1997年2月4日、PJMフューチャーズ解散によりサガン鳥栖が誕生。マラドーナ兄弟のプレーも実現手前だった!
2017年2月4日 更新

1997年2月4日、PJMフューチャーズ解散によりサガン鳥栖が誕生。マラドーナ兄弟のプレーも実現手前だった!

2002年のアジア開催W杯を見据えて、優秀な選手を輩出しようという桑原勝義氏を中心としたプロジェクトから生まれた「PJMフューチャーズ」。佐賀県に移り、スポンサー離れにより解散し。サガン鳥栖が誕生した。マラドーナ兄弟の招聘も実現可能だった。

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皆さんは覚えているだろうか。サッカー王国静岡で結成され、連戦連勝を飾った「PJMフューチャーズ」を。
その後、佐賀県鳥栖に移転し、日本代表クラスを迎え入れる補強を行い、マラドーナ兄弟の招聘にも奔走した期待のサッカーチームだった。

しかし、Jリーグ昇格は叶わず、スポンサーが離れ、チームは解散を余儀なくされた悲運のチームでもあった。
2017年2月4日現在からちょうど20年前に起きた、”企業スポーツ”であるJリーグの現実をまざまざと突きつけられたサッカーチームを特集する。

※下記は2月4日の「今日は何の日」?へのリンクです。
本稿のPJMフューチャーズ、サガン鳥栖のできごとも記載されています。サクッと読めて過去のできごとを知れるお手軽な”年表的”記事です。良ければご一読くださいませ。

J1を目指した伝説のサッカーチーム「PJMフューチャーズ」

現在J2のサガン鳥栖の母体となった、
静岡県浜松市に存在した伝説的サッカーチームです。

2002年のアジア開催W杯を見据えて、優秀な選手を輩出しようという桑原勝義氏を中心としたプロジェクトから生まれたチームです。
日本のサッカーリーグの最下層、静岡県の西部3部リーグからスタートし最短の8年でJFL(現在のJ1)の舞台に立とうというもので、それをJ2昇格までは無敵の91連勝で順調に7年で成し遂げたのです。
「PJMフューチャーズ」ユニフォーム

「PJMフューチャーズ」ユニフォーム

出典 kwout.com
1987年に創設され、破竹の勢いで連勝を重ねた!

1987年に創設され、破竹の勢いで連勝を重ねた!

1994年、ホームタウンを佐賀県鳥栖市に移転。運営法人の佐賀スポーツクラブ株式会社を設立し、1994年7月に経営基盤改善と、鳥栖スタジアム完成までの暫定本拠地で、1976年開催の第31回国民体育大会(若楠国体)の主会場としての整備を行っていた佐賀県総合運動場陸上競技場の整備が進んでいることを受けてようやく承認され、Jリーグ準会員となった。

ただし、当時は準会員チームも参加可能だった同年のJリーグカップ・Jサテライトリーグへは参加できなかった。
1994年のメンバー

1994年のメンバー

前列右から3番目(背番号9)は、ディエゴ・マラドーナの弟であるウーゴ・マラドーナ!
1995年、鳥栖フューチャーズと改称し、元日本代表GKの松永成立や元カメルーン代表主将のステファン・タタウなどを大型補強した。
1996年も選手の大量補強が行われ、6月に鳥栖スタジアムがオープンすると平均入場者数は1万人を越えた。しかし、3年連続4位にとどまり、Jリーグ昇格は叶わなかった。

そんな中、静岡県藤枝市を拠点としていた中央防犯FC藤枝ブルックスがJリーグ参入を目指して福岡市に本拠地を移転し、福岡ブルックス(現在のアビスパ福岡の前身)が誕生。
地理的に競合することとなった上に、鳥栖移転時にスポンサーになるはずだった福岡の企業がスポンサーを辞退。
「鳥栖フューチャーズ」フラッグ

「鳥栖フューチャーズ」フラッグ

「鳥栖フューチャーズ」ユニフォーム

「鳥栖フューチャーズ」ユニフォーム

1996年までホームスタジアムとして使用していた佐賀県...

1996年までホームスタジアムとして使用していた佐賀県総合運動場陸上競技場

累積赤字が12億円に膨らみ、96年12月にPJMが経営から撤退。チーム解散に追い込まれた。
しかし、5万人分の署名を集めるなどサポーターやファン、県サッカー協会関係者らの懸命の努力と熱意で「サガン鳥栖」発足が認められた。
1997年2月1日の佐賀新聞。見出しは「鳥栖F運営会社...

1997年2月1日の佐賀新聞。見出しは「鳥栖F運営会社が解散」

2月4日、新チームである「サガン鳥栖」が誕生した。その後、1999年よりJリーグへ加盟している。
ちなみにチーム名の「サガン」は、砂粒が固まって砂岩になるように小さい力を集結させ、立ち向かうことを表すしている。また「佐賀の」にも通じているとのこと。
「サガン鳥栖」歴代ユニフォーム

「サガン鳥栖」歴代ユニフォーム

「マラドーナ兄弟」のプレーが実現する予定だった!

実現一歩手前まで進んだ補強があった。
PJMフューチャーズ時代、監督の桑原勝義が協会にプロリーグ入りを要請しに行ったところ「ディエゴ・マラドーナを連れてきたら考えなくもない」と言われたという。それを聞いて、本気になった桑原はイタリアまで飛んで本人を追い掛け回して直談判まで持ち込んだ。

その頃のマラドーナはイタリア生活に疲れていた上に、1990 FIFAワールドカップでアルゼンチンがイタリアを下したために苛烈なバッシングに遭っており、「日本でプレーする」という言質まで取るが、マラドーナの麻薬スキャンダルが発覚し、マラドーナのJリーグ入りは消滅した(その他、1991年には名古屋グランパス入りも有力視された)。
ナポリ時代の兄ディエゴ・マラドーナ

ナポリ時代の兄ディエゴ・マラドーナ

一方、弟であるウーゴ・マラドーナは、兄の所属していたイタリア・セリエAのナポリに在籍したが、カレカなど大物外国人選手がいたため、外国人枠から漏れ、兄弟でのプレーを期待されながらも、チームを転々としていた。
そんな中、1992年にPJMフューチャーズ(当時本拠地・浜松市)に入団。
当時のPJMフューチャーズは将来のJリーグ参入とディエゴ・マラドーナ獲得を掲げ話題となっていたが、ウーゴの移籍は「兄を呼び入れる為の布石だ」とファンやマスコミの間で推測された。

結果として兄弟でのプレーは前述の兄の薬物問題によって実現する事はなかったが、ウーゴ自身はアルゼンチンJrユース代表経験者らしく、戦力として充分に貢献した。
1994年頃の弟ウーゴ・マラドーナ

1994年頃の弟ウーゴ・マラドーナ

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