バラドルとしても活躍した『森下恵理』ハーフっぽい顔立ちが印象的!
2019年7月2日 更新

バラドルとしても活躍した『森下恵理』ハーフっぽい顔立ちが印象的!

1985年にアイドル歌手としてデビューした森下恵理さん。ハーフっぽい顔立ちが印象的なアイドルでした。バラドルとしても活躍し、バラエティ番組でアシスタントや司会を務めていましたよね。そんな彼女のアイドル時代から現在までをまとめてみました。

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森下恵理プロフィール

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【森下恵理プロフィール】
名前:森下 恵里
(もりした えり)
本名:登 恵理
(のぼり えり)
生年月日:1967年8月6日(51歳)
出身地:北海道札幌市


森下恵理さんは1981年中学2年の時、芸映主催の

『西城秀樹の弟妹オーディション』にて、準優勝を受賞。

松本伊代さんの『センチメンタル・ジャーニー』を本選で披露し、サビの歌詞『伊代はまだ16だから』を

『恵理はまだ14だから』に変え、

審査員の票を多く獲得。

ところが西城秀樹さんが『石川秀美』さんを猛プッシュしたため、

森下さんは『準優勝』という結果になりました。
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コンテストで優勝した石川秀美
『西城秀樹の弟妹オーディション』をきっかけにスカウトされ、

森下さんは芸能界に入りました。

そして1985年6月21日

『ブルージン・ボーイ!』でアイドル歌手としてデビュー。

同オーディションにて優勝し、1982年にデビューした『石川秀美』さんより

3年遅いデビューとなりました。

デビュー曲はオリコン『29位』で、自己最高記録となりました。


王道のアイドル路線で売り出し、新人賞レースや雑誌などにも登場。

同期デビューの本田美奈子さん・中山美穂さん・井森美幸さん・網浜直子さんと親交があったようです。

ブルージン・ボーイ! 森下恵理 スーパージョッキー

バラドルとして活躍

85年・86年はアイドル歌手として活動するも、

87年から『シンガーソングライター』として活動を開始。

シンガーソングライターとして発売した、シングル『Blue Eyesを抱きしめたい』は、

オリコン順位『144位』と振るわず。

この頃から、

『バラドル』としてバラエティ番組に出演するように。

森下さんの天然キャラに注目が集まり、バラエティ番組ではアシスタントに抜擢されました。
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テレビ朝日系『歌謡びんびんハウス』では、

1987年4月から1年間アシスタントを担当。

司会の笑福亭鶴瓶さんを相手に『ボケ』を連発。

森下さんの天然キャラが更に開花された番組でしたね。


バラドルとして活躍するも

1989年、結婚を機に森下恵理さんは芸能界を引退しました。

そして、この年に長男が誕生したそうです。

授かり婚だったのかな?
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歌手として復帰!

引退後から7年後の1996年、森下恵理さんは

『Eri』の芸名で芸能界に復帰します。

同年5月に

『強くなれる』をリリースして再デビュー。

デビュー曲のプロデュースやアレンジは、自身が担当したそうです。

2000年にバンド『moneji』を結成し、

ライブを中心に活動。

2005年にはインディーズ・アルバム『MONEJI』をリリース。

ところがメンバーの音楽性の違いから、monejiは解散してしまうのでした。
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バンド解散後はソロに

バンド解散後は、

『Nobori Eri』名義でソロ活動を開始。

2008年の夏、森下さん自身のレーベル『TOM RECORDS』を設立されています。

2012年6月アルバム『HARDflower』をリリース。

2015年10月アルバム『Happy Ending Story 』をリリース。

どちらのアルバムも、自身のレーベル『TOM RECORDS』からリリースされています。

2016年2月には、

竹本孝之さんの番組『Live in TOWER』にゲスト出演。

トークコーナーでは

『バラドル時代』を彷彿させる喋り

で、会場を沸かせていました。

2016.2.28 竹本孝之 Live in TOWER ゲストはNobori Eriさん

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