Muhammad Ali : The Greatest HD
エメット・ティル事件
多くの黒人には選挙権もなかった。
また出入りできない食料品店や映画館があったし、学校やホテルなど施設で、黒人用、白人用に分けられていた。
1955年、14歳の黒人少年:エメット・ティルが、KKK団(白人優越主義を掲げる秘密結社)の白人男性3人に暴行を受け、射殺され、川に投げ込まれた。
3人は、エメット・ティルが白人女性に言い寄ったため連れ出したことは認めたが、殺害については否認した。
そして陪審員が全員白人だった裁判で彼らは無罪となった。
シット・イン (Sit in、座り込み)
この「シット・イン」という創造的な政治行動は、燎原の火のごとく広がり、いろいろなところで人種隔離への挑戦が試みられた。
1960年、白人専用の食堂に入った4人の黒人大学生が注文して断られると、座り込んで抗議した。
後に公民権運動の指導者となるキング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)も、白人専用食堂で座り込んで逮捕された。
カシアス・クレイ Cassius Clay
体重は、まだ51㎏だった。
8~14時まで学校。
18時まで図書館でアルバイト。
そして夕食を摂った後、遅くまでボクシングジムで練習した。
当時のプロボクシングは、フライ級、バンタム級、フェザー級、J・ライト級、ライト級、J・ウェルター級、ウェルター級、ミドル級、ライトヘビー級、ヘビー級の10階級。
カシアス・クレイは51㎏、つまりフライ級だったが、ヘビー級のチャンピオンに憧れた。
ジャック・デンプシー、ジョー・ルイス、ロッキー・マルシアーノなど、世界ヘビー級チャンピオンこそ世界最強の男だった。
カシアス・クレイは、毎日、熱心に練習し、何kmも走り、腹筋運動や縄跳びをした。
カシアス・マーセラル・クレイは、父親からたくさんの奴隷を雇う農園を受け継いだが、やがて奴隷制度廃止論者となった。
そして自分の奴隷を解放し、政治家となり、エイブラハム・リンカーン大統領と共に奴隷制度を終結させた。
しかし彼は、決して黒人と白人が平等だとは思っていなかった。
白人は他の人種より大きくてよい脳と発達した肉体を持っていると信じていた。
カシアス・クレイは、この事実を高校生のときに知った。
Cassius Clay vs Zbigniew Pietrzykowski, 1960 Rome Summer Olympics
階級はライトヘビー級だった。
そして9月5日、ズビグニェフ・ピェトジコフスキー(ポーランド)を破って、金メダルを獲得した。
そしてアマチュアの頂点に立った彼はプロに転向した。
(アマチュア戦績:167戦161勝6敗)
予告KO
Cassius Clay vs Archie Moore - November 15, 1962
アーチ・ムーアは、強すぎたため、そして黒人だったため、39歳まで世界チャンピオンになるチャンスを与えられなかった。
しかし見事にそれをモノにし、その後、48歳まで10年間、世界ライトヘビー級チャンピオンに君臨し続けた。
また1955年には、世界ヘビー級チャンピオン:ロッキー・マルシアーノに果敢に挑み、敗れた。
このトレーニング中に行われたスパーリングで、カシアス・クレイはアーチ・ムーアを圧倒した。
このときアーチ・ムーアは現役の世界ライトヘビー級チャンピオンである。
プロデビューしたカシアス・クレイは、勝ち続けた。
1年目は、8試合、2年目は、6試合行い、14試合で14勝(12KO)。
この中には、アーチ・ムーアを破った試合も含まれている。
カシアス・クレイは、試合前に、控え室の黒板に
「アーチ・ムーアを4RでKOする」
と書いてリングに向かい、その通りにした。
ネイション・オブ・イスラム(Nation of Islam、NOI、イスラムの民)
ネイション・オブ・イスラム(イスラムの民)の最高指導者:イライジャ・モハメドは、アメリカ黒人が自由になるためには、白人との完全な分離が必要だと説き、ミシシッピー州とアラバマ州をアメリカ合衆国から分割し、アメリカ黒人のための独立国家とすることを提案した。
ネイション・オブ・イスラム(イスラムの民)の信者は、ブラック・モスリム(黒い回教徒)と呼ばれた。
そしてブラック・モスリムは、白人を「悪魔」と呼んだ。
さらにブラック・モスリムは、現在の名字を捨てた。
その理由は、アメリカ黒人の名字は、もともと持っていたアフリカ人祖先の名ではなく、かつて奴隷所有者によって与えられた「奴隷名」の名残だからだという。
そしてその奴隷名をやめて、永久にわからないアフリカ祖先の名前「X」を名字にするか、適当なイスラム教徒の名前に改めるべきとした。
1963年、カシアス・クレイは、まず「カシアス・X」と名乗り、それから「モハメド・アリ」となった。
1960年代、公民権運動が盛んになった。
公民権運動は、人種隔離に異議を唱え、アメリカ社会で白人と黒人、あるいはすべての人種が調和しながら生きていく道を求めた。
彼らは公然と警察や白人の人種差別主義者からの暴力や嫌がらせを受けた。
そのような状況下、ネイション・オブ・イスラム(イスラムの民)は、その過激で急進的な思想と、教団幹部:マルコムXの宣伝活動により、変革を求める多くの若者を信者にしていった。
白人を「悪魔」と呼び、友和ではなく分離独立を求めるネイション・オブ・イスラム(イスラムの民)とブラック・モスリムは、人種差別主義者からも、公民権運動を支持する人々からも批判を受けた。