先発、抑えとマルチな才能を発揮する【佐々岡真司】はどんな選手だったのか!
2016年11月25日 更新

先発、抑えとマルチな才能を発揮する【佐々岡真司】はどんな選手だったのか!

抑えして1軍で活躍し、先発で出場すればノーヒット・ノーランを達成。最多勝、最優秀防御率も達成する90年代を代表する広島の名投手。佐々岡真司はどんな投手だったのか。ご紹介しましょう。

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100勝100Sを達成するマルチな投手の佐々岡真司

佐々岡真司(ささおか しんじ)

佐々岡真司(ささおか しんじ)

1967年8月26日生まれ
身長185cm、体重90kg
右投げ右打ち
ポジション:投手

広島カープ90年代を代表する投手で先発、抑え、中継ぎとマルチな才能を発揮した投手です。安定した内容と言うより、どちらかと言えばいい時と悪い時の差が大きい投手でした。

ノーヒットノーランも達成しており、先発で100勝し、100Sと4大記録も達成しています。広島東洋カープの投手陣の要として活躍してきた選手であることは間違いありません。

佐々岡真司の獲得タイトル・主な表彰と記録

最多勝利:1回 (1991年)
最優秀防御率:1回 (1991年)
表彰[編集]
ベストナイン:1回 (1991年)
最優秀投手:1回 (1991年)
MVP:1回 (1991年)
沢村賞:1回 (1991年)
セ・リーグ会長特別賞:1回 (1990年)
オールスター優秀選手賞:1回 (1996年第3戦)
月間MVP:6回 (1990年9月、1991年5月、1991年9月、1996年6月、1999年5月、2000年4月)
最優秀JCB・MEP賞:1回 (1991年)
優秀JCB・MEP賞:2回 (1990年、1999年)
特別功労賞:(2007年)

ノーヒットノーラン:1999年5月8日、対中日ドラゴンズ8回戦(広島市民球場) ※史上67人目(1死球のみ、無四球は1948年の真田重蔵、1995年のテリー・ブロス以来3人目)

佐々岡真司のプレースタイルは!?

抑え、先発とどんな仕事もこなす投手陣の要

抑え、先発とどんな仕事もこなす投手陣の要

先発で100勝、抑えで100Sを達成した投手は、江夏豊に次ぐ達成者、史上二人目の大記録。ノーヒットノーランも1死球のみで無四球で達成した投手は3人目の達成者となっている。
抑えとして、活躍した1年目。先発も13試合登板し、セーブも17セーブとマルチに活躍する投手である。最多勝と最優秀救援投手を獲る投手はなかなかいません。

スライダーを武器に大活躍した佐々岡真司だが、決して防御率はよくはなかった。乱調が目立つことがあり、打たれるときは打たれ、抑えるときは完封で抑える印象が残る投手である。

広島東洋カープ投手陣の希薄な部分に補える投手で、結果を残す素晴らしい投手でしょう。

佐々岡真司の広島東洋カープに入団するまで

町立雲城小学校3年で野球を始め、町立金城中学校では内野手であった。 島根県立浜田商業高等学校2年時に投手に転向。以来、県内屈指の投手として注目を集めたが、夏の甲子園・春のセンバツには共に縁がなかった(3年時(1985年)には、夏の甲子園島根県予選にてベスト4の成績を残している)。
卒業後は、NTT中国野球部に入部。ソウルオリンピック代表にこそ選ばれなかったものの、アマチュア時代から既に、そのスライダーの切れ味はプロでも通用すると言われていた。1989年の第60回都市対抗野球大会には、三菱重工広島の補強選手として出場した。同年のプロ野球ドラフト会議で希望球団だった広島東洋カープから1位指名を受け、入団する。

