横山光輝
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横山光輝の活躍
手塚治虫に師事
1954年、貸本漫画会社、大阪東光堂の注文で貸本漫画を描いていた横山は、出版社の社長に連れられ手塚の下に赴き、横山が描いた時代物『魔剣列剣』に目を通した手塚は「売れる漫画家」と判断した。
後に単行本『音無しの剣』で漫画家デビュー。手塚はそのデビュー当時を「かれほど『彗星のように』という形容のあてはまる男はいない」と評している。この頃に原作手塚治虫、作画横山光輝で『黄金都市』『ターザンの洞窟』で2作発表。
後に単行本『音無しの剣』で漫画家デビュー。手塚はそのデビュー当時を「かれほど『彗星のように』という形容のあてはまる男はいない」と評している。この頃に原作手塚治虫、作画横山光輝で『黄金都市』『ターザンの洞窟』で2作発表。
「鉄人28号」で一躍有名に
光文社『少女』にて『白ゆり行進曲』ではじめての連載を行なう。
1956年、光文社『少年』に発表した『鉄人28号』が人気を博し作家的地位を確立。
『鉄人28号』は『少年』誌上で手塚の『鉄腕アトム』と人気を二分するヒット作となった。この鉄人28号のヒットにより本気で漫画家になろうと考えたと語っている。
笑いの要素のほとんどない、ある意味でハードボイルドな世界の構築を得意とした。展開も絵柄も奇をてらわない正攻法でわかりやすく、後年歴史もので名を成す下地となっている。
アニメ化された作品も多く、『鉄人28号』で巨大ロボットアニメ、『魔法使いサリー』で魔法少女アニメの歴史が始まったと言われ、分野の先駆け的存在となった。
1956年、光文社『少年』に発表した『鉄人28号』が人気を博し作家的地位を確立。
『鉄人28号』は『少年』誌上で手塚の『鉄腕アトム』と人気を二分するヒット作となった。この鉄人28号のヒットにより本気で漫画家になろうと考えたと語っている。
笑いの要素のほとんどない、ある意味でハードボイルドな世界の構築を得意とした。展開も絵柄も奇をてらわない正攻法でわかりやすく、後年歴史もので名を成す下地となっている。
アニメ化された作品も多く、『鉄人28号』で巨大ロボットアニメ、『魔法使いサリー』で魔法少女アニメの歴史が始まったと言われ、分野の先駆け的存在となった。
「三国志」で不動の地位を確立
1991年、『三国志』により第20回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。
受賞作『三国志』は、1971年から1986年までの15年の時間を要し、全60巻(文庫版は全30巻)というスケールで劉備登場から蜀漢の滅亡までが描かれた大作。
『水滸伝』『三国志』以降、横山は日本や中国の歴史漫画中心に力を注ぐことになる。それ以降から、手塚治虫が「漫画の神様」と呼ばれたのに対して、歴史漫画に全力を注いだ横山は、同業者や読者から『鉄人28号』にちなんで、「漫画の鉄人」と呼ばれるようになった。
受賞作『三国志』は、1971年から1986年までの15年の時間を要し、全60巻(文庫版は全30巻)というスケールで劉備登場から蜀漢の滅亡までが描かれた大作。
『水滸伝』『三国志』以降、横山は日本や中国の歴史漫画中心に力を注ぐことになる。それ以降から、手塚治虫が「漫画の神様」と呼ばれたのに対して、歴史漫画に全力を注いだ横山は、同業者や読者から『鉄人28号』にちなんで、「漫画の鉄人」と呼ばれるようになった。
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作家としての評価
少年・少女向けから大人向けまで、幅広い分野で多彩な技量を見せていた。
手塚は「彼の作品は、計算の上にサービス精神を横溢させている」と評している。漫画家のゆうきまさみはコラム『はてしない物語』などで「コマとコマの間を読ませるという意味で、横山氏の右に出る者はいない」と語っている。
手塚は「彼の作品は、計算の上にサービス精神を横溢させている」と評している。漫画家のゆうきまさみはコラム『はてしない物語』などで「コマとコマの間を読ませるという意味で、横山氏の右に出る者はいない」と語っている。
人物
現実的で寛容、されどポリシーも持っていた
作品の映像化に関しては現実的かつ寛容、商業作品は第一に経済的に成功させなければならないという点に対して理解を持っていた。
『飛騨の赤影』(仮面の忍者 赤影)は正統派の忍者漫画であったのに対して、テレビドラマ版は東映スタッフが知恵を絞り原作とは大幅に毛色の異なる作品となりながらも、いずれも人気作品となった。
数多くの横山作品を原作としてテレビアニメ・特撮などの映像作品が制作され、多くのクリエイターが横山の了承を得て大いに独自の手腕を振るっている。
一方で、自身の作品に対するポリシーやアニメ化された作品に対する観察眼も一貫したものを持っており、「鉄人28号FX」については、雑誌のコメントで「鉄人のデザイン、物語共にもっと解りやすいものが良かったのでは?」という比較的辛口のコメントを残している。
三十代の時点で既に漫画業界では大御所と呼ばれる存在になっていたが、内容の保守にとらわれず、過去の代表作の続編を作成したり、「今、読者が何を求めているのか?」を研究するために頻繁に映画館に足を運ぶという進取の人物であった。
無類の競馬好きで、それが高じて茨城県美浦村の牧場で自分の競走馬を飼っていた。馬主としては株式会社千早クラブ名義で登録していた、所有馬の『ジャックボーイ』は1987年の第48回菊花賞にも出走している。
麻雀も強く、1981年には第12期麻雀名人(週刊大衆)のタイトルを獲得している。
ヘビースモーカーとしても有名。
『飛騨の赤影』(仮面の忍者 赤影)は正統派の忍者漫画であったのに対して、テレビドラマ版は東映スタッフが知恵を絞り原作とは大幅に毛色の異なる作品となりながらも、いずれも人気作品となった。
数多くの横山作品を原作としてテレビアニメ・特撮などの映像作品が制作され、多くのクリエイターが横山の了承を得て大いに独自の手腕を振るっている。
一方で、自身の作品に対するポリシーやアニメ化された作品に対する観察眼も一貫したものを持っており、「鉄人28号FX」については、雑誌のコメントで「鉄人のデザイン、物語共にもっと解りやすいものが良かったのでは?」という比較的辛口のコメントを残している。
三十代の時点で既に漫画業界では大御所と呼ばれる存在になっていたが、内容の保守にとらわれず、過去の代表作の続編を作成したり、「今、読者が何を求めているのか?」を研究するために頻繁に映画館に足を運ぶという進取の人物であった。
無類の競馬好きで、それが高じて茨城県美浦村の牧場で自分の競走馬を飼っていた。馬主としては株式会社千早クラブ名義で登録していた、所有馬の『ジャックボーイ』は1987年の第48回菊花賞にも出走している。
麻雀も強く、1981年には第12期麻雀名人(週刊大衆)のタイトルを獲得している。
ヘビースモーカーとしても有名。
代表的な作品
少年向け-ロボットもの
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てつのサムソン
ダイモス
むてきごうりき
みどりの魔王
ダイモス
むてきごうりき
みどりの魔王
少年向け-忍者もの
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代表作に『鉄人28号』、『伊賀の影丸』、『仮面の忍者 赤影』、『魔法使いサリー』、『コメットさん』、『バビル2世』、『三国志』等多数。
長年にわたり幅広いジャンルで活躍し、手塚治虫、石ノ森章太郎などと並び称された漫画界の巨匠の一人。