80,90年代に活躍した芸能リポーターたち
1980年代~90年代にかけて、テレビのワイドショーはまさに戦国時代。今だったら確実にアウトな強引な取材も。そんな時代に活躍していたのが、芸能リポーターたち。朝や昼のワイドショーで見ない日はなかったほどの名物レポーターをプレイバックしてみましょう。
80,90年代はワイドショー戦国時代
今は朝の情報番組枠は、芸能ワイドショーを扱うものだけでなく、生活情報など様々なテイストの番組が生まれていますが、まだネットもなかった当時、ワイドショーの情報だけが芸能人の情報を得るチャンスだったこともあり、まさにワイドショー戦国時代でした。
おはよう!ナイスデイ(フジ)、ルックルックこんにちは(日テレ)、モーニングEye(TBS)、スーパーモーニング(テレ朝)と各局しのぎを削っていました。
同じネタを以下に他局よりインパクトを与えて放送するか、そのため芸能レポーター達は、過激な法すれすれの取材もいとわないアバンギャルドな時代でした。
おはよう!ナイスデイ(フジ)、ルックルックこんにちは(日テレ)、モーニングEye(TBS)、スーパーモーニング(テレ朝)と各局しのぎを削っていました。
同じネタを以下に他局よりインパクトを与えて放送するか、そのため芸能レポーター達は、過激な法すれすれの取材もいとわないアバンギャルドな時代でした。
梨本勝
via s.eximg.jp
芸能レポーターの代名詞的存在になっていましたよね。
口癖の「恐縮です」を連発しながら、本当に恐縮しているのかな!?と言う感じだった。
口癖の「恐縮です」を連発しながら、本当に恐縮しているのかな!?と言う感じだった。
テレビ朝日でリポーター業をスタートし、大きな地位を確立。一時日本テレビに移籍するも再びテレビ朝日に戻り、同局のワイドショーには欠くことのできない存在として活躍。2005年(平成17年)にはTBSに移籍。1990年代以降は、契約するテレビ局にかかわらず、芸能評論家として民放テレビ・ラジオ各局に幅広く出演した。代表的な芸能リポーターとのイメージから、稀に芸能リポーターの役で俳優として出演することもあった。
先述の通り、成り行きで記者となったが、最初はスクープの獲れない記者だった(獲れないではなく、スクープを物にする方法が分からず、抜かれてばかりだった)。この状態に佐藤蛾次郎より「なんにもナシモト」とのあだ名を付けられた。
東海林のり子
「現場の東海林です」と言う名台詞が、よくコントなどでパロディ化されていました。
女性芸能レポーターの先駆け的存在。
女性芸能レポーターの先駆け的存在。
ニッポン放送退社後は、テレビのワイドショーの事件レポーターとして活躍。そのレポート振りは、ナンシー関に「(凄惨な事件の現場や被害者の葬儀会場にて)悲しそうな表情で、涙を流しているにもかかわらず、声は鼻声にならず普段通りである。素晴らしいプロ技だ」と高く評価された。”現場の東海林です”という決まり文句で知られるが、”現場の東海林がお伝えしました”は、バラエティ番組ドラマ(再現ドラマ)でのみ使われるものである。
バレーボールワールドカップ'89 PRスポット 【東海林のり子】 1989 - YouTube
via youtu.be
前田忠明
フジテレビのワイドショーと言えば、この人!
今もたまに出演していますよね。
今もたまに出演していますよね。
同業者だった梨元勝とは取材方法や芸能ニュースへのスタンスの違いから、“天敵”“犬猿の仲”と言われたが、前田自身は否定している。前田は、かつて梨元から「仲が悪いようにしていた方が面白いんじゃない」と提案されたことを、梨元が死去した際に明かしている。
「小川宏ショー」以来専属契約ということもあり、フジテレビ系列のワイドショーに出演している。芸能関係を一手に引き受けているが、「とくダネ!」がスタートした1999年以降は出番が減っている。