ゲームブック(アドベンチャーゲームブック)
一冊につき数百のパラグラフ(段落)から構成
ゲームブックには数行づつの文章が無数に用意されており、文章の頭には番号が振られています。また文章の最後にも番号が振られており、プレイヤー(読者)は番号の指示に従って、次の文章を読んでいくことになります。
また、文章の最後に用意されている番号は複数(選択肢)となっていることがあり、プレイヤーは自分の判断で進む番号を決めていくことになります。結果、グッドエンディングで終われることもあればバッドエンディングやゲームオーバーになることもあります。
また、文章の最後に用意されている番号は複数(選択肢)となっていることがあり、プレイヤーは自分の判断で進む番号を決めていくことになります。結果、グッドエンディングで終われることもあればバッドエンディングやゲームオーバーになることもあります。
アドベンチャーゲームブックの選択肢イメージ
次にとるべきアクションを選択肢から選び、示された番号のページに移動。
誤った選択肢を選んだ場合は途中でゲームオーバーになるため、何を選択するのかが大事になります。
これを続けていくことで、ひとつの本の中で冒険が完成します。
誤った選択肢を選んだ場合は途中でゲームオーバーになるため、何を選択するのかが大事になります。
これを続けていくことで、ひとつの本の中で冒険が完成します。
本文は数十から数百個のパラグラフ(段落)に分けられており、各パラグラフには順に番号が付いている。読者はそれらのパラグラフを頭から順番に読むのではなく、パラグラフの末尾で指定された番号のパラグラフを次に読む。次に読むべきパラグラフは1つに限らず、多くは複数の行き先が存在する。それらはプレイヤーによる任意選択ができたり、後述するランダム要素によって決められたり、以前に行った選択や判定の結果が影響して決まる。このような方法によって、多様に変化するストーリーを実現している。
多くの場合、読者は物語の主人公の立場となって困難に立ち向かい、ロールプレイングゲームやアドベンチャーゲームを本の形式で楽しむことができる。主人公に名前を付けられているものもあるが、二人称(「あなた」)が主人公となることも多い。複数の結末が用意されており、1つ以上のグッドエンディング(勝利)と複数のゲームオーバー・バッドエンド(敗北)がある点はコンピュータRPGやサウンドノベルなどと同じである。
ゲームブックの歴史:アドベンチャーゲームブック「火吹山の魔法使い」・ペーパーアドベンチャー・「ドルアーガの塔」3部作ほか - Middle Edge(ミドルエッジ)
ゲームブックの元祖とされるアドベンチャーゲームブック「火吹山の魔法使い」、日本のゲームブック史上最高傑作とも言われる「ドルアーガの塔」3部作といった日本のゲームブックの歴史を振り返りましょう。
コチラのサイトでは、アドベンチャーゲームブックの各タイトルごとに非常に詳細な解説を読むことが出来ます。
「ファイティングファンタジー」シリーズ
有名なソーサリー4部作など
ジャクソンとリビングストンの共著「『火吹山の魔法使い」(1982年)に始まりジョナサン・グリーン著「Curse of the Mummy」(日本未訳、1995年)に終わる59冊のシリーズと、ジャクソンによる「ソーサリー」4部作など。
これらに加えて、2005年にイアン・リビングストンの『Eye of the Dragon』(日本未訳)が久々の新刊として出版されました。
これらに加えて、2005年にイアン・リビングストンの『Eye of the Dragon』(日本未訳)が久々の新刊として出版されました。
4冊合計でパラグラフ数が2000に及ぶ大作だった「ソーサリー4部作」
イギリスで1983年より刊行された「ソーサリー」4部作は、全巻合計でのパラグラフ数が約2000に及ぶ超大作。
「バルサスの要塞」より発展した読者が魔法使いとなって呪文を暗記し唱えるシステムや、「今後○○のときには100を引いたパラグラフに進む」など、選択肢にないパラグラフへの移動も取り入れた最初の作品。
「バルサスの要塞」より発展した読者が魔法使いとなって呪文を暗記し唱えるシステムや、「今後○○のときには100を引いたパラグラフに進む」など、選択肢にないパラグラフへの移動も取り入れた最初の作品。
「アドベンチャーゲームブック」日本独自の発展
人気のコンピュータゲームをゲームブック化する動き
ゲームメーカー自らが制作する例もありコナミからは双葉社を意識した装丁で、自社ブランドの『メタルギア』や『魂斗羅』などが発売されている。エニックス(現スクウェア・エニックス)からも「エニックスオリジナルゲームブック」として、同社が発売したコンピュータRPGの人気作ドラゴンクエストシリーズなどのゲームブック化作品が発行されている。
家庭用ゲーム機の隆盛に勝てず衰退
しかし、一連のブームは1990年以降急速に衰退していった。1990年にはゲームブックの新刊はほぼでなくなり、1990年代初頭にはゲームブックブームの牽引役となっていた社会思想社・東京創元社も撤退し、ゲームブックのブームはほぼ完全に終焉した。ゲームブックを手掛けたことがある塩田信之はブームはコンピュータゲームにおけるRPGの隆盛を反比例しているとし、「ゲーム機で手軽に冒険できるようになった時、しち面倒くさいゲームブックをわざわざやろうと考える人は少なかったということだろう」と書いている。そんな中で、エニックスはドラゴンクエストシリーズや『MOTHER2』『ファイアーエムブレム』などコンピュータゲーム作品のゲームブック化を続けたが、ドラゴンクエストシリーズは1996年の『VI』(全4巻)が最後、そして1997年の『スターオーシャン』で「エニックスオリジナルゲームブック」シリーズも終焉を迎えた。
ゲームブック自体は衰退したものの、コンピュータロールプレイングゲームというジャンルで発展
【ロールプレイングゲーム(RPG)の歴史】日本の家庭用ゲーム機で現在まで高い人気を誇るロールプレイングゲームは、日本独自の発展を遂げたジャンルでもありました。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
「RPG=ドラクエ、FF」。そんなイメージが浸透するくらい、この30年間で2つのRPGシリーズが日本のゲーム業界に与えたインパクトは大きいでしょう。しかしロールプレイングゲームの前にはアクション、シューティング、アドベンチャーなどのジャンルが勃興、もともとテーブルゲームの概念でもあったRPGがコンピュータゲームとして認識され始めたのは少し後からでした。ロールプレイングゲーム(RPG)のジャンルがブレイクするまでの歴史を振り返りたいと思います。