見る人すべてに感動を与えた、柔道のつわものたち
2022年3月8日 更新

見る人すべてに感動を与えた、柔道のつわものたち

柔道を語るとき頭に浮かんでくる言葉が「柔よく剛を制す」。この言葉は、講道館柔道の創始者でもある嘉納治五郎(かのう じごろう)の教えの一つです。嘉納治五郎は、明治~昭和にかけて日本にスポーツの道を開いた人物。講道館柔道を開いた他にも、柔道・スポーツ・教育分野の発展だけでなく、日本のオリンピック初参加にも尽力しています。その嘉納治五郎の遺志を継いだ若き柔道家たちが続々と誕生し、日本のみならず世界の人々に感動を与えています。

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山下泰裕(やましたやすひろ)

THE KING OF KINGS - Yasuhiro Yamashita [山下 泰裕]

日本の柔道界で、燦然と輝くのが山下泰裕です。1984年ロサンゼルスオリンピックの金メダリストですが、ボイコットで出場できなかったモスクワオリンピックでは、金メダル間違いなしと言われていました。

更には、全日本柔道選手権で9連覇を果たし、世界選手権での優勝は4回。そして、外国人選手との対戦成績では生涯無敗を誇っているのです。なんと、公式戦は203連勝なんですよ。まさに生ける伝説と言うに相応しい柔道家の1人ですね。

子供の頃から「天才」とか「木村政彦の生まれ変わり」と言われ、マスメディアからも注目を集めていました。最強柔道家の最右翼とされる山下泰裕の試合の勝率は、驚きの9割7分2厘。97%以上の確率で勝利する無敵の柔道家ですね。

木村政彦(きむらまさひこ)

MASAHIKO KIMURA - THE GOD OF JUDO (木村 政彦 柔道の神)

全日本選手権13年連続保持という、未踏の大記録を誇る柔道家が木村政彦です。「鬼の木村」と呼ばれる、講道館柔道七段の偉大な柔道家でした。天覧試合での優勝を含めて、15年間一度も負けることのないまま引退をした人物なんです。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」という言葉は、柔道を知る人たちの中では余りにも有名ですね。

その恐るべき練習量に加え、試合に負けた時は腹を切ると宣言し、切腹の練習をしてまで試合に臨んでいました。普通では考えられない集中力で試合に臨み、当時では無敵の強さを誇った柔道家、まさに侍です。投げ技に加え寝技においても相当なスペシャリストでした。特に強烈な大外刈りは、練習中に失神者が続出し禁じ手に。そして、寝技の腕緘(うでがらみ)でも、脱臼する人が多くなり禁じ手となりました。

その後にブラジルに渡り、グレイシー柔術の創始者エリオグレイシーと戦います。当時のエリオ・グレイシーは、様々な格闘家と戦い連戦連勝中のブラジル格闘技界の英雄でした。その試合で木村政彦は、なんとエリオの腕をへし折って勝利するのです。米国カリフォルニア州のグレイシー博物館には、エリオが木村政彦に敗れた時の柔術着が一番目立つ場所に飾ってあります。遥か昔のこの試合、グレイシー一族にとっては敗北でなく誇りとして語り伝えられているのです。エリオだけでなく。現在のMMA(総合格闘技)の選手たちにも伝説の試合と畏敬をもって語られているのです。

柔道を引退後に力道山とのプロレスの試合を行い、力道山のブック破りによってノックアウトされてしまいます。この試合の結果、著しく評価を落とすことになりましたが、間違いなく山下泰裕と並ぶ柔道史上最強候補の1人ですね。

古賀稔彦(こがとしひこ)

柔道 古賀稔彦 ハイライト

常に一本を取りに行く柔道を貫き、平成の三四郎と異名をとった古賀稔彦。小柄な体でありながら、切れ味鋭い技の数々を操る柔道家です。豪快な一本背負投を得意技で、1992年のバルセロナオリンピックでは、柔道男子71kg級で金メダルを獲得しています。 

