【WBA・WBC世界フライ級チャンピオン】海老原博幸のプロフィールとチャンピオンまでの道のりを調べてみた!
2021年11月27日 更新

【WBA・WBC世界フライ級チャンピオン】海老原博幸のプロフィールとチャンピオンまでの道のりを調べてみた!

【WBA・WBC世界フライ級チャンピオン】海老原博幸さんのプロフィールとチャンピオンまでの道のりを調べてまとめて紹介します。

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【WBA・WBC世界フライ級チャンピオン】海老原博幸のプロフィール

【WBA・WBC世界フライ級チャンピオン】海老原博幸さんのプロフィールをwiki形式にて紹介します。

【プロフィール】
リングネーム:海老原 博幸
本名:松田 博幸
生年月日:1940年3月26日
出身:東京都福生市
身長:164cm
死没日:1991年4月20日(享年51歳)
ボクシング戦績 68試合 62勝5敗1分33KO

【学歴】
1946年4月 小学校入学
1952年3月 小学校卒業
1952年4月 中学校入学
1955年3月 中学校卒業
1955年4月 東京都立第五商業高等学校入学

1955年4月に東京都立第五商業高等学校へ入学してから、何らかの事情により高等学校を中退されました。

海老原博幸さんは、収入を得ることを一番に考えていたようで、10代ながらアルバイトを探し求めていたそうです。

【WBA・WBC世界フライ級チャンピオン】海老原博幸のチャンピオンまでの道のり

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WBAフライ級チャンピオンベルト(レプリカ)

とんかつ店から協栄ボクシングジムの誕生

海老原博幸さんは、おそらく高校中退後と思われますが、当時、のちの協栄ボクシングジム会長の金平正紀さんが目黒にとんかつ店をオープンするため、募集していたアルバイトの面接に臨みました。

とんかつ店の店主の金平正紀さんと面接を受けたときになぜか、縄跳びをするよう要求され、それからジャンプやダッシュなど言われるがままにおこなったそうです。

金平正紀さんは、海老原博幸さんの運動能力を高く評価されたのだと思われますが、オープンする予定だったとんかつ店をたたみ、海老原博幸さんとともに菓子折りを持って方々のボクシングジムを借りながら、ボクシングの練習を始めたそうです。

そののち、馬小屋を改築して小さいながらもジムを開設したのが、のちの協栄ボクシングジムというわけです。

ジム練習生からボクシングデビューへ

金平正紀さんが開設したボクシングジムで、たった一人の練習生である海老原 博幸さんにボクシングの基礎から叩き込むなど、プロボクサーとなるために進み始めました。

戦歴は次のとおりです。

1959年 9月20日 栗原 和彦さんとのデビュー戦で見事初勝利を飾りました。
デビュー後の海老原 博幸さんは、連戦連勝を続けていたそうです。

1960年12月24日 ファイティング原田(本名:原田 政彦さん)さんと現在の後楽園ホールで、東日本フライ級新人王決定戦に挑みましたが、前半で2度のダウンを奪われ、6ラウンド判定負けとなりました。
海老原 博幸さんにとっては、初黒星となりました。

1961年1月から1963年11月までの戦績は30試合こなし、29勝1分16KOという素晴らしい記録を残しました。

1961年4月5日 ファイティング原田さん、青木 勝利さん、海老原 博幸さんは同じフライ級のライバル三羽鳥と呼ばれ、この日は無敗のライバルである青木 勝利さんと対戦しました。
対戦結果は、海老原 博幸さんが2ラウンドKO勝ちを収めています。

1961年7月28日 太郎浦 一さんとの対戦で3ラウンドKO勝ちを収めました。

太郎浦 一さんは全日本バンタム級新人王で、その後階級名が変わり、日本スーパーバンタム級王者となられました。

1962年5月4日 芳賀 勝男さんと対戦し、10ラウンド判定勝ちを収めました。

芳賀 勝男さんは、その後、2度の全日本バンタム級王座に輝きました。

1962年12月31日 OBF東洋フライ級王座のチャチャイ・ラエムファバーさんと対戦し、12ラウンド判定勝ちを収めました。

この対戦試合では、対戦相手のチャチャイ・ラエムファバーさんが試合前の計量で計量オーバーとなり、王座を剥奪されたため、本来は、勝利を収めた海老原 博幸さんが王座を獲得するルールだったそうです。

チャチャイ・ラエムファバーさんは、計量オーバーにより2オンスのグローブをはめて試合に望んだことを抗議されたため、タイトル獲得とはなりませんでした。

世界チャンピオンへの挑戦

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WBCフライ級チャンピオンベルト(レプリカ)
協栄ボクシングジムにとってもまた、海老原 博幸さんにとってもようやくたどり着いた世界戦の始まりです。

1963年9月18日 世界フライ級王座を獲得したばかりのポーン・キングピッチさんと同級4位として対戦し、1ラウンドKO勝ちにて世界フライ級王座を獲得されました。

ポーン・キングピッチさんは、1度目のダウンはどうにか持ち直しましたが、2度目のダウンでは立ち上がろうとしましたが、足が痙攣を起こし、10カウントになってしまったのだそうです。

海老原 博幸さんが放った左ストレートは、カミソリ・パンチと言われ、打撃力があることを示す試合にもなったそうです。

が、しかし、海老原 博幸さんはこの試合で放った強打の左ストレートで自慢の左拳を骨折していたことがわかったそうです。

1964年1月23日 海老原 博幸さんにとっては、初の防衛戦となる前王者のポーン・キングピッチさんとの対戦試合が行われました。

海老原 博幸さんは、試合前に拳を傷めていたにも関わらず、前半でクリーンヒットさせてポイントを稼ぐものの、十分なダメージを与えられず、後半戦では対戦相手のペースになりながらどうにか判定に持ち込みました。

結果は12ラウンド判定負けとなり、世界フライ級王座から陥落することとなりました。

復活は見せるものの、拳の骨折による苦戦の日々

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こちらはイメージ画像です。
1965年5月7日 世界王座挑戦権を獲得するため、WBA世界フライ級1位の海老原 博幸さんと同級2位のアラクラン・トーレスさんとの再戦は、3度のダウンを奪い、7ラウンドTKO勝ちを収めました。

1966年7月15日 WBA・WBC世界フライ級王者のオラシオ・アカバリョさんへ挑戦しましたが、4ラウンドで傷めていた左拳を骨折し、右だけで対戦するも15ラウンド判定負けとなりました。

1967年8月12日 世界王座挑戦権を獲得していた田辺 清さんが網膜剥離のため、ボクシング界を引退されました。

急遽ピンチヒッターとして、WBA・WBC世界フライ級王者のオラシオ・アカバリョさんと対戦することになりました。

前半はリードを見せながら、6ラウンドに左拳を骨折し、15ラウンドまで持ちこたえたものの、判定負けとなりました。

1969年3月30日 WBA世界フライ級2位の海老原 博幸さんと同級1位のホセ・セベリノさんと、現在空位になっているWBA世界フライ級王座獲得に向けた対戦が行われました。

この試合では両手の拳を負傷。

麻酔を打ちながら、痛みを堪えながらそれでも最終ラウンドまで戦い続けました。

結果は15ラウンド判定勝ちを収め、見事、WBA世界フライ級王座へカムバックを果たしました。

1969年10月19日 WBA世界フライ級王座獲得後、初の防衛戦がおこなわれました。

対戦相手は同級2位のバーナベ・ビラカンポさん。

この試合でも左肩を傷め、試合終了後には右拳が骨折と判明。

結果は15ラウンド判定負けとなり、再びベルトを失うこととなりました。

1970年 ボクシング界を引退しました。

海老原 博幸さんは、ここまで数多くの試合に参加し、事あるごとに両手の拳を傷めていました。

それでも、強打力のあるカミソリ・パンチは活きている証を見せたかったのではと思われます。
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