1996年に突如として出現した「羽生必敗の法則」そして《九段・対羽生勝率8割 田中寅彦》の裏話
2017年5月31日 更新

1996年に突如として出現した「羽生必敗の法則」そして《九段・対羽生勝率8割 田中寅彦》の裏話

1996年、「羽生必敗の法則―あなたにも天才が倒せます」と名打った本が登場した。棋書と言えば真面目なもの。しかも著者は《九段・対羽生勝率8割 田中寅彦》と堂々と記されている。いったいこの本はいかなる経緯で登場したのか……。

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羽生ってだれ?

将棋と言えば羽生善治、羽生善治と言えば将棋――と表現しても待ったをかける人はさほどおられないのではないか、というほどの功績をあげた人物でございます。

1985年に中学生でデビューしてから勝ち星をあげ、公式大会に出れば優勝するしタイトル戦に出ればタイトルをかっさらっていくという天才のなかの大天才。
特に1996年2月に達成した《タイトル独占》は7つのタイトル戦の全てで奪取あるいは防衛を成功させたという前人未踏の偉業。
爆発力もさることながら維持力もすさまじく1993年に順位戦A級に現れてから降級することなく鎮座しており今年の順位戦でも2位の成績をおさめるほど。

常になにかしらのタイトルを持っており、持っている限りは羽生名人、羽生王座、羽生三冠といった風に称号で呼ばれるので「段位で呼ばれたのは羽生六段が最後」という記録を現在も更新中とばりばりの現役でございます。
将棋界の記録を塗りかえることに定評のある羽生善治氏

将棋界の記録を塗りかえることに定評のある羽生善治氏

1996年

七冠独占を果たした年のことでございます。
羽生さんはこのとき26歳。七冠を独占しているので大会の予選や挑戦者決定戦には参加せずひたすら挑戦者を迎えることになるのですが、棋王戦で矢倉の遣い手高橋道雄、名人戦で同じ羽生世代の森内俊之相手に防衛を重ねます。
しかし強いと言っても無限に強いわけではない、羽生さんも人の子ですから第67期棋聖戦において三浦弘行五段にフルセットで敗れてしまいます。七冠独占日数は167日とのこと。

そんななか、ぽろっとこんな本が出版されます。
羽生必敗の法則―あなたにも天才が倒せます

羽生必敗の法則―あなたにも天才が倒せます

「え、マジで!? 俺にも羽生さんが倒せるの!?」
と食いついたアマ・プロの方はどれほどいたのか。羽生必敗の法則というタイトルも相当とがっていますが、やはり気になるのは

 九段・対羽生勝率8割 田中寅彦

 この文字列。田中九段、いったいどういう方なのか?

対羽生勝率8割!

 なんと事実です。
 田中九段は1957年生まれ、1976年にプロ入りをしているので羽生さんのひとまわり上といった年齢でしょうか。

 名前をご存知無い方もおられると思いますがけっこうすごい方で、棋界で大人気になり1995年に《藤井システム》が登場するまで幾人もの振飛車党を泣かせた《居飛車穴熊》を流行らせた張本人。
 まただいぶ古くから定跡として存在していた《矢倉24手組》に改良を加えたり、《無理矢理矢倉》をつくったり藤井システムに対しても《串カツ囲い》を考案するなど研究分析が得意な人物。ついたあだ名が《序盤のエジソン》。
 終盤を苦手としているとのことですが勝率1位賞4回、タイトル棋聖獲得1期という活躍もいたしました。

 羽生さんがデビューしたのが1985年のことなのでちょうどそのあたりに対局したのでしょう、その勝率たるや4勝1敗。率にするとなんと8割。一部では「ハブキラーのトラ」という異名もついていたとのこと。
序盤のエジソン 田中寅彦九段

