昭和映画大女優年表:1915年誕生の桑野通子・原節子・高峰秀子・若山セツ子・香川京子・岸恵子・若尾文子・南田洋子・司葉子・小山明子・佐久間良子など(52名)
2016年6月4日 更新

昭和映画大女優年表:1915年誕生の桑野通子・原節子・高峰秀子・若山セツ子・香川京子・岸恵子・若尾文子・南田洋子・司葉子・小山明子・佐久間良子など(52名)

昭和初期から70年代までに大活躍した映画女優の年表まとめです。歴代の映画会社の看板女優が勢ぞろいです。大映三大女優、日活三人娘、東映三人娘、東宝スリーペットなども網羅しています。

483,304 view

田村奈巳(たむら なみ) 東宝スリーペット

田村奈巳(たむら なみ)

田村奈巳(たむら なみ)

田村 奈巳(たむら なみ、1942年3月4日 - )は、日本の女優。東京都渋谷区千駄ヶ谷出身。本名は平野まゆみ。旧姓・旧芸名は田村まゆみ。宝仙学園高等学校卒業。
中学生の頃から雑誌モデルやテレビドラマに出演。江波杏子とは近所の幼馴染。
1959年、東宝に入社し、同年、本名のまま映画『ある日わたしは』でデビュー。1960年、田村を含めた、同い年の16歳だった浜美枝、星由里子の三人娘がペットのように可愛いため、夏木陽介が「東宝のスリーペットだね」と言ったことから正式に「東宝スリーペット」として売り出され、盛大な披露パーティーも催された。3人をメインにした『サラリーガール読本 お転婆社員』も同年に公開された。
1961年に芸名を田村奈巳に改め、『野盗風の中を走る』など着実に出演作を重ねる。スリーペットではもっともおとなしい雰囲気で、東宝女優らしい清楚さを発揮。
(出典:Wikipedia)

1943年誕生

星 由里子(ほし ゆりこ) 東宝の看板女優

星 由里子(ほし ゆりこ)

星 由里子(ほし ゆりこ)

星 由里子(ほし ゆりこ、1943年12月6日 - )は、日本の女優。東京都千代田区鍛冶町出身。身長164cm。千代田区立今川中学校を経て精華学園女子高等学校卒業(吉永小百合は1年後輩)。所属事務所は東宝芸能。
1958年、東宝が宝塚歌劇団東京公演にちなんで募集した「ミス・シンデレラ娘」で優勝したことをきっかけに芸能界へ。八重歯のシンデレラがキャッチフレーズ。翌1959年に映画『すずかけの散歩道』で銀幕デビュー、同名のレコードで歌手デビューをも果たす。1960年には同時期にデビューした浜美枝、田村奈巳とともに東宝スリーペットとして売り出される。控えめで大人しい雰囲気の田村と、明るく活発で女殺し屋やスパイもこなす浜のちょうど中間に位置する星は、清楚だが現代的な気の強さも持ち合わせた役柄を多くこなした。
(出典:Wikipedia)
星 由里子(ほし ゆりこ)

星 由里子(ほし ゆりこ)

浜美枝(はま みえ) 東宝スリーペット 日本人初ボンドガール

浜 美枝(はま みえ)

浜 美枝(はま みえ)

浜 美枝(はま みえ、1943年11月20日 - )は、日本の女優。東京都出身。神奈川県箱根町在住。
中学卒業後、東京急行電鉄自動車部(現在の東急バス)に入社。バスガール(車掌)をしていた所を抜群にスタイルが良かったのでスカウトされた。本人は全くその気が無かったが、東宝側がバス会社と話をつけ、女優契約させられた。
1960年、16歳の時に映画『若い素肌』で女優デビューし、同年には同い年の星由里子、田村奈巳と共に「東宝スリーペット」(命名者は夏木陽介)として大々的に売り出される。

キュートなグローバル女優。007は二度死ぬへの出演でボンドガールに。日本女性のイメージアップに貢献した。

以来ドラマ・映画に多数出演。お嬢さんイメージの強い東宝女優としてはもっとも活発な持ち味で、団令子の後継者的なポジションに位置する。女スパイや殺し屋なども(さらには国際謀略団の女帝まで)チャーミングに演じた。中でも、1967年公開の、007シリーズ『007は二度死ぬ』(共演:ショーン・コネリー、丹波哲郎)で、ボンドガール役を演じ、国際的名声を得る。この配役は『キングコング対ゴジラ』を観て浜を知ったスタッフからの若林映子と併せての指名だったという。面接はホテルニューオータニであった。「クレージー映画」の常連マドンナとしても知られ、主に植木等の相手役を務めた。
(出典:Wikipedia)

加賀 まりこ(かが まりこ)

加賀 まりこ(かが まりこ)

加賀 まりこ(かが まりこ)

