【ワンポイントリリーフで1点も与えない美学】広島カープ【清川栄治投手】
2017年11月28日 更新

【ワンポイントリリーフで1点も与えない美学】広島カープ【清川栄治投手】

80年代、広島カープには、左サイドから変則的な投球をし、左打者を手玉に取った投手がいました。彼の名は清川栄治。ピンチの時に打者1人だけのために登板する試合も多く、438試合連続救援登板の記録も持っています。

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この錚々たる広島カープの「投手王国」で清川さんが生き残るには、左打者を100%封じることが唯一の活路と考えました。
ドラフトで選抜された選手には、コーチからいろいろなアドバイスがもらえますが、ドラフト外の自分には声さえかけてもらえない。
しかしその分、コーチの目にも入らないという意味で自由にフォームを決めることもできるということをチャンスととらえます。
とにかくチャンスの少ないドラフト外選手は、打撃練習の相手の時でさえ貴重な練習機会となります。
サイドスローに転向を決めた清川さんは、打撃練習で打者のリクエストに応えたり、自分で創意工夫をしていく中で、あのミラクルボールを手にしていきます。

1986年にブレイク。

苦労が実り一軍へ(イメージ)

苦労が実り一軍へ(イメージ)

1986年から、清川さんは一軍で活躍します。チーム最多の50試合に登板。リーグ優勝にも貢献します。しかし50試合すべてがリリーフで、数字は0勝0敗。
数字だけ見ると印象には残りませんが、当時の様子は、私もよく覚えています。
先発投手が打たれ、塁上にランナーがたまります。
次の一打が出れば同点や逆転の場面。
そこに、清川さんが登場します。私だけでなくファンの気持ちはみな一緒。
「清川さん、なんとか踏ん張ってくれやー!!!」
そしてその期待に見事にこたえ、毎回三振を取ってくれる。
そしてすぐに次のピッチャー(だいたいは中継ぎのロングリリーフのエース、川端さんでしたね。)に託すその職人技に、しびれたものです。

最大のライバル、クロマティさん。

清川さんが巨人のクロマティさんに最初に対戦した時、初球をホームランにされてしまいます。この経験から、大柄でベース寄りに立つクロマティさんには、内角に「当てないように」投げるようにしました。
危ない投球に怒りをあらわにするクロマティさん。「今度来たら殴りに行くぞ!」と、清川さんを指さします。
実際に当ててしまったこともあるようですが、気性の激しい、しかも一流バッター、そしてテレビ放映がある巨人戦で自分がテレビに映るというプレッシャーが、逆に清川さんのエネルギーになったのです。


「インテリヘッド率」を計算して自分を売り込む。

清川さんは毎年数十試合に登板し、防御率も2点から3点台を保っていましたが、ワンポイントリリーフが多く、勝敗やセーブといった、「新聞に載るような」記録がないため、なかなか評価されませんでした。
そこで、アメリカのリリーフ投手の評価方法「インテリヘッド率」を計算し、自分がこのポイントで12球団トップということを提示します。
この「インテリヘッド率」は、自分が投球したボールで、相手がホームを踏んだ数の割合を計算するというもので、ワンポイントリリーフの多い投手では重視される数字です。ワンポイントリリーフは、「ここで1点でも取られたらアカン!」という時に1点もやらずにアウトを取ることが求められるので、この数字が大事です。

ドラフト外から這い上がってきた人間だから得た教訓。

チャンスはほかの人間と比べて少ないのだから、一回のチャンスを生かし、必ず成功させるつもりでやれ。いつ呼ばれてもいいように、力をつけておけ。生半可な気持ちではなく常に勝負する気持ちで、真剣になってプレッシャーをかけながらやれ
via 澤宮優著「ドラフト外 這い上がった十一人の栄光」河出文庫 208ページより。
現役引退して、コーチとして指導にあたっている時に、清川さんは育成枠の選手にこう言っているそうです。
こういうことが出来るのは、まず、自分が真剣になれるようなもの(この場合は野球ですが、他の仕事にも当てはまりますね。)を見つけることが重要です。そして、それにすべてをかける。
まさに、「男の生き様」を表す言葉だと思います。

1996.4.18 近鉄vs西武4回戦 17/22

平成3年のシーズン中に、清川さんは近鉄に移籍しましたが、その時の映像がyoutubeにありましたので、ご紹介します。
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  • ジバニャンLOVE 2017/11/28 13:55

    このたびは、コメントをいただき、誠にありがとうございました。澤宮さまのご著書は、他にもいろいろ拝読させていただき、男の生きざまを克明に描かれている点でとても吸い込まれるような作品ばかりです。これからもよろしくお願いいたします。

    澤宮優 2017/11/28 12:21

    著者の澤宮優です。このたびは拙著を取り上げていただき、本当にありがとうございました。清川さんはとても誠実で義理堅い方です。地味な仕事ながら、確実にチームのための働きをなさった投手に光を当てて頂き、私も書かせていただいた甲斐がありました。今もコーチで後進の指導に当たられておられます。どうぞ今後も光を当ててくださいますようお願いいたします。

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