若かりし大竹しのぶ    超マジメ! 超清純! 初めての男性と結婚! なのに「魔性の女」「あざとい」といわれてしまう業の深さ。
2023年5月3日 更新

若かりし大竹しのぶ 超マジメ! 超清純! 初めての男性と結婚! なのに「魔性の女」「あざとい」といわれてしまう業の深さ。

超清貧な家に生まれ、高校1年生で芸能界入りした美少女は、清く正しく、そしてすごく押しの強い生き方を敢行。結果、自在に人を惑わし男を虜にする「魔性の女」と呼ばれるに至った。

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その後も2人は人目を避け、都心から離れた場所でデートを続けた。
交際して約1年後、1982年8月12日、役所に婚姻届けを提出。
さらに2ヵ月後の10月12日、結婚式を挙げた。
2時間の披露宴の間、大竹しのぶは泣きっぱなしだった。
「妻たるもの、毎日夫に美味しい手料理を食べさせなければ」
全く料理ができなかった大竹しのぶは、分厚い本を購入。
材料から調味料まで本と寸分たがわぬ分量で、書いてある通りに料理。
「おいしい」
といわれるのがうれしくて仕事と同じくらいの情熱とエネルギーを料理に注ぎ込み、朝、夜だけでなく弁当までつくった。
「今日は部下を連れて帰るから」
といわれるとバイブルの料理本からおもてなし料理をそっくりそのままつくり、テーブルに並べた。
頑張りすぎた結果、稽古中に倒れてしまった。
あまりに料理に集中しすぎて、つくる過程でお腹がいっぱいになってしまい、自分はまともに食べていなかった。
「しのぶは仕事があるんだから家のことでそんなに無理しなくてもいいよ」
病院で点滴を受けながら服部春治にいわれたが、
「手を抜こうとはサラサラ思わなかった」
特にイベントごとには力が入り、クリスマスのチキンは
「ナイフを入れると中からチーズがトローリ溶け出すという凝りよう」
初めてのおせち料理も
「カマボコまで手作り」
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1度だけ、忙しくて時間がなく、インスタントを使ったことがあった。
味の素の「麻婆茄子」に少し手を加えたものを
「今日はクックドゥなの」
といわなくてはならないと思いつつ、いえないまま食卓へ。
すると
「いつものようにおいしいね」
と服部春治にいわれ、まず驚き、自分も食べてみると本当においしくて、再び驚き、
「今まで自分が作ってきた料理は何だったの?」
と思った。
「妻たるものは」編み物にも挑戦。
おしゃれでファッションにこだわりがあった服部晴治は、25歳の妻が編んだセーターやおそろいの帽子をかぶった。
そして仕事でパーティーに出席すると
「どういう席順だったの?」
「春治さんの隣は誰が座ったの?」
と問い質された。
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結婚して約1年後、服部春治が
「胃が痛い」
というので病院で診てもらうと
「神経性胃炎」
といわれた。
その後、症状は悪化したが、忙しさにかまけて病院に行かず、半年後、ついに耐え切れなくなり再検査。
医者は服部春治には胃潰瘍と知らせたが、大竹しのぶを別室に呼んで胃にガンらしきものがあると告げた。
大竹しのぶは涙をポロポロ流しながら
「彼はどれくらい生きられるんですか?」
「だいたい1年くらいです」
大竹しのぶは意識が遠のきそうになるのを必死にこらえた。
(今泣いてはいけない)
(取り乱しちゃいけない)
と自分にいい聞かせて病室へ。
服部春治から鋭い視線を受け、自分の病状を読み取ろうとしているのがわかったので自分を奮い立たせ目をそらさず