加賀 まりこ(かが まりこ、1943年12月11日 - )は、日本の女優・司会者。本名は加賀 雅子(かが まさこ)。有限会社活動屋所属。デビュー以来、奔放な言動でマスコミをにぎわし小悪魔、和製ブリジット・バルドーなどと呼ばれる。東京都神田区小川町(現:千代田区神田小川町)に生まれ、新宿区神楽坂で成人した、現在も新宿区在住。父・加賀四郎は大映のプロデューサーとして知られ、姪に俳優の田中健夫人の女優、加賀千景を持つという芸能一家の中で育つ。伯父・加賀一郎はアントワープオリンピックで100mと200mに出場しており、ベルリンオリンピックにも役員として選手団に同行、祖父は元衆議院議員の加賀卯之吉、母方の祖母は神田錦町で貸席を営んでいた松本フミ、伯父・加賀二郎は松竹株式会社元常務、また父方・母方の従兄妹は元女優の岸雅子(のち加賀周子)、シャボン玉ホリデーカバーガールをつとめた加賀美知子、元日本テレビプロデューサーの加賀義二。加賀本人は父似と語っている。
(出典:Wikipedia)

1945年誕生

吉永小百合(よしながさゆり) 日活の看板女優

吉永 小百合(よしなが さゆり)

吉永 小百合(よしなが さゆり)

吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年3月13日 - )は、日本の女優、歌手である。本名、岡田 小百合(おかだ さゆり)。東京都渋谷区代々木西原町(当時)出身。そのファンは、「サユリスト」と呼称される。1960年代を代表する人気映画女優で10年間で70本以上の映画に出演した。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業、学位は文学士(早稲田大学)。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。
(出典:Wikipedia)
日活の3人娘 左から松原智恵子さん、吉永小百合さん、和...

日活の3人娘 左から松原智恵子さん、吉永小百合さん、和泉雅子さん

松原 智恵子(まつばら ちえこ) 日活三人娘 日活を代表する一人

松原 智恵子(まつばら ちえこ)

松原 智恵子(まつばら ちえこ)

松原 智恵子(まつばら ちえこ、1945年1月6日 - )は、日本の女優。所属事務所は、グランパパプロダクション(過去に、日活株式会社→吉田名保美事務所→兒山美榮事務所に所属していた)。身長158cm、体重45kg。血液型O型。菊華高等学校(現杉並学院高等学校)卒業、明治大学文学部(二部)英文科中退。特技は日本舞踊、乗馬。既婚、1男あり。1960年、高校生の時に日活が行ったミス16歳コンテストに入賞し、副賞としての撮影所見学がきっかけでデビューする。日活時代は、主にアクション映画や青春映画のヒロイン役を演じた。1971年8月に日活の一般映画制作中断により日活を離れ、その後は主にテレビドラマに出演するようになる。現在[いつ?]は主に助演の役割が多く、精力的に活動している。
1960年代を代表する名古屋美人の一人で、吉永小百合、和泉雅子らと「日活三人娘」と呼ばれた。1967年のブロマイド売り上げでは、吉永小百合、藤純子(現・富司純子)、和泉、酒井和歌子、内藤洋子らを抑えて女優部門のトップになっている。都会派の可憐な清純派スターとして絶大な人気を誇り、全盛期の日活を代表する女優の一人だった。
日活への入社が決まるや否や、父親が東京都調布市に一軒家を建ててくれ、お手伝いさんと二人で住み始める。
(出典:Wikipedia)

富司 純子(ふじ すみこ) 東映の大スター 寺島純子として司会業も

富司 純子(ふじ すみこ)

富司 純子(ふじ すみこ)

富司 純子(ふじ すみこ、1945年12月1日 - )は、日本の女優・司会者。血液型O型。和歌山県御坊市出身。
旧芸名は藤 純子(ふじ じゅんこ)。本名は寺島 純子(てらしま じゅんこ)、旧姓は俊藤(しゅんどう)。
父は俊藤浩滋、夫は七代目尾上菊五郎、長女は寺島しのぶ、長男は五代目尾上菊之助。2007年(平成19年)に紫綬褒章受章。

1963年(昭和38年)、父・俊藤浩滋の勤務先である東映京都撮影所に見学に行ったところをマキノ雅弘にスカウトされ、藤 純子の芸名をもらい、『八州遊侠伝 男の盃』で千葉真一の恋人役でデビュー。同年、ABCテレビのコメディー『スチャラカ社員』の若い女給役で出演。
1968年(昭和43年)、『緋牡丹博徒』で初主演と主題歌も歌い、ヒット。主人公「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子でシリーズ化され、若山富三郎・菅原文太と共演した1970年(昭和45年)の第6作目『緋牡丹博徒 お竜参上』はシリーズの代表作となった。『緋牡丹博徒シリーズ』の他に『日本女侠伝シリーズ』、『女渡世人シリーズ』もヒットし、東映スターの仲間入りをした。背に彫った緋牡丹の刺青を見せる『緋牡丹博徒』については、当初は肌を見せることに抵抗があり、出演を拒んでいたが、俊藤に説得されて渋々応諾したという経緯がある。しかし『緋牡丹博徒』の人気を直に感じて「父の凄さを初めて理解した」と回想している。

