電波少年と有吉弘行
「電波少年」当初は激しく過激なバラエティ番組でした
アポなし、突撃、ヒッチハイク、さまざまな無茶に挑戦したテレビ史上類を見ない伝説的バラエティ番組として幅広く認知されている。マフィア、暴力団、スラム街までも番組の題材にし、生命に関わる危険なロケも多かった。企画によっては警視庁や都庁サイドからも抗議や抑圧があり、それこそ現在では到底、制作不可能な番組である。
当初『笑撃的電影箱』枠内でスタートしたこの番組は、本来はウッチャンナンチャンの『七人のおたく』の撮影専念のため休止を余儀なくされた前番組『ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.』のつなぎ番組として、制作局から急遽土屋敏男に「何かやれ」と持ち上がったものであった。
【進め!電波少年】アポなし突撃!松本明子アラファト議長/松村マンデラ元大統領/有吉/内田有紀/他 - Middle Edge(ミドルエッジ)
今じゃありえない、また企画自体がアウトな番組の電波少年。絶賛と非難が共存した番組でもある。当時松本とアラファト議長のとんでもないツーショットに度肝抜かれました。
そんな番組に「猿岩石」としてガチでユーラシア大陸横断ヒッチハイクを敢行しました。
ユーラシア大陸横断ヒッチハイク
「猿岩石」が選ばれた理由は「向こう半年間のスケジュールが白紙」だから
1996年(平成8年)4月、番組オーディションに参加した当時無名のお笑いコンビ猿岩石(有吉弘行、森脇和成)が、土屋に「電波少年INTERNATIONAL」の香港会場で前説をするように頼まれて連れて行かれた。しかし、番組の放送中に突然呼び出されて、そこで「ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断、ロンドンがゴール」という壮大な目的を果たすよう告げられる。猿岩石が選ばれた理由は、むこう半年間のスケジュールが全く白紙だから、という理由だった。
猿岩石ユーラシア大陸横断ヒッチハイク極限のアジア編 - YouTube
via www.youtube.com
大きな反響を呼び大人気コーナーに
軽い気持ちで引き受けた2人だったが、中国入国の際にビザが必要である事を知らず、いきなり香港で数日足止めを食らう事になった。所持金の10万円はすぐに底をつき、その後は日雇いアルバイトをしながら食費、交通費を稼ぎ心身ボロボロになりながらヒッチハイクを繰り返し西へと向かった。インドを過ぎた辺りから高い人気が出始め、視聴率は急上昇。他の企画が押されるはめとなり、松村降板にもつながった。爆風スランプによる応援歌「旅人よ」も発売されたり、ヒッチハイク時代を書いた「猿岩石日記」もシリーズ累計で250万部のベストセラーになったりと反響は大きかった。
一方で、猿岩石は全行程をヒッチハイクだけでゴールしたとされていたが、道中で3回ヒッチハイクでない飛行機を使っていたことが判明した。ルートの途中には国境での外国人入国禁止となった国や内戦や治安が悪いところがあり、大事をとって飛行機に乗ったものとしているが、番組では判明するまで全く触れていなかった。日本テレビの氏家齊一郎社長(当時)は「(バラエティという)番組の性質上、倫理とか道義的な責任はないと考える」とコメントし、各方面から非難を受けた。
またバックパッカー経験者からは、番組中で猿岩石が「治安の悪い地域で野宿をする」「生水を飲む」といった実際の旅行者なら絶対に行なわない行動をしていることから、「番組を真似した視聴者が実際にやれば命に関わる」と警告の声が出ている。
ゴール直後に「南北アメリカ大陸縦断」の提案を断る
幾度のリタイヤの危機を乗り越え、1996年(平成8年)の10月にゴール。この時は船越雅史(当時日本テレビアナウンサー)が実況レポートを担当し、当初は10月19日に生放送が予定されていたが、当日に読売ジャイアンツが出場する日本シリーズ第1戦の中継が入ったため、急遽10月22日の同時間帯での録画に切り替えられた。
ゴール直後、番組から「今度は南北アメリカ大陸縦断」と提案され、日本行きかスタート地点のマゼラン海峡行きのチケットのどちらか選択するよう迫られる。この件について、日本テレビへの抗議電話が殺到し回線がパンクする事態となった。猿岩石は結局日本行きを選択するが、後年「帰りの飛行機の中、スタッフは般若の如く怒り狂っていた」と語っている。なお土屋は著書において、電波少年がお笑い番組なのに感動へ向かっていることに危機感を覚え、猿岩石は絶対に日本行きを選ぶと確信していたからこそ、予防注射をさせるなどの敢えてお馬鹿な演出をしたことを明かしている。ちなみに、一方の選択肢だった「南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク」の企画はドロンズに受け継がれ、猿岩石ほどではないが高い人気を博した。
猿岩石は帰国後、西武球場(現:西武ドーム)で凱旋帰国ライブを行ない、超満員の客に迎えられた。『ゴッドタン』ドスベリサミットで有吉弘行が述懐したところによると、この時あくまで感動を味わいたかった客の前でネタを見せたが、スベるどころか怒りを買ってしまったという。
その後、企画は「南北アメリカ縦断」「アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断」とシリーズ化
ヒッチハイクは番組の顔となり、『進ぬ』でも『アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断』『80日間世界一周』などとシリーズ化された。
2014年3月31日の『有吉反省会』2時間スペシャルに土屋は反省人として出演。司会の有吉を巻き込もうとするが、有吉は土屋に対して「日本縦断ヒッチハイク」を言い渡し、土屋自身の禊として「日本縦断ヒッチハイク」を決行。
2014年7月28日深夜(7月29日)の『SKE48 エビショー!』で土屋が登場し、谷真理佳と松村香織が宗谷岬からSKE48劇場までヒッチハイクする企画が行われている。
この番組とは関係ないものの、コンビ解消後(有吉はタレント活動を継続、森脇は実業家に転身)の2007年(平成19年)、11月には有吉が「ブレイクしたころの輝きをもう一度取り戻すキッカケにしたい」という自らの希望で東北横断ヒッチハイクを行ない、DVDも発売された。また2009年(平成21年)8月30日の『24時間テレビ』で、有吉がインドの恩人にヒッチハイクで会いに行く企画も放送された。
「朋友(パンヤオ)」でアフリカ・ヨーロッパ大陸縦断のヒッチハイクに挑戦したチューヤンのいま - Middle Edge(ミドルエッジ)
チューヤンって憶えていますか?電波少年で「朋友(パンヤオ)」というコンビで、アフリカ・ヨーロッパ縦断ヒッチハイクをやってのけたタレントさんでしたよね。猿岩石、ドロンズに続く第三弾でしたね。そんなチューヤンはいまどうしているのでしょうか?
【有吉】ヒッチハイクの時にスタッフに激怒された話【猿岩石時代】 - YouTube
via www.youtube.com
【再】大ブレイク、本当におめでとうございます!!!
そんな再ブレイク成功組まとめ
再ブレイク成功組まとめ!
ここ数年、再ブレイクという言葉がブームなくらい、再ブレイクする人たちが増えていますね。そんな再ブレイク組をまとめます。
2022/5/17 03:43
記事を批判したコメントの内容はもっと薄い。
ろっこん 2021/4/11 10:40
ウ〜ン、、、内容が薄い。