「もう情けなくて、思わず泣いちゃった。
どうして潰瘍がこんなにひどくなるまで放っておいたのかって叱られたよぉ。
気づかなくて本当にごめんね」
大竹しのぶは、医者と話し合って告知はしないと決めていた。
(あと1年しか生きられないなんて絶対に信じない。
私が必ず治してみせる。
スタートだ。
ここからだ)
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服部春治は、1983年11月30日に入院し、手術を受け、12月31日に退院し、年が明けると仕事に復帰。
半年後の1984年6月、大竹しのぶが妊娠していることがわかった。
服部春治は、最初の結婚で2人、2度目の結婚で1人、合計3人の子供がいたため、さらに子供を持つことに戸惑い、出産に反対。
大竹しのぶは、初めてケンカした。
最終的に服部春治が
「天から授かった命をどうすべきかと一瞬でも迷った自分が恐ろしいよ。
葬るなんて許されるわけがない。
それに何よりしのぶが子供を望んでいる。
躊躇して悪かった」
と謝った。
これまで励まし続けてくれた服部春治の担当医も
「父親が抗ガン剤を服用している場合、障害を持った子供が生まれる可能性が高いんです。
それに父親がいない子供を産むつもりですか」
と出産に反対。
大竹しのぶは、、この2人目の反対者に対しても
「どうしても産みたいんです」
と訴え、胎児の異常を専門にしている大学病院の医師に紹介状を書いてもらった。
「どんなことがあっても絶対にこの子は産む。
たとえどういう状態で生まれてこようと立派に育ててみせる」
と決めていた。
妊娠3ヵ月のとき、撮影で転ぶシーンがあり、
「がんばれ。
ちゃんとしがみついていてね」
とお腹の赤ちゃんにメッセージを送り、無事、シーンを撮り終えた
その後、育休に入ると服部春治と生まれてくる子供の話をすることが多くなった。
「しのぶ、僕たちの子供はきっと男の子だよ」
「そうだね。
ヨシッ、日に焼けた元気な子に育てよう。
2人でね」
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1985年1月29日、大竹しのぶは、男の子を出産。
服部春治は
「2000年に羽ばたく」
という願いを込めて
「二千翔(にちか)」
と命名。
大竹しのぶは、産後7ヵ月後で仕事に復帰。
しかしいきなり名古屋で1ヵ月ほど滞在しなければならない仕事で、二千翔は同居している自分の母親に預けたが、会いたくて仕方なかった。
同年、服部春治が演出を務めるドラマに出演。
服部春治の依頼で台本は書き直され、妻に病気で先立たれた原田芳雄のセリフは
「僕はもう45歳でしょ。
今でもこんな風に人を愛したことはなかったし、これからもこんな風に誰かを愛することは2度とないだろう」
となった。
大竹しのぶはドラマを観た友人に
「あのセリフ、服部さんがしのぶに宛てたラブレターじゃないの?」
といわれ、服部春治に
「そうなの?」
「そうだよ。
よくわかったね」
「ありがとう」
大竹しのぶは服部春治に抱きついた。
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1986年は、家族3人で正月を迎えた。
医師のいった余命1年は過ぎ、大竹しのぶは
「もしかすると彼はガンに勝ったんじゃないだろうか」
と思った。
仕事をしているときは病気のことを忘れることができ、不安を紛らわすためにもセーブはしなかった大竹しのぶは、「奇跡の人」という、見えない、聞こえない、喋られない、3重の障害を持つヘレン・ケラーの舞台からオファーが来ると
「やった!