1972年(昭和47年)、NHKの大河ドラマ『源義経』で共演した歌舞伎俳優の四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)と結婚し、『関東緋桜一家』を最後に引退を表明。
1974年(昭和49年)、寺島 純子(てらじま じゅんこ)の本名でフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会に就任し、「司会者」として芸能界に復帰。1977年(昭和52年)より3年間、出産・育児のため番組を一時降板したが、1980年(昭和55年)より復帰。歴代司会者では森光子に次いで2番目の長寿司会在任期間(10年11か月)となった。1983年(昭和58年)には、NHK『勇者は語らず いま、日米自動車戦争は』で女優としても復帰。
1989年(平成元年)には、高倉健との『あ・うん』で映画への出演を再開。この際「白紙の新人女優としてスタートしたい」、「寺島は夫の名字」との意思から芸名を富司 純子(ふじ すみこ)に改めた。
1998年(平成10年)『おもちゃ』で26年ぶりに映画に主演、各主演女優賞に輝く。
2006年(平成18年)、映画『フラガール』で日刊スポーツ映画大賞助演女優賞を受賞。同賞の主演・助演賞の2冠は渡哲也、真田広之、鈴木京香に続き4人目。
2010年(平成22年)、連続テレビ小説『てっぱん』で主人公の祖母役を演じ、ギャラクシー賞2011年度2月月刊賞を獲得した。
(出典:Wikipedia)
164 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

和服・浴衣・着物が似合う美人女優(和装の美人女優・着物美人の画像が満載)30名

和服・浴衣・着物が似合う美人女優(和装の美人女優・着物美人の画像が満載)30名

日本文化の象徴である着物・和装が似合う美人女優を振り返ってみましょう。戦前戦後の懐かしい昭和女優から現在人気のトップ女優まで総勢30名以上の着物美女が勢ぞろいです。
ガンモ | 144,039 view
日本映画を代表する名女優:若尾文子・夏目雅子・京マチ子・高峰秀子・芦川いづみの代表作を通じて、半世紀以上に渡る彼女たちの偉大な軌跡を振り返ります。

日本映画を代表する名女優:若尾文子・夏目雅子・京マチ子・高峰秀子・芦川いづみの代表作を通じて、半世紀以上に渡る彼女たちの偉大な軌跡を振り返ります。

時代を超えて永く広く深いファン層を獲得し続けている名女優である若尾文子・高峰秀子・京マチ子・夏目雅子・芦川いづみの代表作を通じて、日本映画の黄金期から現在まで半世紀以上に渡る彼女たちの偉大な軌跡を振り返ります。
ガンモ | 49,819 view
[懐かしの銀幕スター]映画会社の看板女優を代表的人気作で振り返る 「大映:若尾文子」「東宝:司葉子」「松竹:岸恵子」「日活:吉永小百合」「東映:佐久間良子」

[懐かしの銀幕スター]映画会社の看板女優を代表的人気作で振り返る 「大映:若尾文子」「東宝:司葉子」「松竹:岸恵子」「日活:吉永小百合」「東映:佐久間良子」

戦後の日本映画を代表するレジェンドである映画配給会社の看板女優たち。「大映:若尾文子」「東宝:司葉子」「松竹:岸恵子」「日活:吉永小百合」「東映:佐久間良子」の5人が今まで歩んできた軌跡を代表作を通じて振り返ります。1950年代、60年代中心に28作品を紹介。
ガンモ | 38,363 view
1940年代-1970年代 日本映画界 絶世の美女 ベストイレブンまとめ

1940年代-1970年代 日本映画界 絶世の美女 ベストイレブンまとめ

戦後から70年代までの映画界を支えた大女優のベストイレブンをまとめました。東宝・日活・大映・松竹の看板女優の奇跡的な美しさを堪能ください。
ガンモ | 103,882 view
『映画女優』・戦前と戦後復興時期(生誕1920年代まで)の「明治・大正・昭和の美人女優」の歴史

『映画女優』・戦前と戦後復興時期(生誕1920年代まで)の「明治・大正・昭和の美人女優」の歴史

日本映画史上、最高の大女優・名女優として評価される「高峰秀子」さん他24名の戦前・戦後の復興時期の映画界を盛り上げた映画女優をおさらいしていきましょう。生誕順(1890年から1929年まで)。映画女優の始まりです。
トントン | 112,026 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト