野村克也監督時代に投手に挑戦し、二刀流と呼ばれた。オープン戦で登板したときは球速142km/hを記録し、打者二岡智宏を内野ゴロに打ち取った。野村監督曰く「投手の心理を理解させるため」ということだが、阪神OBや野球解説者から反対の声が多かったため、わずか数試合で頓挫した。
1998年オフ野村監督に指導を受けた際「一度に言われても覚えきれません、また今度にして下さい」と言って練習を切り上げた。
via www.zakzak.co.jp
阪神入団時に購入したグラブを修理、補修しながら引退まで使用していた。プロに入って最初の給料で購入した。値段は7500円である。日本シリーズ終了後翌10月27日の記者会見では、「こいつと17年間やってきて、こいつがもう限界だと言ってきたので引退を決意した」と発言した。そのグラブの親指部分には阪神入団時の「TH 63」(阪神のロゴと、当時の背番号)が書いてある。
「ぼくは盗塁に興味がないんです」 - 阪神時代、就任したばかりの野村監督に「なぜ盗塁しないのか」と尋ねられて。
阪神5年12億円契約を蹴り、年俸2200万円の大リーグへ。
メジャーに行く直前に自身が所有していたフェラーリをオークションにかけることを発表し、4200万円で落札された。また「僕のフェラーリ売ります」というCMも話題になった。
数多くの伝説は、メジャーに行っても続きます。
そして、日本に帰ってきて日本ハムで活躍して引退まで
メディアに多く取り上げられました。
そして、日本に帰ってきて日本ハムで活躍して引退まで
メディアに多く取り上げられました。