1990年の全日本柔道選手権大会において、当時75kg前後という軽量なのにもかかわらず、体重無差別のこの大会に参加します。ここで、重量級の選手を次々と撃破する古賀稔彦は、まさに「柔よく剛を制す」。そして決勝にまで駒を進めるます。決勝の相手は、当時95kg超級という最重量の世界チャンピオン小川直也。この対戦で破れ惜しくも準優勝、しかし古賀の健闘に会場は拍手で溢れたそうです。その後古賀は、柔道の試合で自分の体が宙に飛んだのはあれだけだったと語っています。

1992年のバルセロナオリンピック選手団では主将を務めた古賀。しかし、直前に吉田秀彦と行った乱取り中に、左膝を負傷してしまいます。実はこの怪我、かなりの重症だったそうで、激しいひざの痛みに加えて運動できないことからの減量も困難を極めます。しかし、何とか乗り越え痛み止めを打ちながらの連戦の末、見事に金メダルを獲得。直前の大ケガの困難に打ち勝ち、執念でつかんだ金メダル。見ている人々に感動を与える試合として、記憶に深く残ることになりました。

岡野功(おかのいさお)

Judo Legends: Isao Okano - Highlights (柔道伝説:岡野功)

柔道家岡野功は、1964年東京オリンピックの柔道中量級で金メダル、1965年世界柔道選手権の80キロ級で金メダル、1967年・69年全日本柔道選手権においては、全日本史上最軽量の選手でありながら2度も優勝をしているんです。

後に、古賀稔彦が平成の三四郎と呼ばれるようになりますが、三四郎という異名をとったのは、岡野功の方が元祖になりますね。その後の全日本柔道選手権において、80㎏台の古賀稔彦と吉田秀彦が決勝まで進みましたが、いずれも最後は敗れて優勝する事はできていません。それを見ても、岡野功の偉大さがわかりますね。

引退後の岡野功は、たくさんの優秀な選手を育てあげています。指導者としても評価さる柔道家の一人ですね。ミュンヘン・オリンピック、柔道無差別級で金メダリストになったウィレム・ルスカや、東京オリンピックの無差別級金メダルのアントン・ヘーシンクも、岡野の道場で練習していたそうです。

斉藤仁(さいとう ひとし)

Judo Legends: Hitoshi Saito tribute highlights (斉藤仁トリビュート)

山下泰裕と何度となく死闘を行い、一度も勝てなかったために山下の影に隠れることになってしまっていた柔道家が斉藤仁です。それでも、1984年ロサンゼルスオリンピックでは金メダルを獲得、続く1988年のソウルオリンピックでも金メダル、
1983年世界選手権においても金メダリストになり、1988年に行われた全日本柔道選手権では優勝と、輝かしい記録を誇っています。

山下泰裕自身が「斎藤は私を超えた」と語っていることからも、斎藤仁も天才柔道家であることは間違いがないところですね。ロサンゼルスオリンピックでは、圧倒的な強さで金メダルを獲得。しかし、続くソウルオリンピックでは、右膝を故障しながらの試合となりました。それも斎藤の試合までは、日本の金メダルは未だ0、大きなプレッシャーの中のでしたが、見事に重圧を払いのけ金メダルを勝ち取るのです。その後、指導者としても手腕を発揮し、鈴木桂治や石井慧などの金メダリストを送りだしています。ただ、両選手からは「鬼」と呼ばれていたそうですが。

小川直也(おがわ なおや)

【柔道#66】小川直也 Naoya Ogawa【高校から柔道を始め4年半で世界王者になった伝説の男】

柔道家小川直也は、1992年バルセロナオリンピックの銀メダリストです。世界選手権では4度の優勝、そして全日本柔道選手権では5連覇を含む7度の優勝を果たしています。

オリンピックにおいての金メダルが無いということもあって、最強柔道家のイメージは持たれていないようですが、公式戦の成績を見ると、山下泰裕に次ぐすごい成績なんです。実力は、最強柔道家と言っても過言ではないでしょう。柔道を引退した後は、プロレスラーや格闘家としても活躍しています。一流の格闘家と対戦しても、一歩も引かない正々堂々の試合を見せてくれました。古賀稔彦悲願の全日本柔道選手権大会の決勝で、古賀を打ち破ったのが小川直也だったのです。
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