序盤のエジソン 田中寅彦九段

裏話

 ところが田中寅彦九段、羽生さんが七冠制覇するしないといった頃合いにはすでにタイトルに絡む活躍をやめてしまっております。
 《対羽生勝率8割》なのにどうしてそういうことが起こるかと言いますと、勝ち進まないと羽生さんには当たらないという事情があるのです。
 基本的にタイトル戦というものは予選なり挑戦者決定戦なりでトーナメントを採用していまして、たくさんの人と戦うためにはたくさん勝たないといけない。さらにタイトルホルダーや名人級の人物は
 順位戦はリーグ戦なので比較的色んな人と当たりやすいのですが、田中九段は平成6年から10年までB級1組に所属していたのでちょうど羽生さんの面目躍如とすれ違ったかたちになるのです。

 肝心な本の内容ですが、羽生さんの分析こそしているものの結果としては《羽生さんは関西人でO型で山羊座か水瓶座の人に弱い》というもので具体的な指針にはならず。
 周囲の人も察していたのか公文式のCMに出演した際は羽生さんが「やってて良かった公文式」という台詞なのに対し田中九段は「やってりゃ良かった公文式」と散々。

 とどめのようなオチ話がありまして、本をだした時こそ4勝1敗対羽生勝率8割だったものが、長く指しているとやはり強豪と当たってしまうもので、その結果がなんと4連敗。ついに4勝5敗で逆転してしまったのが2001年のことだったのでございます……。

裏話の裏話

 なるほどじゃあ田中九段ってのはたいしたことない人なんだな、と結論付けてしまうのは早計というものでございまして。

 この人が序盤の構想に優れていることは先に触れましたが、1976年にプロ入りしてから1981年にC級1組へ昇級、そこからA級まではなんとそれぞれ1期抜け。
 終盤が苦手だというのも既出ですが、裏を返すと序盤構想だけでA級に行ったということなのでは……と考えるとすさまじいものがあります。
 余談ですが同じく序盤研究派の島九段、また《藤井システム》など革新的な序盤で知られる藤井九段も終盤を苦手としているらしく、逆に終盤を得意としている人は序中盤に荒削りなところがあるようで、得意不得意というものはやはり人の性質が出るものなのかもしれません。

 性質という点から言いますと田中九段という人、実は企画運営がけっこう得意でまた経済に明るいという棋士としては珍しく社会派な一面を持っております。その知識たるやNHKの経済番組に出演するほどで、当然のように連盟でも理事や専務理事となり出版広報などを担当されておられる。

 で、じゃあなんで「羽生必敗の法則」なんて本が出てくるのかと申しますと他の著作物を並べてみればわかりやすく、
羽生善治 神様が愛した青年

羽生善治 神様が愛した青年

羽生善治 進化し続ける頭脳

羽生善治 進化し続ける頭脳

 どうも羽生さんのことが大好きらしい。
 しかも《対羽生勝率8割》の表記が抜けていることからやはり「羽生必敗の法則」のあれやこれやは全て理解した上でやっていたというのが実情なのではないかと思うわけです。

 これを裏付けする逸話がありまして、先のCMにおける「やってて良かった公文式」ですが、どうもこの台詞を発明し羽生さんに言わせようと提案したのは田中寅彦九段本人らしい。すると田中九段が「やってりゃ良かった」と言ったのもおそらくは本人から言い出したこと。

 これら諸々の逸話と本人の性質や功績を考えた場合、どうも田中九段はこれからの将棋界運営のキーパーソンのひとりとなる予感がしております。
 田中九段の今後の活躍に乞うご期待。もし予想が当たったら色んな人に「私はずっと田中九段はできる人だと思っていた」と自慢しようと思います。
急戦でつぶせ ヤグラがなんだ

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田中九段のすごそうな本
後手無理矢理矢倉―矢倉はエジソンに聞け!

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田中九段のすごそうな本
実戦居飛車穴熊戦法―必殺!振り飛車破り

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田中九段の真面目な本
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