マルチな活躍ぶりをみせる梅沢富美男さん
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ミドルエッジ内には、すでに梅沢富美男さんのことを扱った記事があります。
【梅沢富美男】暴言大王として認識されつつある彼も、かつては「下町の玉三郎」と呼ばれていた時代がありました。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
過激な発言や暴言、いまやキレるおもしろおじさんとして芸能界に君臨する、『暴言大王』梅沢登美雄。ただのおもしろおじさんではなく、『下町の玉三郎』として、大衆演劇の世界ではNO.1と言っていいほどの実力を持つ、女形の第一人者です。
今回の記事では、こちらでは紹介していない情報を紹介していきますが、まずはご参考にご覧になっていただければと思います。
梅沢富美男さんの経歴
1939年、梅沢劇団の創設者にして、大衆演劇のスターとして活躍した梅沢清さん、娘歌舞伎出身の竹沢龍千代さんの間に、梅沢富美男さんは八人兄弟の七人目の子供として生まれました。
芸名のようなお名前ですが、当時の阪神タイガースの選手だった藤村富美男さんに因んで命名されたもの。名字こそ芸名ですが、本名は”池田富美男”といい、下の名前は本名そのままです。
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そんなお家柄だったことから、梅沢富美男さんは一歳七カ月のときには初舞台を踏んでおられます。1963年には、兄・梅沢武生さんが父親から梅沢劇団を引き継ぎました。
現在、役者としては女形で有名な梅沢富美男さんですが、初めは男役を演じていたそうです。当時、特撮作品の原作者として知られる石ノ森章太郎さんが梅沢劇団を贔屓にしていたようで、そんな石ノ森章太郎さんからのリクエストから、ちあきなおみの『矢切の渡し』を踊ることになり、座長となった梅沢武生さんに勧められて梅沢富美男さんは女形を演じることになったといいます。
梅沢富美男が何者かわからない人がいない可能性もあるので、『下町の玉三郎』と言われる所以を貼っとく。 #小さな巨人 pic.twitter.com/VxfhGNU8cZ
— もけ (@motosuke06) May 28, 2017
それ以降、本格的の女形に転身し、独学で女性らしさを勉強。下町の玉三郎と呼ばれるようなスターとなり、副座長として兄・梅沢武生さんを支えました。
歌手としては、1982年に発売した歌謡曲『夢芝居』が大ヒットしました。
翌1983年には、NHK紅白歌合戦に出場しています。
翌1983年には、NHK紅白歌合戦に出場しています。
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2000年以降は、バラエティー番組やワイドショーのコメンテーターとしても活躍するように。特技である料理の腕前を披露したり、芸能・時事ネタに対しては辛辣な発言をする等、ご意見番的な立場としてもお茶の間から人気を集めました。
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当初は中学しか出ていない自分がテレビ番組でコメンテーターとして意見を述べることに抵抗があったそうですが、本業は大衆演劇なので、いつ番組を降板しても構わないといったスタンスで収録に臨み、逆に言いたいことが言えたのだそうです。
2012年には、梅沢富美男さんは梅沢武生さんから梅沢劇団を引き継ぎ、その後、梅沢武生さんは後見に回っています。
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この頃に放送が始まったのが、フジテレビ系列のバラエティー番組『使える芸能人は誰だ⁉プレッシャーバトル‼』。梅沢富美男さんが現在もご活躍されている『プレバト‼』の前身となったテレビ番組ですね。
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『プレバト‼』は著名人・有名人がさまざまな分野で才能を競う番組で、梅沢富美男さんは俳句で注目される存在に。番組内では、永世名人にまで昇格し、先生として出演している俳人・夏目いつきさんとの絶妙な掛け合いも番組の見どころとなっています。
俳人としても有名になった梅沢富美男さんですが、俳句を詠むのは『プレバト‼』だけだと決めているそう。俳句関連の他番組やイベントの出演オファーがくることも多いそうですが、そういった仕事は全て断っているみたい。変に律儀なところも梅沢富美男さんらしいですよね。
俳人としても有名になった梅沢富美男さんですが、俳句を詠むのは『プレバト‼』だけだと決めているそう。俳句関連の他番組やイベントの出演オファーがくることも多いそうですが、そういった仕事は全て断っているみたい。変に律儀なところも梅沢富美男さんらしいですよね。
梅沢富美男さんの二回のご結婚
しかし、この発表で堂々と世間に顔向けできるようになったのに、この数年後にお二人は離婚といった結末を迎えてしまったようですね。
ミスタープレバト
生年月日:1950年11月9日
出生地 :福島県福島市
職業 :俳優・歌手
タレント・コメンテーター
司会者
活動期間:1952年~