広島東洋カープに入り、名刀スライダーを武器に大活躍

プロ1年目の1990年、4月12日に初登板初先発を初勝利で飾り、スライダーを武器に二桁勝利・二桁セーブを挙げ、当時の日本プロ野球新記録となる17試合連続セーブポイントも記録するなど、投手陣の主軸として活躍。8月14日の対中日ドラゴンズ戦では郭源治からサヨナラ本塁打を放っている。しかし、史上初の新人で最優秀救援投手に輝いた与田剛に阻まれ、新人王の獲得はならなかったが、セントラル・リーグ会長特別賞が贈られている。なお、初登板初勝利はドラフト制導入以後に限れば球団初、ドラフト導入以前を含めても38年ぶり3人目の快挙だった[1]。現在でも佐々岡を含めて9人しか記録していない[2]。
 (1559036)

1991年は先発に専念。シーズンを通して17勝・防御率2.44を挙げ、最多勝利、最優秀防御率の二冠に輝き、チームのリーグ優勝に大きく貢献すると共に、シーズンMVP、沢村賞、ベストナイン(最優秀投手)を獲得。この年、4月25日の阪神タイガース戦の3回から5月11日の中日ドラゴンズ戦の7回まで、4試合にかけて30イニング連続無失点の球団新記録を達成(2009年に大竹寛が更新)。また、10月23日の西武ライオンズとの日本シリーズ第4戦(広島市民球場)で先発し、8回一死まで無安打無得点に抑えた。
1992年、12勝を挙げ、プロ入り以来3年連続2桁勝利を記録するが、翌1993年には連続2桁勝利が途切れ、この年のセ・リーグ最多敗を記録している。

1991 佐々岡真司 2 - YouTube

1999年、新たな球種・シュートを習得して先発として活躍。1991年の17勝に次ぐ15勝を挙げ、リーグトップの13完投・5完封を挙げる。5月8日の対中日ドラゴンズ戦ではノーヒットノーランを達成。

1999.5.8 広島vs中日8回戦 18/19 - YouTube

佐々岡真司 渡邉博幸 神野純一 李鍾範 プレイリスト http://www.youtube.com/playlist?list=PLEEDD3622018859D6
2006年、前年の野村謙二郎の引退により、チーム最年長選手となる。また、先発投手に再転向。当初は黒田博樹、大竹寛、ショーン・ダグラスの脇役的な扱いだったが、最終的にはチームで唯一シーズン通じてローテーションを守って投げきり、規定投球回数に到達すると共に8勝を挙げた。5月4日には、東京ヤクルトスワローズ戦にて先発100勝目を挙げる。先発100勝かつ100セーブという記録は江夏豊以来史上2人目。39歳での規定回数到達は大野豊に次ぐ球団史上2位の高齢記録であった。
2007年、9月19日に現役引退を表明。10月6日の対横浜最終戦が、佐々岡の引退試合として行われた。10-0と広島が大量リードして迎えた9回表、二死無走者から登板したが、村田修一に高めの球を本塁打にされた。
引退試合を終えた翌日の対ヤクルト最終戦(神宮)では、佐々岡と同じく同年限りで引退し、アマ時代にバッテリーを組んだこともある古田敦也の引退試合にワンポイント登板した。この8回裏二死の対戦で古田を遊ゴロに打ち取り、登板後には古田と固い握手を交わし、花束を贈った。試合後は左翼席へサインボールを投げ込んで東京のファンに別れを告げ「マーティに最後のわがままを聞いてもらった。全部真っすぐを真ん中に投げるつもりだったけど、球が遅すぎた。凄くいい思い出になりました」と感慨に浸っていた。

現役を退いた後の佐々岡。あと、実は・・・。大の釣り好きなのです。

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引退後は、地元広島のラジオ、テレビの野球解説を務め、評論家の道でファンの前に姿を見せている。

2014年には広島二軍の投手コーチに就任し、背番号はあの山本浩二が背負った88を付けている。後輩の指導に力を注ぎ、投手王国広島の復活を見る日も近いかもしれません。
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