ヘレン・ケラーをやれる」
と喜んだ。
しかし実際にヘレン・ケラーを演じたのは、1973年生まれの安孫子里香。
1957年生まれの大竹しのぶは、20代後半という自分の年齢と図々しさを痛感。
そして1ヵ月間の公演中、休みなしで昼と夜に舞台に立った。
「奇跡の人」には、この1986年以降も、1987年、1992年、1997年、2000年、2003年と出演。
暴君、ヘレンのもとにやってきた、ケンカ早くて不器用な家庭教師のアニー・サリヴァンを演じた。
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7月には「男女7人夏物語」で明石家さんまと共演。
明石家さんまは、大竹しのぶより2歳上。
まだ通い弟子をしながら兵庫県西宮市の家賃7500円のオンボロアパートで1人暮らしをしていた頃、家具は瓶ビールのケースを並べた上に板を置いたベッドと小さなテレビだけという極貧生活だったが、NHKの朝の連続テレビ小説「水色の時」で17歳だった大竹しのぶをみて憧れを抱いた。
そして軽妙なしゃべりで爆発的な人気を得て、東京に進出し、25歳のとき、大竹しのぶと初めて出会った。
自叙伝「ビッグな気持ち」とCD「Bigな気分」をリリースした明石家さんまは、朝のワイドショーで歌うことになり、テレビ局へ。
その廊下で服部春治と付き合い始めた頃の大竹しのぶとスレ違った。
大竹しのぶはガラガラ声で歌う明石家さんまをみて
「この人はきっとすごい大病を患っている人だ。
若くてしてもうすぐ死ぬ人のためにテレビ局の人が最後に出させてあげたんだ」
と思い、泣きそうになった。
大竹しのぶの母親も家で番組をみていて
「あんな声で・・・
かわいそうに・・・」
と思った。
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好感度ナンバーワンタレントとなった明石家さんまは、お笑い芸人として初めてトレンディドラマの主役に抜擢された。
「男女7人夏物語」の初顔合わせの日、明石家さんまはジミー大西の運転でいきなり遅刻。
「今井良介役の明石家さんまさんです」
と紹介された後、隣に座っていた神埼桃子役の大竹しのぶに話しかけられた。
「ねえ、さんまって芸名、気に入ってるの?」
「気に入るも何も・・」
「イワシじゃイヤだったの?」
「・・・・師匠がつけてくれたんで」
「あ、そうなんだ。
師匠、魚が好きなんだ」
「・・いや」
「明石家サバでもよかったかも」
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制作発表の記者会見で大竹しのぶは、
「私は今までどちらかというと思い役が多かったと思うんです。
テレビの前のみなさんが観終わった後に疲れたと感じるような。
今回はさんまさんの力で私の明るい面や軽い部分を引き出していただけたらいいなあと思っています」
とコメント。
撮影が始まるとカメラが回っていなくてもテンションを下げず共演者やスタッフを笑わせる明石家さんまに大竹しのぶは
「笑いのためなら何でもやるってことだよね」
「そうそう、面白ければイイ」
明石家さんまを筆頭に出演者は売れっ子が多く、全員が揃うシーンを撮る機会は少なかった。
ときには24時から撮影が始まって終わったときは空が明るくなっていたり、深夜にスタジオ撮影をして数時間後に野外ロケに出発するなど過酷なスケジュールとなった。
出演者にとっては移動のバスの中だけ唯一の睡眠時間だったが、そこでも明石家さんまだけは1人でしゃべり続けた。
大竹しのぶは
「ねぇ、わかってる?
みんな眠りたいと思っているのよ」
と注意した。
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超売れっ子の明石家さんまは、よく遅刻した。
あまりの遅刻の多さに激怒していた大竹しのぶと生野慈朗監督が
「驚かせてやろう」
とドッキリを企画。
遅れてきた明石家さんまにADが
「大変です。
大竹しのぶさんが怒って帰っちゃいました」
と伝えると
「そうでっか。
すんまへんなぁ。
ほな今日は終わりでんな。
お疲れっス!」
といって帰ろうとしたため、少しは凹むかと思っていた大竹しのぶは飛び出ていって
「何、いっているの!」
と怒った。
その後、
「堪忍してくれいうとるやないか」
とひたすら謝る明石家さんまと
「何いってるの。
みんな笑っているけれどスタッフがどんな思いをしているのか知っているの?」
と怒りはおさまらない大竹しのぶ。
周囲は、
「2人で夫婦漫才ができるわ」
と笑った。
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