺盛な行動力をもち青春を取り戻していった島少年。
 彼がヨコシマではないことを仲間たちはわかっていたし、そんな仲間たちがいたからこそこういったことができたという人情話でございました。人情話か?
純粋なるもの―トップ棋士、その戦いと素顔 (新潮文庫)

純粋なるもの―トップ棋士、その戦いと素顔 (新潮文庫)

島九段の著作

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