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北澤 豪
生年月日 1968年8月10日
出身地 東京都町田市
経歴
中学時代は読売サッカークラブ・ジュニアユースに所属。
修徳高校卒業後、本田技研工業株式会社に入社。
海外へのサッカー留学・日本代表初選出を経て、
読売クラブ(現 東京ヴェルディ)へ。
日本代表としても多数の国際試合で活躍した。
(J1リーグ戦 264試合・日本代表国際Aマッチ 59試合)
03年現役を引退。
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所属クラブ
1987年~1991年
本田技研
1991年~2002年
読売クラブ→ヴェルディ川崎→東京ヴェルディ1969
本田技研
1991年~2002年
読売クラブ→ヴェルディ川崎→東京ヴェルディ1969
サッカー漬けの子供時代
東京都町田市に生まれました。サッカーが盛んな地にあって、小学校1年の時父親に勧められサッカーを始め、地元のチーム(町田スリーエス)に入部します。クラブでの練習が終わっても父親に厳しく指導され、スタミナを強化。その後6年で市選抜チームの主将となりました。
選手としての特徴
1993年、日本サッカーのプロリーグ「Jリーグ」が誕生した。
緑色のユニフォームを身にまとい、長髪をなびかせながら、小柄な体でピッチを縦横無尽に走るプレースタイルは、サッカーファンならずとも記憶に刻まれているのではないだろうか。
旺盛な闘志と豊富な運動量を誇るプレースタイルから、中盤の“ダイナモ”と称された。技術的にはトラップ、ボレーが非常にうまい。
代表
負けず嫌い
レギュラー奪回を目論んでいた北澤は、オフト監督から思いもしなかったことを言われたという。
「おまえは、招集した27名中、27番目の選手だ。それを理解して行動するように」
北澤にとっては、厳しい通告だった。だからといって、北澤がめげることはなかった。
逆に、その言葉が彼の闘争心に火をつけた。疲労骨折の影響でコンディションは完璧ではなかったものの、スペイン合宿で懸命にアピール。最終予選に臨む22名のメンバー入りを果たして、ドーハに向かった。
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フランスW杯の落選
「これからのW杯を戦っていく上で、いろいろと(戦術を)変更しないといけない。そうなると北沢のポジションはなくなる…」
これだけでしたよ。岡田(武史監督)さんから言われた言葉はね。伝えるだけで精いっぱいの感じがしたし、それ以上、言い訳(説明)を聞いても仕方ないので「分かりました」と途中で話を切った。岡田さんは僕と目を合わせることもなかった。
〈1998年6月2日、フランスW杯直前のスイス・ニヨン合宿。岡田監督は北沢、三浦知良、市川大祐の最終メンバー落選を発表した〉