星由里子(ほし ゆりこ) 東宝の看板女優・清純派の映画女優
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星由里子の特撮映画主演作
映画「世界大戦争」
世界大戦争(せかいだいせんそう)
『世界大戦争』(せかいだいせんそう)は、1961年10月8日に公開された、東宝制作の特撮SF映画。 カラー、東宝スコープ、多元磁気立体音響。上映時間110分。
芸術祭参加作品。併映は『アワモリ君乾杯!』(原作:秋好馨、監督:古澤憲吾)。
(出典:Wikipedia)
見よ!地球最後の日!悲願をこめて全世界に訴える世紀の超大作!
芸術祭参加作品。併映は『アワモリ君乾杯!』(原作:秋好馨、監督:古澤憲吾)。
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見よ!地球最後の日!悲願をこめて全世界に訴える世紀の超大作!
世界大戦争のストーリー
戦後16年が経過し、急速な復興を遂げた日本。主人公・田村茂吉は家族の幸せを願いながら、外国人記者の集まるプレスセンターの運転手として日々働いていた。そんな中、田村の長女・冴子は下宿している青年・高野と恋仲になっており、長い航海を終えて帰還した彼との久々の再会を喜ぶ。そんな二人はついに茂吉に対して結婚の決意を語り、驚く茂吉だったが妻のお由も賛同し、とうとう二人は結ばれることになる。
(出典:Wikipedia)
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一方、世界は連邦国と同盟国の二つの陣営に分かれ、両陣営はお互いに核兵器を持って対峙していた。そして北大西洋で行われた同盟国陣営の軍事演習エリアに連邦国陣営の潜水艦が侵入したことをきっかけに、両者の関係は緊迫する。田村が担当する記者・ワトキンスもその状況を危惧し始めた。日本政府も国民の間に動揺が広がりつつあることを考慮し、両国の関係改善の道を探ろうとする。だがワトキンスが緊迫した朝鮮半島・北緯38度線の情勢を取材に向かったその数日後、小型ながらも実戦で核兵器が使われるという事態が発生し、ついに連邦国・同盟国陣営双方で命令一つでボタンが押されれば弾道ミサイルが発射される状況となっていた。
(出典:Wikipedia)
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日本では総理が病身を推して公務を行い、両国の緊張をこれ以上高めまいと懸命の努力を行う。そして現場にいる軍人達も最悪の事態だけは避けたいという思いを胸に、事故や機械故障により危うくボタン戦争となりかけた状況を必死で阻止していた。やがて南北朝鮮間で停戦協定が結ばれ、ようやく緊張が解け始めるが、北極海上で発生した軍用機同士の戦闘をきっかけに再び悪化、幾多の人々の努力も全て水泡と帰してしまう。そしてついに日本でもミサイルへの警戒が始まったことで人々の不安は頂点へ達した。
(出典:Wikipedia)
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大都市から避難しようとする人々で大混乱が起こる中、田村一家は自宅に残り最後の晩餐を開く。冴子は数日前に再び長い航海に出た高野へ向けて、覚えたてのアマチュア無線で最後の通信を行った。「サエコ・サエコ・コウフクダッタネ」「タカノサン・アリガトウ」。夕陽を前にして茂吉は叫ぶ。「母ちゃんには別荘を建ててやるんだ! 冴子には凄い婚礼をさせてやるんだ! 春江はスチュワーデスになるんだ! 一郎には大学に行かせてやるんだ! 俺の行けなかった大学に……!!」
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田村冴子(茂吉の娘):星由里子
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映画「モスラ対ゴジラ」(1964年)中西純子役(星由里子)
モスラ対ゴジラ 1964年(昭和39年)
『モスラ対ゴジラ』(モスラたいゴジラ)は1964年(昭和39年)4月29日に公開された日本映画。ゴジラシリーズの第4作であり、『モスラ』の続編でもある。製作、配給は東宝。カラー、東宝スコープ。上映時間は89分。併映は『蟻地獄作戦』。初回興行時の観客動員数は351万人。登場怪獣はゴジラ、モスラ(幼虫、成虫)。
本作でのゴジラはモスラに対する悪役として描かれており、ゴジラにとって怪獣同士の闘いにおける初の黒星(昭和シリーズでは唯一)を喫した作品である。
(出典:Wikipedia)
本作でのゴジラはモスラに対する悪役として描かれており、ゴジラにとって怪獣同士の闘いにおける初の黒星(昭和シリーズでは唯一)を喫した作品である。
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1958年、東宝が宝塚歌劇団東京公演にちなんで募集した「ミス・シンデレラ娘」で優勝したことをきっかけに芸能界へ。八重歯のシンデレラがキャッチフレーズ。翌1959年に映画『すずかけの散歩道』で銀幕デビュー、同名のレコードで歌手デビューをも果たす。1960年には同時期にデビューした浜美枝、田村奈巳とともに東宝スリーペットとして売り出される。控えめで大人しい雰囲気の田村と、明るく活発で女殺し屋やスパイもこなす浜のちょうど中間に位置する星は、清楚だが現代的な気の強さも持ち合わせた役柄を多くこなした。
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左写真は「モスラ対ゴジラ」からのカット