Jリーグ開幕から30年!監督になったJリーガーってどのくらいいる?
2022年3月6日 更新

Jリーグ開幕から30年!監督になったJリーガーってどのくらいいる?

Jリーグが開幕してから30年。開幕当初から活躍している選手は三浦知良選手位だと思いますが、選手を引退して監督になった人も多いです。監督になったJリーガーをまとめてみました。

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日本代表の監督

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Jリーガーで監督になった人が増えてきたとはいえ、日本代表(A代表)の監督になっている人はまだまだ少なく2人だけです。

1人目はジーコ監督。2002年から2006年まで監督を務め、2006年のワールドカップも経験されていますね。

ジーコさんはブラジル出身。1989年に引退され、1990年には1年間政治活動をされていました。ですがその後1991年にプロリーグに参加表明をしていた日本サッカーリーグ2部の住友金属工業蹴球団に入団し、現役復帰しています。このチームはのちの鹿島アントラーズですね。Jリーグ開幕から入団し、1994年まで選手として活躍されていました。選手として活躍しているときも全体への指導や試合中の采配も兼任されていたそうです。

日本代表の監督を任期満了で辞任した後は日本から離れて別の国で監督やコーチをされていました。2018年に再び来日し、鹿島アントラーズのテクニカルディレクター、コーチとして活躍されています。

もう1人は2018年から2022年2月現在の日本代表の監督である森保 一(もりやすはじめ)さん。

高校卒業後、日本サッカーリーグ(JSL)のマツダに入団。のちのサンフレッチェ広島ですね。Jリーグ開幕からサンフレッチェ広島で選手として活躍されていました。1997年にレンタル移籍で京都パープルサンガでプレーしていたものの1999年にサンフレッチェに復帰。2002年からベガルタ仙台でプレーしていましたが2004年に引退しています。

その後、2004年からサンフレッチェ広島のコーチに就任。U-19サッカー日本代表と兼務もされていました。

2012年からサンフレッチェ広島の監督となり、1年目でJ1年間優勝に導きました。その後も3度のリーグ優勝などを果たしたのですが、2017年に成績不振のため辞任。

2017年に2020年東京オリンピックを目指すU-23日本五輪代表に就任します。その後、2018年に日本代表監督だったヴァヒド・ハリルホジッチ監督がワールドカップの2カ月前に解任され、西野朗さんが監督となりますが森保さんもコーチとして入閣します。

そして2018年にU-23日本と兼任したまま、日本代表の監督にもなったのでした。すごい経歴ですね。

古巣に帰った監督

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続いては昔プレーしていたチームに帰った監督。

有名なのはラモス瑠偉さんではないでしょうか。ラモスさんはブラジル出身ですが、1977年。19歳の時に来日し読売サッカークラブに入団します。その後1989年に日本に帰化されました。

1993年のJリーグ開幕時も読売サッカークラブからそのままヴェルディ川崎でプレーされていました。JリーグカレーのCMなどにも出演され、人気でしたよね。日本代表としても活躍されていました。

1996年春に京都サンガに移籍するものの1997年ヴェルディ川崎に戻り、1998年に引退されました。最後の試合は41歳9ヶ月5日。これは2009年までJリーグ最年長記録でした。

その後は指導者としてチームの立ち上げに貢献したり、ビーチサッカー日本代表の監督として活躍されていました。2006年から2007年まで東京ヴェルディの監督に。2009年までクラブ関係者として活動されていました。2014年から2016年はFC岐阜の監督も経験し、2020年から再び東京ヴェルディに戻りチームダイレクターとして活躍されています。

ヴェルディの監督経験者は他にも加藤久さん、柱谷哲二さん、永井秀樹さんなどもとJリーグで活躍されていた方が多いです。

他には横浜マリノスの木村和司さん、水沼貴史さん。ジュビロ磐田の名波浩さん。ガンバ大阪の松波正信さん、宮本恒靖さんなどが古巣に戻って監督をされた経験があります。昔からのサポーターにもやはりうれしいですよね。

他のチームの監督に就任

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選手として活動していたのとは別のチームで監督をしたという方も多いです。

1人目は長谷川健太さん。元々清水FCの一員でしたが大学卒業後の1988年に日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部に入団。1990年にけがで退団しています。その時に清水からオファーがあり、Jリーグ開幕を機に誕生した清水エスパルスに入団。1999年まで活躍し、引退されました。日本代表としてもプレーされていましたね。

引退後はサッカー解説や大学の監督を経験。そして2005年から2010年までは古巣の清水エスパルスで監督を務めました。1年目は経験のなさなどを指摘されていたのですがその後は世代交代を成功させ、低迷していたエスパルスを成功させました。

一度は古巣でも監督を経験していますが、その後は他のチームの監督に。2013年から2015年まではガンバ大阪。2018年から2021年まではFC東京。2022年からは名古屋グランパスの監督に就任しています。これだけ他のチームからお声がかかるのはすごいですよね。

他にはサンフレッチェ広島で活躍されていた高木琢也さんは横浜FC、東京ヴェルディ、熊本、長崎、大宮、相模原と多数のチームで監督をされました、

ジェフユナイテッドで活躍されていたピエール・リトバルスキーさんは、 横浜FC、アビスパ福岡で監督をされました。

横浜マリノスで活躍されていた井原正巳さんは、柏レイソル、アビスパ福岡で監督をされました。

今後もどんどん元Jリーガーの監督は増えていくでしょう。選手とはまた違う顔が見えるのも楽しみですね。
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