最強の柔道家木村政彦に迫れ!
2015年12月2日 更新

最強の柔道家木村政彦に迫れ!

日本最強は誰だろう?というと候補はやはり多く存在するが、ここは柔道家、木村政彦を推薦したい。その練習、師匠ともどももう化け物の領域でしょう。

23,159 view

最強の柔道家

木村 政彦(きむら まさひこ、1917年(大正6年)9月10日 - 1993年(平成5年)4月18日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道七段。
全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、現在においても史上最強の柔道家と称されることが多い。
その荒々しい柔道スタイルから「鬼の木村」の異名を持つ
日本人で最強って誰だろうと考えると、必ず候補に挙がる男。
それが木村政彦だ。数々の伝説に裏打ちされたエピソードが語る、その男を見よ。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2c/Masahiko_Kimura_%281917-1993%29.jpg (61508)

超怪力!?

木村政彦といえば怪力エピソードはまさに圧巻の一言。
体つきを見ても分かる通りまさに鬼でしょう。
http://img-cdn.jg.jugem.jp/407/1757332/20131110_1007100.jpg (61511)

上記の画像を見てもお分かりだろう。その強さは本物である。
また、画像のように鍛え上げられた肉体はなにか漫画(グラップラー刃牙など)に出てくるような気がするほど恐ろしい。
想像してほしい、泥棒に入ってこんな体の男がいたら自首しますよね?
木村は師の牛島と共に、本格的にウエイトトレーニングを行い抜群の筋量とパワーを誇った。そのトレーニング方法は、単に高重量を扱うだけではなく、例えば100kgのベンチプレスを1時間1セットで何度も繰り返す、仕上げに腕立て伏せを1000回行うなどといった非常に激しいものだった[14]。その鍛え抜いたパワーは、障子の桟の両端を持って潰すことができ、太い鉛の棒を簡単に曲げたという。また、夏の暑い日、師匠の牛島が木村に団扇で扇いでくれと言うと、木村はその場にあった畳を持ち上げ、それを扇のように仰いで牛島を驚かせた。そして両腕を伸ばした状態で肩から手首に掛けて100kgのバーベルを転がすこともできたという。 また、都電に乗った際、悪戯で吊革のプラスチック製の丸い輪を五指で鷲掴みにし、端から順に割っていくことがあった。
もうエピソードの勢いが違う。
練習だって大木を枯らすほどで、もう勘弁してくれって感じです。

その師匠

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/33/Tatsukuma_Ushijima.jpg (61516)

忘れちゃいけないのがその師匠。
とんでもないエピソード。名前。まぁ全部怖い。
その柔道の荒々しさ、性格の豪放さは語り草で、「鬼の牛島」「不敗の牛島」と謳われ、対戦相手からは「猛虎」と恐れられた。鷲のような眼光鋭い目は、睨まれるだけで射すくめられたという。
朝は60kgあるローラーを牽きながら走り込み、深夜になると裸で大石を抱え上げて筋肉を鍛えた。さらに茶の葉を噛んで自身を奮い立たせ、大木に体当たりを繰り返した。そして仕上げはその大木に帯を縛り付けて背負い投げ千本の打ち込みをした。
試合前夜にはスッポンの血を飲み、当日はマムシの粉を口に含んで試合場に上がる。開始の合図と同時に突進して相手に躍りかかり、徹頭徹尾、攻めて攻めて攻め続ける。この攻撃精神が牛島柔道の信条であり、愛弟子の木村政彦にも受け継がれている。
1934年の皇太子生誕記念天覧試合では試合前から肝吸虫に体を冒され、体重が9kgも減って歩く事すらままならない状態だったが、精神力でカバーするために洞窟に籠もって1カ月間そこで坐禅し、宮本武蔵の『五輪書』を朗唱して試合に備えた。体が動かぬのを精神で補おうという決意であったが、結局牛島は敗れてしまった。この病気さえなければ間違いなく優勝は彼だったとも言われている。
そんな牛島ですが、あまりに天覧試合を意識するあまり、弟子にその夢を託してしまうなんてあたりがちょっと泣けますね。

力道山と

力道山との一戦はあまりに有名で、昭和の巌流島と言われるほどです。
この戦いはあまりに疑惑が多く「なぜ木村政彦は力道山を殺さなかったのか」なんて本も出る始末。
http://s.eximg.jp/exnews/feed/Excite_review/reviewbook/2011/E1317570668105_1_s.jpg (61522)

伝説の惨劇 力道山vs木村政彦 ‐ ニコニコ動画:GINZA

この戦いはブック破りだとか色々後に噂はありますが、真実はいまだ謎。
また、力道山が死亡した際、木村政彦は「力道山は俺が呪い殺した」とまで言っていますから恨みは相当深かったんでしょう。
24 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

石井慧! オリンピック金メダル獲得後、石井節炸裂!!「屁のツッパリにもなりません」「ウツでも金」福田康夫首相は「すごい純粋さが伝わってきました。そして腹黒くないからこそ政治家として人気が出ない」

石井慧! オリンピック金メダル獲得後、石井節炸裂!!「屁のツッパリにもなりません」「ウツでも金」福田康夫首相は「すごい純粋さが伝わってきました。そして腹黒くないからこそ政治家として人気が出ない」

山下泰裕が持っていた全日本選手権最年少優勝記録を破り、井上康生、鈴木桂治、棟田康幸とのライバルに競り勝って北京オリンピックに出場し、金メダル獲得。「屁のツッパリにもなりません」「すごい純粋さが伝わってきました。そして腹黒くないからこそ、政治家として人気が出ない」
RAOH | 727 view
石井慧  運動オンチ少年がオーバーワークという暴挙で起こした奇跡。

石井慧 運動オンチ少年がオーバーワークという暴挙で起こした奇跡。

石井慧の幼少児から国士舘大学に入るまで。地球上で60億分の1の存在になる、人類で1番強い男になるための序章。
RAOH | 658 view
「柔道部物語」の小林まことが再び“本格柔道漫画”を描いた『JJM 女子柔道部物語』!コミックDAYSで連載配信スタート!

「柔道部物語」の小林まことが再び“本格柔道漫画”を描いた『JJM 女子柔道部物語』!コミックDAYSで連載配信スタート!

『柔道部物語』から25年、小林まことが再び“本格柔道漫画”を描いた『JJM 女子柔道部物語 社会人編』。コミックDAYSで連載が配信スタートしています!
昭和・平成の時代に躍動した女三四郎たち

昭和・平成の時代に躍動した女三四郎たち

「柔よく剛を制す」、日本人なら誰もが知っている、日本から誕生した武道です。オリンピックでも、男子と並んで日本のお家芸となっている女子柔道。これまで多くのメダリストが誕生しています。その中で、昭和から平成にかけて活躍した女三四郎に相応しい女子柔道家をご案内します。
五百井飛鳥 | 469 view
見る人すべてに感動を与えた、柔道のつわものたち

見る人すべてに感動を与えた、柔道のつわものたち

柔道を語るとき頭に浮かんでくる言葉が「柔よく剛を制す」。この言葉は、講道館柔道の創始者でもある嘉納治五郎(かのう じごろう)の教えの一つです。嘉納治五郎は、明治~昭和にかけて日本にスポーツの道を開いた人物。講道館柔道を開いた他にも、柔道・スポーツ・教育分野の発展だけでなく、日本のオリンピック初参加にも尽力しています。その嘉納治五郎の遺志を継いだ若き柔道家たちが続々と誕生し、日本のみならず世界の人々に感動を与えています。
五百井飛鳥 | 486 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト