長男の誘拐事件あたりから、人気が低下していく
50年代前半は爆発的人気を博したトニーでしたが、その人を食った芸も徐々に飽きられはじめ、50年代中頃には人気も下り坂に。そこへ来て起こったのが、長男の誘拐事件。1955年7月15日から21日にかけて拘束された後に愛児は無事保護されたものの、犯人の動機が「トニー谷の、人を小バカにした芸風に腹が立った」だったために、トニーは芸風の変更を余儀なくされます。
ご存知ですか? 7月16日はトニー谷が亡くなった日です | 文春オンライン
いまから30年前のきょう、1987(昭和62)年7月16日、ボードビリアンのトニー谷が死去した。69歳。終戦直後の占領下にあって、フォックス眼鏡にコールマンひげ、派手なタキシードというスタイルで、英語…
この事件以降、仕事は激減。60年代に日本テレビの『ニッケ アベック歌合戦』で司会をつとめたのが最後の輝きであり、以降は、ハワイと東京で隠居のような生活を送った後に、1987年、69歳でがんのため亡くなりました。
妻によると「家では良き夫であり父だった」とも語られているトニー谷。最盛期には不遜な振る舞いを繰り返したかと思えば、晩年には立川談志の前で昔の無礼を泣きながら土下座して詫びたりと、その人物像は不可解極まりありません。実像がはっきりとつかめないからこそ、多くの人が彼に興味を惹かれるのでしょう。
妻によると「家では良き夫であり父だった」とも語られているトニー谷。最盛期には不遜な振る舞いを繰り返したかと思えば、晩年には立川談志の前で昔の無礼を泣きながら土下座して詫びたりと、その人物像は不可解極まりありません。実像がはっきりとつかめないからこそ、多くの人が彼に興味を惹かれるのでしょう。
トニー谷「さいざんすマンボ」
via www.youtube.com
(こじへい)
chisquare 2020/1/20 15:07
トニー谷と言えばキザでイヤミでオゲレツなキャラで一世を風靡したボードビリアンだが、戦後の日本人の自虐を出発点とする彼の芸風は徹底的に自己を否定、嫌悪の対象とすることで成立すると考えていたようで、そうしなければ人気を保てないという決意だったろう。果たして昭和30年の誘拐事件によって彼の子煩悩な素顔や辛酸に満ちた生い立ちが暴露されると却って人気は急落した。その後の彼の素顔をうかがわせる番組はラジオの「天晴れ風来坊」や「トニーの童話」だ。特に前者は「寅さん」とチャップリンの「キッド」と「母を訪ねて三千里」を合わせてミュージカルにしたような連続放送劇で、子供好きで優しく情に厚い行商人を演じていた彼のラジオドラマ代表作だろう。また後者はこれも子供向けの優しい童話を読み聞かせる番組だった。表看板の顔からすると信じ難いが、これが彼の素顔でなくてはこんな演技ができるはずはない。このような番組は録音や台本すら残っておらず完全に忘れ去られた。だが彼はその後も嫌味と毒気を舞台外まで貫いた。テレビで一時復活するが、彼の芸風は「もはや戦後ではなくなった」日本では長くは受け入れられなかった