フレドリック・ユングベリ
元スウェーデン代表、元アーセナルの世界的スーパースター。
突然の来日&エスパルス入りには大変驚かされました。全盛期は過ぎていたけど、少しでもプレーが見れたのは幸せだったかもしれません。
突然の来日&エスパルス入りには大変驚かされました。全盛期は過ぎていたけど、少しでもプレーが見れたのは幸せだったかもしれません。
フレドリック・ユングベリ(Karl Fredrik Ljungberg, 1977年4月16日 - )は、スウェーデン・ヴィット出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。セカンドトップ、ウイング、トップ下、サイドハーフ、センターハーフをこなす。元スウェーデン代表。
2011年8月27日、清水エスパルスと契約したことがFIFA公式サイトなどで報道され[2]、清水の早川巌会長が正式にユングベリの獲得を発表した。2013年1月までの契約[3]で、推定年俸は6000万円[4]。
2012年2月14日、清水は怪我の治療の為に帰国中のユングべリとの契約を解除すると発表。
20110910ユングベリ - YouTube
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All goals in Arsenal-Karl Fredrik Ljungberg - YouTube
アーセナル時代のユングベリ
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シジマール
通称「クモ男」
もしかすると、現役引退後のバラエティ番組出演の方が有名かもしれません。現役時代は、PKに無類の強さを誇った名ゴールキーパーでした。
もしかすると、現役引退後のバラエティ番組出演の方が有名かもしれません。現役時代は、PKに無類の強さを誇った名ゴールキーパーでした。
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シジマール・アントニオ・マルチンス(Sidmar Antônio Martins, 1962年6月13日 - )は、ブラジル出身のサッカー選手・サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。
1993年に清水エスパルスのゴールキーパーコーチとして来日したが現役に復帰しレギュラーとして活躍した。1993年シーズンにはリーグ屈指の清水DF陣を率いてJリーグの連続無失点記録となる731分無失点の記録を樹立している。この記録は2006年に横浜FCのGK菅野孝憲に破られるまで13年間Jリーグ記録であり続けた。また、菅野の記録はJ2でのものであり、現在でもJ1では彼の記録は破られていない。
動 interV!EW シジマール監督 - YouTube
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Jsoccer pioneer days ( DF + GK ) - YouTube
2分11秒あたりでPKをセーブしているのがシジマール
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マッサーロ
1994年ワールドカップ・イタリア代表、ASミラン→ASローマ→エスパルスと謎の経歴を辿った超一流のストライカー。
どうしてエスパルスに来てくれたかはいまだに良くわかっていない。
どうしてエスパルスに来てくれたかはいまだに良くわかっていない。
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ダニエレ・マッサーロ(Daniele Massaro、1961年5月23日-)は、イタリア・モンツァ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW、MF。
1982年のスペインW杯では出場こそなかったが優勝メンバーの一員、その後長らくイタリア代表とは縁がなかったが1994年のアメリカW杯に出場し、一次リーグのメキシコ戦では1得点を挙げ、決勝トーナメントではレギュラーの座を勝ち取った。PK戦となったブラジルとの決勝戦ではフランコ・バレージ、ロベルト・バッジョと共にPKを失敗したが、イタリアの準優勝に貢献した。
1995年にはJリーグ・清水エスパルスへ移籍。20試合10得点とその実力の片鱗を見せ、時折スーパープレーを見せた。翌年同クラブを退団後に選手生活から引退した。
Daniele Massaro in Japan (1995-1996) - YouTube
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トニーニョ
トニーニョ(Toninho)こと、アントニオ・ベネディット・ダ・シルバ(Antônio Benedito da Silva、1965年3月23日 - )は、ブラジル出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード、攻撃的なミッドフィールダー。
1992年のナビスコカップからは清水エスパルスに移籍。ポジションはFWではなく攻撃的なMFだったがその得点力は驚異的で、93年は負傷のためほぼ1年棒に振ることになるが、翌94年の前期は絶好調で16得点を挙げチームは優勝戦線に躍り出るものの、シジマールが終盤で負傷し失速した。一方で、後期はロベルト・リベリーノへの監督交代劇もあり精彩を欠いた。1995年のサントリーシリーズでは、堀池巧や長谷川健太が序盤で負傷し戦線を離脱。その為チームは低迷していたがトニーニョは獅子奮迅の働きを見せ11得点を挙げている。同シリーズ終了後、外国籍選手枠の関係で浦和レッズに期限付き移籍した。